星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

水車のまわる音

2007-09-23 | NO SMOKING
いつのまにか臨港線の林檎園のリンゴが枯れそうな葉っぱだけになっていた。
調べたらなんと、9月3日に収穫行事があったという。
8月の末には、まだ青かったのに…。リンゴってわずか3日で色づくものだったの?暑い暑いといってる私の一歩先で季節は変わっていた。
 
そういえば、汗かいて、見上げる彼岸の空は、少しだけ秋の風情。
夏の間にぐんぐん育ちすぎたユリノキの葉っぱも黄色くなり始めている。

               

でも、まだ日中、外出の際には、小さなうちわと、水が欠かせない。
あ、それとレジ袋用のマイバックを忘れないようにしなくちゃ。

さぁ、行くぞー。ディートリヒ号でお出かけだい。目指すは、芦屋市立美術博物館の
「六甲山系の水車」という涼しそうな、シンポジウム。
私の頭の中のイメージは、小川のほとりの水車小屋。
きれいな水の流れに、コットンコットン回る水車。そばにはトンボが舞っている。
…おー、蜻蛉洲(あきつしま)、のどかな日本。

ところが、…そうではなかった。
六甲山の水車というのは、水車小屋ではない。水を動力源とした工場だった。
地域経済の最先端をいく、活力あふれる産業の場であった。そこでは、菜種・綿実から油を絞り、灘の酒用の精米が行われた。大きな柱で屋根のある建造物であった。



六甲山の山あいに木を切って空き地を造成し、水車場を造る。
石垣で固めた幅90㎝くらいの滝壺という溝を掘って、直径5㍍の大水車を設置する。
川からそこへ、水路をつくって水を流し、とうとうと流れくる水に、水車がゴットンゴットンと回る。それと同時に、半地下状につくられた作業所では、何十台もの石臼が一斉にグヮーングヮーンと回る。汗流し忙しく働く男達の世界。

六甲山系に水車が設置されたのは、文書では、1704年。僅か300年前である。菜種・綿実を粉に挽き、油を絞ることから始まり、やがて18世紀中頃から台頭した灘の酒造りのための、精米用水車が多く建造された。(ちなみに、宮水が酒造に用いられ始めたのは1840年、意外に最近のことだった。)明治の頃になると、素麺用の粉も碾いている。

小学生がダイヤル電話を使えないように、もはや使わなくなった道具の使い方や使う理由、使用感は、私達には謎である。私達が使っているものも、未来人にとっては謎になるのだ。

シンポジウムは、六甲芦屋の水車場発掘状況の報告が中心であったが、水車がどんな風に回り、どのような人達がそこで働いていたのか、過ぎ去った庶民の暮らしは、廃墟の跡からだけでは、正確にわからない。
もはや民俗学の対象となりつつある、江戸明治大正の庶民の暮らし。六甲の谷合で水車がどんな音をたてて回っていたのだろう。人々はどんな思いでその音を聞いていたのだろう。

竹中靖一著「六甲」(朋文堂1933刊)という昭和の初めに民間伝承を聞き取りまとめた本の中に出てくる、芦屋川の「金兵衛車」の話が紹介された。

江戸時代、お上に献上する清酒の米を精米する水車には、特別の格式があり、そこで働く男達は、水車場に入る前には川で身を清め、全部仕事を終えるまで一歩も外に出てはならぬこと、その間誰とも会うことはならないこと、などの掟があった。この季節労働には、丹波の村から人を集めた。その年丹波の村で出仕を命ぜられた男には恋人がいた。恋人の彼女には、彼のいない間に他の男との縁談が持ち上がり、彼を恋しい彼女は、山を越え、彼が入ってる金兵衛車にやって来て必死で彼の名を呼んだ。しかし、会うことは許されない。ついに彼女は炎となって水車場を焼き尽くした。という話である。
そして、この話の最後は、焼けた水車の跡にはまた新しい水車が作られ、それは今日も芦屋の谷合で、ごとんごとんと音を立てながら回っている。というものだった。
…そう、昭和の初めまで回っている水車はあった。昭和13年の阪神大水害を機にその多くが失われたのだ。

恋いこがれた彼女は炎になったが、水瓶座の私は、違う恋の物語を想像する。
…彼女は、小さな小さな人になった。水車の輪に飛び込んで、水の中から一目彼を見たかった。その後流されてもいい。一目あの人を見ることさえできたら…。ゴトンゴトンと水車は、私の鼓動に似た音をたて、その音はこれからもずっと彼の耳に届くはず。

…水車ではないけど、大阪のビルの狭間に、カタンカタンと赤い観覧車が回っている。私はあれをみるたびに、雄大な景色がみれるわけでもないあの観覧車には、大都会の中に住む誰かを、一目みたいと思って乗る人がいるような気がする。遠くても、上から見たら隔てるものがない、というかすかな希望を持って、誰かを捜し求めている、苦しい恋をしている人が、カタンカタンと音立てる自分の胸の鼓動を聴きながら乗っているような気がするのだ。
コメント (2)
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