今日(11月16日)で我が家の次女ラティアさんは3歳になりました~
なので、ちょっと3年前まで記憶をさかのぼって、ティアがまだBabyだったころのお話をここで紹介
ラティアちゃんはワシントン州の田舎生まれ(うちの子はみんな田舎で生まれてるわぁ)。11月のワシントンといえば、4時半には真っ暗で寒い。曇りの日が多く、なんか気分までドヨ~ンとしてくるような空が続く なので世間では風邪がはやる。しかも家はでかいから出入り時にドアを開けたくらいじゃ換気が行きとどかないという環境。ティアちゃんが生まれたとき、シャーちゃんはナーサリークラスのおこちゃまで、そのナーサリーには子供が30人いたのだ。もちろん誰かが風邪ひきさんだと移る可能性は高く、シャーちゃんも例にもれずナーサリーから風邪を持って帰ってきた
ティアちゃんの鼻づまりが気になりだしたのは生後3週目くらい。とにかくいつも鼻が詰まっていて苦しそうだったので、よく"鼻水取り器"で吸ってあげていた。鼻が詰まっているのであまりおっぱいも飲めず、おなかがいっぱいにならないのであまり眠れず…という悪循環の日々。更に悪いことに、ティアちゃんはそんなに飲んでいないのに思いっきり吐く、という癖があった。本当に噴水のようにピューッと だからティアもミルクをあげている私も汚れずにその先のカーペットが汚れるといった感じ。
1ヶ月検診でティアの担当医に聞いても、別に大したことはない、みたいなことを言われ、不安が残りつつも医者を信用することに(素人には医学が分からんのでねぇ) でも症状は回復するどころか悪化 肩で呼吸をするようになり、飲んだおっぱいは倍にして吐き、鼻づまりは相変わらず…。ティアが寝れないので親も眠れず、一晩ごとにジョセフ君と交代でティアの面倒を見ていた。
ティアが生後6週目に入った12月28日の夜は私がティアと一緒だった。日付が変わったころ、ティアにおっぱいをあげようとしても飲む元気がない 呼吸は相変わらず肩でしてるし、泣き声が非常に小さくなっていた。一番ショッキングだったのは、口から泡をふいていたこと。こんな状態になって母がこの子にできたこと。それは「祈ること」だった。真っ暗なリビングでティアを抱いて泣きながら必死で祈った。すると、頭の中には"emergency room"ということしか考えられなくなった。時間は午前1時。寝ているジョセフ君を起こし、ティアをERに連れて行くように頼んだ。ジョセフ君も相当疲れているので脳が回ってなく、
「そこまでしなくても大丈夫なんじゃない…?」
と言ってきたが、ティアの症状と私の祈りのことを説明したらまず担当医に電話してくれた。電話の向こうには担当医ではなく、その助手(?!)がいて、ティアの脈拍はいくつかと聞いてきた。ジョセフ君がその場で測ってみたところ、1分間に100を超えていた 眠そうな助手はそれを信じていなかったけど、
「まぁ、心配ならERに連れて行けば。連絡しとくから」
との答え。
寝ているシャーちゃんを車に乗せ、ティアの生まれた隣町の病院まで10分。ERに到着すると、夜勤の先生がロビーで待っててくれてすぐに問診、そして治療室へ。ここで私はシャーちゃんを連れてロビーで待つことに。
2時間ほど経った頃、先生が「入っていいですよ」と声をかけてくれたので中へ入った。すると診察台の上に、鼻から酸素チューブを入れられ、腕には栄養剤の点滴とそれを固定している板、そして指には脈拍、血圧、体内酸素濃度を測るセンサーがつけられたティアが眠っていた。まだ生後6週の小さなティアがすごく痛々しかった…。ジョセフ君がティアの病気を説明してくれた。
ティアの症状は、脱水症状と過度の疲れ。持っていた病気はRSV。これは大抵の子供がかかるらしいが、ある程度大きくなると風邪の症状だけで済むそうだ。でもティアのような乳児の場合、症状が重く、死亡に至るケースもあるとか。ジョセフ君が言うには、もし私達がティアをERに連れて行かなかったら命に影響しただろうと先生が言ったそうだ。
午前4時半ごろに救急車で子供専門病院に移動。入院することになった。こっちの病院のERでしばらく待機していたとき、ティアのセンサーのモニターを見ていると体内酸素濃度が80%前後だった。そしてこれがたまに75を下回るとセンサー音がなりすぐに看護婦さんが様子を見に来る、という仕組み。この体内酸素濃度、このときはよく分からなかったけど、マイキーを妊娠中に喘息&アレルギー反応ですごく呼吸が苦しかったときに計ってもらったら、97%。これでも私は結構苦しかったのに、ティアはこのとき80%代。最初にERに連れて行ったときは50%代だったらしい。すっごく苦しかったんだろうな。
ティアは結局5日間入院することになった。12月29日から1月2日まで。栄養剤点滴や酸素チューブは3日で取れたけど、センサーは最後までついていた。しかもティアの部屋はナースセンターから非常に近かった。これが何を意味するかはよく分かる。
無事に退院したあとも気は抜けず、鼻水取りは必須。なのに、次の週には日本へ引越し。
ティアちゃんはこんな大変な乳児時代を持つおこちゃまなのです。
今でも普段はサルみたいに活発で笑顔振りまいてるけどね、最も病気にかかりやすくしかも中々治らない、という体質になってるんだよ。
時々、このティアの乳児時代を思い出して、「もしかしたらあの時ティアをなくしてたかも知れない」と思うとすごく怖くなる。そして今ティアちゃんが私達と一緒にいてくれることがどんなに貴重なのかを思い出させてくれる。
そんなティアちゃんも3歳。大きくなりました。