ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

計画停電とは

2014-02-26 18:39:06 | 日記
 早いもので、3・11からもうすぐ3年になるんですね。東北出身ではありませんが、楽天のマー君は昨年24勝0敗というシーズン無敗の偉業を達成しましたし、東北楽天も初優勝を果たしました。今年に入って、宮城県出身の羽生結弦(はにゅうゆづる)君がソチ五輪で金メダリストに輝いたのは記憶に新しいところです。強いですね東北は。

 でもその一方で、身近にいる方のご実家(福島)では、親戚の方が4人も亡くなられたそうです。いわゆる二次災害ですね。それまで築いてきたものをすべて失い、生活環境が変わってしまったことで寿命を縮めてしまったんですね。本当に他人事ではありません。大雪が降っただけでも交通はマヒし、物流が滞ってスーパーやコンビニの品物がなくなりますし、厳寒の時期に停電にでもなったら死活問題です。

 そこでもう一度あの時のことを思いおこし、関東で実施された計画停電のことを書き記しておこうと思います。電気のない生活がどんなものかを忘れないために…。そして3・11を風化させないために…。

 まず地域ごとに停電する日時が決められます(情報はネットで取得)。原則毎日1回の地域と2回の地域がありますが、中止になる地域もあります。時間的には、
 (1)6:20~10:00と13:50~17:30
 (2)9:20~13:00と16:50~20:30
 (3)12:20~16:00
 (4)15:20~19:00
 (5)18:20~22:00
というように5つの時間帯に分けられます。中止になるかどうかは直前までわかりませんので常にメディアから情報を取得していなくてはならないのですが、いざ停電となると家電製品のすべてが使えなくなります。寒い時期でしたので、開閉しないようにすることで冷蔵庫の中身は保持できましたが、一気に電源が落ちるので駄目になった製品もあります。バッテリーが充分でないとインターネットもできませんから、携帯電話とパソコンのバッテリーには気を使いました。

 (1)のような通勤時間帯ですと、高層マンションのエレベーターが止まりますので、停電の前に出るか階段を降りるかしかありません。尾籠な話で恐縮ですが、トイレも思うように入ることができません(断水で水も流せないので)。
 家にいる人の場合、家事をしようにも洗濯機が回せませんし、掃除機もかけられません。断水していますから、炊事もままなりません。ガスだけは使えるのでお湯を沸かすことはできますが、オール電化ですとそれもできないわけです。朝、昼は軽食で済ませても、夕食はご飯をと思いますよね。となると停電の前に炊いておくか、停電が終わってから炊飯器のスイッチを入れるかということになります。それ以外の調理も前もって下拵えをしておかないと、間に合いません。

 停電の間は読書以外のことはほとんど何もできないといってよいでしょう。ただひたすら時間が過ぎるのを待つしかないのです。暖房のない寒い部屋で。
 買い物に行って暖を取ろうと思っても、住んでいる地域の店舗がシャッターを下しているのでそれもできません。信号も消えていますから、交差点を渡るにも危険が伴います。交通量の多いところでは、右折はなかなかできません。車の中で休めばいいと思う方がいるかもしれませんが、ガソリンすら不足していてスタンドを探し回る状況でしたので、大抵は諦めます。とにかく燃料は貴重でした。スーパーなどの品不足も深刻でしたから、単一電池がなかなか手に入らなかったのを覚えています。他にもカイロやトイレットペーパー、納豆などもお店の棚から消えていました。

 停電になる前にはテレビやエアコンなどの電源を切りますが、停電が終わったあともチェック項目がありました。普段消さない電源まで切れてしまっているので、それらを復旧させなければなりません。たとえば電気ポットなどですと、水を入れ替えてお湯を沸かし直すとか、電気によって動いているビデオデッキの時計は点滅状態ですから、セットし直さなければなりません。忘れてしまいましたが、他にもいろいろあったように思います。

 家にいる人間だけでなく、製造業なども相当深刻だったようです。作業内容によっては数時間前に止めなければならない工程もありますし、電源が復旧して製造が完了するまでにまた数時間かかるわけですから、停電が2回ある日など仕事になりません。実施される日は休みにした企業もあったほどです。当然ながら生産も追いつかず、納期も滅茶苦茶です。大損害ですよね。製造業に限らず、多かれ少なかれ影響はありました。

 というわけで、1日が20時間(2回ある日は17時間)になったような数か月でした。眠る時間を削るわけにもいかず、用事が溜まっていくストレスに加え、まだ余震がありましたし、放射性物質が懸念された時期でもありましたので、心身ともにかなりのダメージでしたね。もう2度とあって欲しくありません。

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新しき年のはじめの初春の…

2014-02-12 19:27:59 | 日記
 ようやく春の日差しが感じられるようになりましたね。梅も咲き始めました。万物の息吹を感じ、希望に胸を膨らませる人も多いと思いますが、花粉症の人にはちょっと憂鬱な季節。
 花粉症であったかどうか、万葉人にも春の憂いを感じていた人がいました。

 うらうらに 照れる春日に 雲雀(ひばり)上がり 情(こころ)悲しも ひとりし思へば

 万葉集の編者といわれる大伴家持(おおとものやかもち)の歌です。春の空を見上げながら、何気ない悲しみに沈む心。家持は何を憂いていたのでしょうか。
 この人は歌ばかり作っていた人と思われがちですが、当時の貴族でもあり、地方勤務の多い官吏でもありました。お役人としての仕事もちゃんとしていたんですね。大伴氏の存続に腐心しながら何度か政争に巻き込まれ、左遷されることもありましたが、その度に復帰して中納言にまで昇っています。死後は藤原種継(ふじわらたねつぐ)暗殺事件の首謀者として官籍から除名されるという憂き目に遭いましたけれど、没後21年経った大同元年(桓武天皇崩御時)旧位(従三位)に復しています。結構波乱の人生だったんですね。

 春の日差しに映える梅の花

 そういえば先週、都心では45年ぶりの大雪が降りました。子供の頃は大喜びした積雪ですが、大人になると先のことが案じられて憂鬱になります。家のまわりの雪かきをしなければならないとか、外出が困難になるとか、停電するかもしれないとか、しばらく残る風の冷たさを思い、早くやんで欲しいと願わずにはいられません。もし降り積もるものが吉事であったら、もっともっと降って欲しいと思えるのでしょうけれど。

 新しき 年のはじめの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)

 万葉集の最後に収められた家持の歌です。「吉事」というのは「めでたいこと」、「いやしけ」というのは「絶えることなく重なる」という意味だそうです。今日降る雪のように吉事が降り積もって欲しいといった感じでしょうか。正月の大雪は豊年の瑞兆とされていました。そして未来への祈りをこめたこの歌をもって万葉集は終わるのです。

 2月8日の大雪の前、立春にもちらほらと雪が舞いました。立春というのは旧暦でいうとお正月になります。近年随分気候が変わったようにいわれますけれど、雪の降る時期は千年以上前の万葉の昔も今もあまり変わりはないようですね。
 今年は大雪が降った分、よい事がたくさんあって欲しいものです。

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