星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

ペルシャ猫はいなかった

2007-09-11 | 持ち帰り展覧会
大阪歴史博物館は、どちらでしょう?
 

ここの窓から見える風景
                   
…大阪城の天守閣が、高層ビルに守られている。
背後から包囲されてるようにも見える。
大手門の正面には、大阪府警本部、上の右写真の建物が建っている。
先日炎天下マラソン選手達が走ったお堀端…ここからも観戦できたのね。

さて、「ペルシャ文明展」である。アケメネス朝の宝物「有翼ライオンの黄金のリュトン」も、スタンプになると、なんだか大阪っぽくなる。
               

ペルシアといっても、サーディやハーフィズのイスラム詩人達が登場するずっと以前のペルシア、ササン朝までの遺跡文化である。

前1500~前800年という幅広い年代推定がされている、カスピ海の南西ギーラーン州の墳墓から出土した、スタイリッシュな動物たち。彼らは、注ぎ口がついている磨かれた土器、洗練された埴輪だ。


                   
  
メディア・アケメネス朝以前のイランの都市国家については、今までほとんど知らなかった。世界史の教科書でもほとんど触れていない。今回、エラム王国という国の存在を始めて認識した。現存する世界最大のジグラッドは、前13世紀のこの国の王ウンシュガルが建造したもので、この国はハンムラビ法典石碑をバビロンから奪取するほど勢力を誇った時代もあり、7世紀アッシリアに滅ぼされるまで、首都シューシュ(スーサ)を中心に栄えていたという。宗教上の都が、世界文化遺産のチョガザンビルだ。

大陸に残る数多くの遺跡は、国は滅びるものだと、教えている。決して人がいなくなるわけではない。しかし支配体制が崩壊すると、その支配の拠点は破壊される。

壮麗を極めた、アケメネス朝のペルセポリスも、アレクサンダー大王によって破壊された。ダレイオス1世が建造した帝国の首都、かつてその宮殿の謁見の間には高さ20mの列柱が並び、てっぺんには怖いライオンの像の柱頭がついていた。展示されている柱頭のライオンの大きな足から、その大きさが想像できる。

黒いマスティフ犬。謁見の間に、貢ぎ物を持ってやってきた諸国の使者達を、まず迎えるのが彼だ。その頭をなでる気には到底いたらない、怖くて美しい犬。
シャーロック・ホームズの「パスカヴィル家の犬」のイメージ?
いや、この黒い犬の黒は「スター・ウォーズ」の黒。
スター・ウォーズの帝国のイメージを、遡ればここに至る、ペルセポリスはそんな場所であったような気がする。

豊臣政権の拠点、大阪城も落城した。今の大阪城は、その破壊した瓦礫の上に、土をかぶせ、石で固めて、新たに徳川政権の、権力の象徴として、建造されたものだ。その天守閣は1665年の落雷で失なわれた。だから、それ以後の江戸時代は、天守閣のないお城だったのだ。
今の天守閣が造られたのは、1931年、關一という、大阪の歴史を語る上で欠かせない、大大阪時代の市長の頃である。(「大大阪」というのは、関東大震災の後、1925年国勢調査で、大阪の人口が東京を2万人上回り日本一、世界第6位の都市になったことからそう呼ばれたと、ペルシャ文明展の後、回った常設展示で知った。)

ペルシャに行ったつもりが、正直、窓から見える大阪城天守閣に、心が動いた。あの大阪城は豊臣秀吉が造ったお城だと思っていた小学生の私が蘇る。私はまだあの天守閣に上ったことがない。
破壊の跡を完全に消し去った時、そこが破壊されたことを人は忘れるのだろうか。
いや、破壊されたままというのが、忘れられている証拠なのだ。博物館には残っても忘れられている。
再建という行為が、新たな歴史をつくっていくということであり、忘れられていない証拠なのかもしれない。鉄筋コンクリートの天守閣であっても。

ペルシア文明展に展示されている物達は、現在の私と、2000年以上昔の人々を繋ぐ。しかし当時の人達が残したいものが、残ったのだろうか。残したい思いは物ではなく、違うものに伝わっているのかもしれない。
コメント (2)
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