ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

梅、見頃です

2012-03-29 18:10:20 | 日記
 そろそろ桜の開花が聞かれる頃になって、我が家周辺の梅が見頃になりました。空に向かって手を伸ばしている梅も希望に満ちている感じでいいですけれど、枝垂れ(しだれ)系も私は好きですね。なよとした風情があって、頭(こうべ)を垂れている感じが奥ゆかしくて。

 また一本の木で白とピンク二色の花が咲いているものもあります。改良品種でしょうか。面白いですね。

枝垂れ系  一本の木に二色の花

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土方歳三の菩提寺・高幡不動尊

2012-03-23 19:52:27 | 日記
 春分の日にお墓参りへ行った帰り、高幡山金剛寺(高幡不動尊)へ寄りました。不動堂は工事中でしたが、結構人で賑わっていましたよ。大抵の方は五重塔から奥殿あたりまでで帰ってしまわれるようですが、さらに奥の大日堂には鳴り龍の天井があって、その下で手を打つと願い事が叶うと言われています。勿論その名の通り手を打つと軽妙な音がしますし、裏へ回ると土方歳三の位牌や過去帳が安置されていますので、ファンの方は是非…。
大日堂の山門  五重塔入り口に咲く梅の花  重文仁王門


 不動堂の近くにある土方歳三像は平成7年に新しく建立されたものですが、その隣にある殉節両雄の碑(新撰組両雄の碑、顕彰碑とも)は意外と古いんですよ。これは近藤勇と土方歳三の忠節を讃えた最初の碑(いしぶみ)なんです(残念!写真を撮り忘れました)。


 維新後、賊軍の戦死者に対する扱いは苛烈を極めていましたので、供養もままならない状態でした。明治7年になって新政府軍に刃向かった人たちの祭祀・慰霊が許されることになり、近藤家、土方家の遺族が中心になって二人の顕彰碑を建立することになったのですが、碑文が二人の忠節を讃える内容だったため、実際に建立されたのは明治21年になってからのことだそうです。篆額(てんがく)は会津の松平容保(まつだいらかたもり)、書は幕府の侍医を務めた松本良順(当時松本順と改名)の筆。

 もともとは武士でもなく、ましてや直参でもなかった彼等が、最後まで幕府のために戦って死んでいったという事実は、生き残った人たちにとって、万感胸に迫るものがあったに違いありません。
土方歳三像   五重塔

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もうすぐ3月10日、そして3.11

2012-03-07 19:11:31 | 日記
 3月は災厄記念日が2日もあるんですね。3月10日と3.11。3.11を忘れた方はおられないでしょうが、3月10日未明の東京大空襲は忘れてしまった方も多いかもしれません。私もまだ生まれていませんでしたから、親の話を聞いたり、書物やドラマを見ただけの知識しかありませんが、本当に悲惨な状況だったようです。



 命からがら生き延びた人たちも家や財産、そして家族まで失い、日々の暮らしもままならぬ状態でした。
 大空襲から5ヵ月後、日本は終戦を迎えます。焼け野原に闇市が立ち、戦争孤児は物を盗んで腹を満たすしかなく、身寄りのない女たちは身売りして命を繋ぐしかありませんでした。それができない人間は「火垂る(ホタル)の墓」のあの子供たちのように、ただ死んでいくしかなかったんです。


 私が子供の頃、新宿のガード下に物乞いの兵隊さんたちがアコーディオンを弾きながら立っていました。電車の中で幼子に乳を含ませる母親の姿も珍しくはなかったんですよ(今だったら、警察に連れていかれるかも…)。「三丁目の夕日」のあの時代ですね。あれは戦争の傷跡から日本が立直り、復興し始めた時代。東京タワーはある意味、希望の象徴だったんです。今、美しい曲線を描いて伸びる高速道路や背比べをしている高層ビル群を見ると、日本は本当に発展したんだなあと思います。



 でも、その日本が今いろいろな意味で危機に直面しています。どうかこのまま崩壊してしまいませんように。戦争や3.11の教訓を風化させないためにも、雪の中で咲いた福寿草のように、一日も早く再生できますように。今年オープンするスカイツリーも、新しい時代の希望になるといいですね。


   福寿草 (3月1日撮影)



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