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出世に知恵は必要

2018-04-11 08:43:47 | 歴史から学ぶ

@「出世」には、現代でもやはり「知恵」が必要である。知恵なき者は人に認めてもらえず、それは「頭がいい」(賢い)とは少々違う。知恵が生まれるのは机上の情報から「動き」に変わる時に生まれる力であると言ってもいい。人は必ず学びのあと行動に代わり、その行動が知恵を創り出すと思ってよい。 机上の勉学だけでは決していい会社に入っても出世と繋がらない、そこに自らが頭を働かせ、体を動かし、経験することで「知恵」が蓄積され、その「知恵」が経験ともに人を成長させる。さらにその「知恵」を教える立場になることで自らを磨き上げ、「出世」への道標を作る事もできると、そう思う。 現代は情報収集の蓄積・データによるマーケティングが主力だが、そこに「知恵」と実証できるものがなければ売り物にならない。だが集積されたデータはあくまで「過去」であり、「未来」将来への参考しかならないことを認識すべきだ。

『けだもの』池宮彰一郎

  • 「受城異聞記」
  •             1758年美濃郡上郡八幡3万8千石金森兵部少輔頼錦が改易
  •             金森は飛騨を平定関ヶ原の戦い後に美濃、関を加え領主となる
  •             頼錦は1747年に奏者番に任命(進物を披露し礼式を司る役割)だが、藩財政は窮迫し年貢を増徴、農民は定免制だったが老中本田正珍が美濃笠松代官青木二郎九郎に越権行為である庄屋に直接説諭を加えた。農民側は激しく抵抗江戸に駕籠訴におよび、代表3人は獄門、牢死者は数百人に及んだ。宝暦6年1756年、越前石徹白の白山神社社人も加わり多数の藩士や農民が断罪された。次席老中までが罷免されるという稀有な結末をみた。(郡上宝暦事件)
  •             加賀藩の支藩、大聖寺藩7万石前田飛騨利精はそれを受け、家来の佐分の養子弥八郎がその「高山陣屋城」受城任を受ける
  •             「義とは、名詮自性、我を美しくと書く。士農工商、侍が四民の上に位するのは、利に溺れず、名誉にとらわれず、その生きよう死に様が美しくあれと心得るにある」と弥八郎を説得。
  •             老中首座堀田相模守の英断は前田家を怨まれ睨んだことで、嫌がらせをさせる。それは正月1月1日に高山陣屋と廃城高山城を接収の願いが出た。豪雪地帯の2700mの高山を超える役割だった。
  •             弥八郎含め総勢24名で出立、豪雪のある山々を越えて行く
  •             途中疲労、豪雪、寒さで亡くなる者が多く帰国できたのは3名
  •             その弥八郎もその後病で亡くなるが、城には元家臣30数名が門前で切腹、玄関の畳敷きにはご息女於古与が咽喉を懐剣で突き貫き自害していた。
  • 「絶塵の将」
  •             尾張の国清洲城下に桶職人の子悪ガキ(のちの福島正則)が信長の家臣林通勝の足軽(酒乱の悪癖)を噛み殺し、母と共に秀吉の下に逃げる。秀吉は力量のある悪ガキ市松を登用、その後戦いで柴田家の侍大将、加賀大聖寺城主拝郷五左衛門の首を掻っ切った。戦功で5千石の加封を得た。
  •             「市松は出自が卑しいが故に士卒への思いやりが人一倍濃いのでございます。それゆえ家来衆が精一杯働いて恩返しをしているのでございましょう」とねねが秀吉に市松の武勇振りを讃えた。
  •             市松・福島正則の家来に寄せる愛着は他に例を見ないほどのもので足軽の老婆が病み、苦しむと聞くと駆けつけ看病したという。常に愛情に飢えていた武将だったが、負けん気も異常なほどあった。
  •             福島勢(8千)は関ヶ原の戦いで池田輝政、浅野幸長と共に東軍につき、西軍の宇喜多秀家の寝返りで東軍が勝利する
  •         その後家康は3将軍を京都探題職に命じたが、家康の家臣伊那図書京都奉行の反攻にあい、名ばかりの職と悟り、家康に抗議。
  •             紀州徳川家の安藤直次が伊那図書を切り福島の抗議を打消した
  •             正則は城の修復工事を願ったがその後幕府からは許可が出ず、やもうえず修復する。ところが規則破りとして福島は逆に領土召し上げ、蟄居となる。本多正信が伊那の恨みをここに実行した。
  • 「おれもおまえも」
  •             家康と茶屋四郎二郎は雷が大の苦手で臆病者であった
  •                         茶屋は京の呉服商人、元は足利将軍の弓馬師範の倅
  •             茶屋の助言
  •                         武田勢(2万)からの三方の原襲撃での決断
  •                                     籠城ではなく城外に打ってでることを茶屋が助言
  •                         負け戦で浜松城へ退散した時(馬上で糞尿を垂れる)
  •                         明智勢の謀反で京から伊賀越も穴山梅雪と一緒ではない
  •                                     穴山は単独で逃げたが京の南宇治あたりで斬首
  • 「割を食う」
  •             「割」という言葉は多岐多様で後につく言葉で様々に変化する
  •                         割が利く・割に合う・割を言う・割を食う
  •             「鍵屋の辻決闘」河合又五郎と渡部数馬・荒木又右衛門
  •                         旗本・外様を巻き込む人質・保護事件
  •             旗本のメンツと外様の意地を公平に幕府は決断するが、割に合ったものが誰一人いないという事件
  • 「けだもの」
  •             「お尋ね者」とは5逆(主人・父母・祖父母殺し)の大罪人
  •             ただの人殺しは「お尋ね者」とは言わなかった
  •         捕らえた者は入牢証が必要となり、軽罪は吟味方与力、重罪は町奉行が申し渡す。町奉行が決裁できるのは流刑(遠島)まで、死罪・獄門、貼り付け、火炙り等威名を奪う者は老中のお伺い書が必要となった
  •             町奉行所=与力2名、同心4名(警視庁+裁判所の役割)
  •                         江戸には与力25名、同心50名ほどいた
  •                         与力は禄高2百だが、実際は実収3千両=旗本2千石
  •             筆頭与力候補の三刀谷が事件を極めるが誤審で罪なき人を罰してしまう。それは大名の汚点を消し去ろうとする老中と与力の権力と罪なき父を裁いた法への怨念を晴らす真犯人(彦次郎)の仕業であった。
  •             三刀谷は町奉行をやめ、知恵者の真犯人を陥れるため仕上げたのは、権力を持った与力宅を襲い娘(三刀谷の元許婚)を殺し、さらに悪の道に引きずり込んだ仲間の妻を殺すことだった。それを仕組み真犯人(彦次郎)がすべて殺したという供述をした。だが真犯人(彦次郎)は「無罪の者を罪に落としたことのいきにえにこれからも生きていくことだ。俺とおめえとどっちがけだものなんだよ!」と言い張った。