調布には友人がいるのでよく出掛けたものですが、最近は年のせいでしょうか。足が遠のきました。調布は深大寺そばで有名なところでしたが、朝ドラ「ゲゲゲの女房」のお蔭でぐんと知名度が上がりましたね。水木しげるさんのお蔭です。また甲州街道沿いにあるこの町は江戸時代に宿場町として栄え、近藤勇の生家があったことでも知られています。近年では昭和の大スター石原裕次郎さん等、多くの著名な俳優さんたちが育ちました。調布には日活撮影所がありましたから。
近くには多摩川が流れていて、幼い頃に川で泳いだ記憶があります。今の多摩川と違って流れが速く、水が綺麗だったんですよ。渡し舟もありましたね。当時はまだプールがなかったので、ごつごつした石の川原に古タイヤ(貸し出し)を置いて甲羅干しをしたり、タイヤに乗って川を流れていったり、楽しかった思い出があります。最近は水量も増えて、泳げるような川ではなくなりましたけれど、万葉時代にはここで布を晒していたんですね。
多摩川に さらすたづくり さらさらに 何ぞこの児(こ)の ここだ愛(かな)しき
万葉集東歌(あずまうた)の中にあるこの歌、「多摩川に晒している布のように、さらにさらに何でこの娘がこんなにも可愛いのだろう」という恋の歌です。どんな時代にも人は恋をし、恋する心はいつの時代も変わらないようです。
現在の多摩川
また、この歌は調布の名の由来とも関係しているんですね。律令制で行われた租税法で租庸調(そようちょう)というのがあったのを覚えておられるでしょうか。租は田畑の収穫に対する税、庸は労役を提供する人頭税(労役のかわりに米や布を納めることも)、調は諸国の特産物を納める税で、この土地では調として布を納めていました。それで調布という地名になったのですが、府中(国府が置かれた場所)と同じように同名の都市は他にもあります。
たづくりの展望レストラン
「手づくり」は「手織りの布」のことですが、「調布」と書いて「たづくり」とも読んでいたようです。お土産品として「たづくり最中」がありますし、市庁舎の隣にある文化会館も「たづくり」といい、展望レストランから調布の街が一望できます。遠くには多摩川やよみうりランドの観覧車も見えますよ。
薬子の時代にも、この「たづくりの里」から朝廷へ布が献上されていたのでしょうね。徭役で都へ上った人たちがいたかもしれません。
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近くには多摩川が流れていて、幼い頃に川で泳いだ記憶があります。今の多摩川と違って流れが速く、水が綺麗だったんですよ。渡し舟もありましたね。当時はまだプールがなかったので、ごつごつした石の川原に古タイヤ(貸し出し)を置いて甲羅干しをしたり、タイヤに乗って川を流れていったり、楽しかった思い出があります。最近は水量も増えて、泳げるような川ではなくなりましたけれど、万葉時代にはここで布を晒していたんですね。
多摩川に さらすたづくり さらさらに 何ぞこの児(こ)の ここだ愛(かな)しき
万葉集東歌(あずまうた)の中にあるこの歌、「多摩川に晒している布のように、さらにさらに何でこの娘がこんなにも可愛いのだろう」という恋の歌です。どんな時代にも人は恋をし、恋する心はいつの時代も変わらないようです。
現在の多摩川
また、この歌は調布の名の由来とも関係しているんですね。律令制で行われた租税法で租庸調(そようちょう)というのがあったのを覚えておられるでしょうか。租は田畑の収穫に対する税、庸は労役を提供する人頭税(労役のかわりに米や布を納めることも)、調は諸国の特産物を納める税で、この土地では調として布を納めていました。それで調布という地名になったのですが、府中(国府が置かれた場所)と同じように同名の都市は他にもあります。
たづくりの展望レストラン
「手づくり」は「手織りの布」のことですが、「調布」と書いて「たづくり」とも読んでいたようです。お土産品として「たづくり最中」がありますし、市庁舎の隣にある文化会館も「たづくり」といい、展望レストランから調布の街が一望できます。遠くには多摩川やよみうりランドの観覧車も見えますよ。
薬子の時代にも、この「たづくりの里」から朝廷へ布が献上されていたのでしょうね。徭役で都へ上った人たちがいたかもしれません。
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