@「最新技術」で「近代化」。人間にとって利便性が高く、効率的だとして「最新技術開発・導入」は産業改革の基盤を築き、世界の産業が発展、成長した。がここで見る江戸時代の「開発技術」を読んでみると少々意味合いが変わっている。それは「便利」「効率」の逆もあるという世界、「世界の行き詰まり現象」と「ゆとりと遊び」である。なぜ江戸時代に「武器」等が発達せず、自然科学(和算・貞享暦・尺時計・花火・植物品種改良)が盛んになったのか、なかなか興味ある内容だ。世間が最新技術等でとことん杓子定規の世界に入り込んでくると、江戸時代のような「ゆとりと遊び」がなぜ失くなっているのかを感じさせる。「ゆとり世代、ゆとり教育」などの言葉が生まれたのが2002年頃、今の世代に必要なモノはやはり人間性・思考力・判断力・表現力だと言う。「詰め込め式の教育」(入学試験対策)から如何に脱皮できるか次世代の教育はもっと世界に学ぶ事が必要だと思う。また特に日本での開国から明治に至った時代の人々(人間性・思考力・判断力・表現力)と世の動きを学ぶことも重要だと感じる。人間はいつの時代でも同じようなことを繰り返している、「学習する」機能を身につけないのはもったいない。最後に判断するのは自分だからだ。
『大江戸テクノロジー事情』石川英輔
- 現代は科学技術や自然科学を応用した技術からの恩恵は計り知れない
- 「現代の行き詰まり現象」
- 自然環境・生態系の破壊
- 人類が発明したモノ・コトで人類が適応できなくなっている
- フロンガス(大気汚染・アレルギー)
- ダイオキシン(近海魚に含まれている)
- 自動車=排気ガス・二酸化炭素・交通事故
- 加工食品=肥満・高血圧・糖尿病
- 「暦」
- 現在の暦は1582年にローマ教皇グレゴリオ13世による
- 「グレゴリオ暦」で採用国はポルトガル・スペイン・フランス・デンマークが1700年に採用、イギリス1752年・日本の採用は1873年、中国1924年
- その前の日本の暦は中国から伝わった「太陰太陽暦」15日の晩は満月と決まった暦、明治5年まで使われた(月齢を基準とした)、その理由は農業国・米作地帯で便利だったこと
- 江戸時代1684年に「宣明暦」を廃止し、日本独自の「貞享暦」を採用(安井春海天文暦学者が中国大陸との限界を知った)
- 基本は干支・月の大小・節気・雑節などで1週間という時間単位がなかった(六曜は明治中ほどから流行る)
- 「和算」
- 江戸時代の数学は庶民の趣味のひとつ(朱子学・儒学が主)
- 1622年日本の数学書「割算書」毛利重良・京都算盤塾
- 日本の数学に影響したのは1299年「算学啓蒙」
- 本格的な書物は1627年吉田光由「塵劫記」
- 和算の祖は関孝和(1640〜1708)徳川の家臣
- 面積を計算する積分法を発見
- 「時刻と時計」
- 時の記念日は671年天智天皇の1日を12刻、時刻制度採用
- 「明け6つ」(午前6時)「暮れ6つ」(夕刻6時)とした
- 「江戸の行灯」は60W電球の50分の1の明るさ
- 日本最古の時計はスペイン国王が1612年家康に贈った物
- マドリッド製置き時計、静岡久能山東照宮博物館に現在もある
- 日本最古の日本独自の時計は「尺時計」錘の落下を応用した
- 江戸城の「御土圭役坊主」は8人の役人に26人の下役がいた
- 「からくり」
- 1796年「機功図彙」(からくりずい)専門書がある
- 茶運人形・5段返り人形などが有名(中の水銀が動く)
- 「錦絵」
- 江戸時代多色印刷物として有名
- 一枚あたり@4000文(大工日当@500文)
- 764年日本の最古の印刷物「百万陀羅尼」短い呪い文
- 諸本文化は大阪・京都、江戸は庶民文化で17世紀以降
- 「銃と刀」
- 種子島からの伝来とあるが倭寇(中国)からの密貿易物
- 最初の鉄砲の戦争は「長篠の合戦」信長と武田
- 徳川家康・時代には鉄砲等の武器製造は禁止させ発明がない
- 1637年の島原の乱以降200年の戦乱がない
- 日本刀の製造法は鉄の不純物を取除くため3分の1重さになる
- 刀は人間を1人切れば研ぎ直さないと使用できない状態になる
- 無造作に切って切って切りまくることは不可能だった
- 「天文学」
- 江戸幕府は天文暦専門の役所「天文方」を設け、初代渋川春海
- プロの将棋から国立天文台長となる
- 浅草天文台は高さ制限があり7.27m(2丈4尺)の建物
- 江戸時代は測量・外国事情調査まで役割があった
- 「馬」
- 馬は藁沓(わらぐつ)を履いていた(馬蹄は明治以降)
- 雄馬の去勢は全くなく、調教もうまくできる者がいなかった
- 馬の糞、草鞋、藁沓は貴重な堆肥の肥料になった
- 「錠と鍵」
- 落し猿という仕組みの錠を千年以上明治まで利用していた
- そば一杯16文も200年変わらなかった
- 海老錠と鍵を併用して利用していた(正倉院も利用)
- 「花火」
- 2重、3重の真円型の花の模様は日本だけ
- 1804年の隅田川花火は十数種類あった
- 元々は5月28日(川開き)であった
- 火薬の起源は鎌倉時代のモンゴル帝国元が攻めて来た時
- 硝石の産地は越中(富山県)五箇所村、干し草と糞混合
- 江戸の花火屋「鍵屋」「玉屋」(おもちゃ花火が発祥)
- 「朝顔」
- 江戸時代の80%は農林業者
- 米の出来高は1反(10アール)で150Kg〜180kg
- 現在は約540kg
- 園芸を好み=寛永の椿・元禄のつつじ・正徳の菊・享保の楓・寛政のからたち(植物ブーム)
- 江戸の40%は樹木地であった(現代90%)
- 1733年人口は約百万人、庶民・武家
- 売り歩く植物行商(苗売り)の 繁盛した・朝顔