![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/0b/05eec72ba9da58e472ba375e9ef74a65.jpg)
続いて2機目の52丙型です。
こちらは昭和20年3~3月に長崎の大村に展開していた352航空隊の1機です。
今回の製作には含まれていませんが、52型から52丙型の間に乙型と呼ばれるタイプが有り、
この型式から零戦に防弾装備が施されました。
丙型は操縦席前方の防弾ガラスが55mm厚、操縦席後方に8mmの鋼板が装備されました。
(燃料タンクにも簡単な防火対策が施されています)
しかし、総重量が3tを超え最高速度は低下、運動性能は零戦の中で最低とも言われ
52丙型はパイロットには不評だったようです。
中には重量軽減の為に13mm機銃を外したりしたケースもあったようで、
運動性の低下から、52丙型は対戦闘機用よりも火力を生かしたB-29迎撃用や
特攻機として使われたようです。
それでも元々が究極的に軽量化された機体ですから、爆弾を抱いて降下しても
機体が浮き上がってしまう傾向が強く、零戦での特攻は難しかったそうです。
度重なる改良を施した零戦ですが、この頃には戦闘機としての寿命は完全に尽きており、
互角に戦えるだけの能力は持っていなかったようです。
それにも拘わらず、丙型を含め52型系列は総生産が約5700、零戦の全生産数は約10400機、
後継機が登場せず、寿命の尽きた状態でも作り続けられてしまった戦闘機。
(生産数が10000を超えたのは日本では零戦だけです)
こちらは昭和20年3~3月に長崎の大村に展開していた352航空隊の1機です。
今回の製作には含まれていませんが、52型から52丙型の間に乙型と呼ばれるタイプが有り、
この型式から零戦に防弾装備が施されました。
丙型は操縦席前方の防弾ガラスが55mm厚、操縦席後方に8mmの鋼板が装備されました。
(燃料タンクにも簡単な防火対策が施されています)
しかし、総重量が3tを超え最高速度は低下、運動性能は零戦の中で最低とも言われ
52丙型はパイロットには不評だったようです。
中には重量軽減の為に13mm機銃を外したりしたケースもあったようで、
運動性の低下から、52丙型は対戦闘機用よりも火力を生かしたB-29迎撃用や
特攻機として使われたようです。
それでも元々が究極的に軽量化された機体ですから、爆弾を抱いて降下しても
機体が浮き上がってしまう傾向が強く、零戦での特攻は難しかったそうです。
度重なる改良を施した零戦ですが、この頃には戦闘機としての寿命は完全に尽きており、
互角に戦えるだけの能力は持っていなかったようです。
それにも拘わらず、丙型を含め52型系列は総生産が約5700、零戦の全生産数は約10400機、
後継機が登場せず、寿命の尽きた状態でも作り続けられてしまった戦闘機。
(生産数が10000を超えたのは日本では零戦だけです)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます