星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

千秋楽の「エレンディラ」

2007-09-19 | 劇空間
シアターブラバのロビーに鳴りだした音楽で、私は20年も前のランボォが出てくるサントリーのCMを思い出した。動き出した楽隊に導かれるように、私は入場し座席に着いたのだった。

     

開演前から何だか贅沢な予感がする蜷川芝居、「エレンディラ」の千秋楽。
パンフレットには、21世紀最高の「見世物祝祭劇」とある。
蜷川演出といっても、エレンディラというのは、ギリシア悲劇ではない。
ガルシア・マルケス原作、南米コロンビアの話を、坂手洋二さんが、3幕の悲劇に脚本化した。

1F客席の後ろ中央パイプ椅子には、蜷川幸雄氏が座っていた。

舞台前面全体をおおう紗幕。
その後ろの白い光の中、バスタブが優雅に舞い上がっていく。シュールな世界の始まり。…紗幕の向こうの、屋敷内には、エネルギッシュな巨体の老女と、「はい、お婆さん」としか言わない少女が住んでいる。時折ダチョウが舞台を横切っていく。
やがて、強風が吹いた夜の、炎上シーン。
…映像と照明がコラボして、0.1秒たりともずれてはいないプロの舞台芸術を見せてくれる。ワクワク。

群衆ダンサーの踊りも素晴らしい。
風景は寂しい砂漠に変わり、白い翼の男が登場する。彼は何者?

3幕物で4時間に及ぶ劇の間中、「エレンディラ」という名前が何度も何度も唱えられる。名を呼ぶことで伝説になるかのように。

祖母の屋敷を失火によって消失させた罪を背負わされた少女エレンディラは、償いを求める祖母によって娼婦にされる。彼らは砂漠中をテントで移動した。
どこに行ってもそのテントの入り口には、強欲な巨体の祖母と、好色な男達が並ぶ。どこまでも続く行列。男達は順番にテントに入っては出てくる。テントのまわりには大道芸人。やがて砂漠中でエレンディラのことを知らない男はいなくなった。

この行列に、私は嫌悪感を抱いた。この状況を、祝祭とよぶのか?と。
この可哀想な少女が、どうして伝説になるのだろう。

(彼女を一目見て恋に堕ちる主人公ウリセスは、中川晃教君。初見である。セリフ・演技が、宝塚の男役みたいだ。これは爽やかだと誉めてるの。だから「君が僕のすべて。僕にとって君を失うのは全てを失うということ」などという、キザなセリフも許せる。
エレンディラは、美波さん。昨年の「贋作・罪と罰」で松たか子さんの妹役でいい演技していた人だ。今回は脱ぎます。見事に、何度も。鎖をつけ、後ろ向きに舞台をぐるぐる回るあなたは、本当に体当たり演技。)

ウリセスは、彼女のために、祖母を殺す。毒薬では死なない、魔女のような巨体のお婆さんを、剣で刺し殺す。緑色の血に染まる巨体。
自由になったエレンディラは、ウリセスの前から姿を消し、砂漠を抜け出し、海を見に行ってしまう。祖母を殺したウリセスには白い翼が生えるが、彼女のところへ飛んで行くことはできない。

この時なぜ、エレンディラは彼から去っていったのか?
ウリセスにはなぜ翼が生えたのか?願いによって翼は生えるものではない。ある時翼は生えてしまうのだ。翼が生えると男は飛ばなければならない。神話的必然だ。

第3幕では、エレンディラのことを小説に書いた作家が登場する(渋いというより、1F後部席では聞き取りにくいほど声が小さい、私の中ではトレーニング不足の×俳優)。エレンディラを世に広め伝説にした人物だ。

伝説は彼が作ったのか?
…その謎は、時が経ち、祖母とそっくりの巨体となったエレンディラによって明かされる。

これは、エレンディラ自身がつくり上げた伝説だったのだ。
自由を手に入れるために、祖母を殺したエレンディラ。
彼女はつくった。…砂漠の娼婦の彼女に、ひたすら愛を捧げる、美しい青年を。彼女のためには殺人さえ犯す、オレンジをダイヤモンドに変える男を。殺人を犯した後は白い翼で飛び立った男の伝説を。

この日の幕間に、私は、難解なガルシア・マルケスから、意外にシンプルなメッセージを受け取った。それは、
女はもともと自身が世界の中心として存在している。
男達は世界の中心はどこかと探しながら放浪している。
SEXという行為は、まさに世界の中心はここだーと叫ぶ行為なんだ。
という、恥ずかしいくらい青々しいものだった。
でも、それは女系社会の神話そのものであるような気もする。

楽隊以外のマイケル・ナイマンの音楽は、旋律の定かではない長い憂鬱な曲が多く、中川君も瑳川哲朗さんも、よく歌えたものだと感心する。瑳川さんは素晴らしかった。「ハウルの城」に出てくる荒地の魔女のように、最初は無情な巨体の老婆が哀れみのある人物に変わっていった。さっきのメッセージはあなたから受け取ったのかもしれない。

千秋楽のフィナーレ。やはり瑳川さん登場で、スタンディングが始まった。前の人が立つと、見えないから次々と立っていく。やがて全員総立ち。舞台には蜷川さんんも登場した。繰り返されるカーテンコール。役者が手を振ると、より高く手を掲げて拍手で応える観客。
…今日の本当の祝祭はこの瞬間訪れたような気がした。どこかから、ランボォの楽隊の音が聞こえてきた。
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