先日大磯へ行ってきました。好天に恵まれ、風も穏やかで、海は青く澄み、絶好の景勝地日和でした。何故大磯かというと、以前から西行の「心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮」という歌を詠んだのがこのあたりだと聞いていたからです。西行が訪れた地で、歌の情趣を味わってみたかったのです。
「心なき」というのは「物の情緒を理解しない」、「心なき身」というのは「俗世間の感情を捨てた身」となるのでしょうね。西行は出家していましたから、そうした俗世間の感情を捨てた僧の身にも、秋の夕暮に鴫が飛び立っていくこの沢の情趣がしみじみと感じられるよ。感動した!といったところでしょうか。西行が感動したこのあたりの風景は大分変わってしまったと思いますし、秋のもの寂しい風情とは趣を異にすると思いますが(しかも夕暮ではなく、真っ昼間ではありましたけれど)、それでもなかなか趣のある風光明媚なところでした。ただ海沿いを西湘バイパスが走っているので、大磯ロングビーチは見えません。大磯城山公園の旧吉田茂邸まで行くと、金の間から絶景を望むことができます。
国道1号線沿いに鴫立庵(しぎたつあん)がひっそりと建っています。門前を流れる谷川はやがて沢となり、その水は砂地に吸い込まれて消えるのだそうですが、この鴫立庵に「鴫立沢」の標石があります。江戸時代初期、小田原の崇雪(そうせつ)という人がここに草庵を結び、西行の歌にちなんで標石を建てたのだそうです。果たしてここで西行の歌が詠まれたかどうかは定かではありませんが、このあたり、大磯の鴫立沢なる地で「心なき…」の歌が詠じられたことは確かなようです。
鴫立庵
そしてこの「鴫立沢」の標石の裏に「著盡湘南 清絶地」という文字が刻まれています。「ブラタモリ」によると「ああしょうなん、せいぜつち」と読み、これが「湘南」という言葉の始まりになるとか。湘南というのはもともと中国の景勝地だそうですが、このあたりがその景色に似ていたのでしょう。ですから「ここは湘南、湘南って素晴らしい」というくらいの意味になるのだそうで、故にここが「湘南発祥の地」といわれ、鴫立庵の近くの1号線沿いに「湘南発祥の地」の石碑も建っています。
鴫立庵の庭内には佐々木信綱博士の筆になる「心なき…」の歌碑もありますし、西行法師の座像が安置された円位堂、観音堂、芭蕉の句碑などもありますけれど、何よりここは京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並ぶ日本三大俳諧道場のひとつなのだそうです。門前を入るとすぐに庵室があり、その隣に俳諧道場があります。江戸元禄の頃から庵主が在庵し、今に至っています。
鴫立庵から歩いて5分くらいのところに旧島崎藤村邸があります。友人に誘われて大磯の左義長見物に訪れた藤村は、すっかりこの地を気に入り、住むようになりました。小さな冠木門があり、割竹垣に囲まれた三間ほどの平屋建ての民家ですが、藤村はここの書斎を最も気に入っていたようです。「涼しい風だね」の言葉を最後に、この世を去りました。
旧島崎藤村邸
西行が感動し、藤村が愛したこの地で、私も生涯を終えたい、なんて思わせるようなところでしたよ。