おもしろきこともなき世を おもしろく すみなすものは・・・

セロ弾き 呑み鉄 蕎麦打ち~趣味とともに楽しく過ごしたい今日この頃

カラヤン

2010-07-13 23:19:47 | 音楽
 今日の朝、雨ではなかった。当然、マイチャリで出勤。ところが、家を出発して1、2分、雨。参りました。

 今日も盆踊りの講習で小学校へ。この学校は4年生が対象。最初、おぼつかなかったが、仕上げはOK。さすが4年生。そして、礼儀も正しい。教えてもらったという感謝の気持ちが伝わってきた。これが教育か。

 で、午後は、明日の会議の打ち合わせをしつつ、雨でもあるので、定時退庁させてもらった。帰りは徒歩。マイチャリは、職場にお泊まりだ。

 家に帰ってから、TVのチャンネルをいじくる。
 午後8時、BShiで、「クラシックドキュメンタリー・ヘルベルト フォン カラヤン」が放映されていた。小生、クラシック音楽で最初に買ったLPは、確か、カラヤン指揮・フィルハーモニア管弦楽団のロッシーニ序曲集だったような記憶がある。当時、カラヤンは、グラモフォン、フィリップス、EMIなど、あらゆるラベルからレコードを出していた。
 あのころは、何気なくLPを買っていた。本格的に音楽を聴き始めたとき、演奏家の個性をディスクで聴き取ることができた。そのとき、カラヤンのディスクは、小生の範疇外であった。小生、個性的な演奏や海賊版を好んで購入していた。ある意味、アンチ・カラヤンだったかもしれない。ただ、晩年のカラヤンの演奏は、意外と好きである。何か音楽に丸みを感じた。前にも書きコしたが、最初で最後のニューイヤーコンサート。「ピース、ピース、ワンスモア、ピース」という言葉を全世界に伝えた。ナチスの党員にならざるをえなかったカラヤンが、その後の心からの言葉だった様な気がする。

 カラヤンは、すんなりとベルリンフィルの常任指揮者になったわけではない。彼は、当時、ベルリンフィルのドン、フルトヴェングラーの覚え愛でたくはなかった。フルトヴェングラーの後継は、セルジュ・チェリビダッケ。小生、チェリビダッケがベルリンを指揮したLPを持っている。録音嫌いだったチェリビダッケではあるが、デジタル化が進んで、録音にも応じたようだ。で、チェリビダッケ、練習がものすごく厳しく、楽団員から不評。フルトヴェングラーの期待には応えられなかったようだ。

 もう一人、レナード・バーンシュタイン。バーンシュタインがなかなかベルリンフィルを指揮できなかったことは有名である。そして、初めてバーンシュタインがベルリンフィルを指揮しようとしたとき、カラヤンの妨害にあったという話もある。バーンシュタインとベルリンフィルとのLPやCDはあまり聞いたことがない。ただ、お互いの晩年、和解して音楽界の将来について語り合ったという話もある。

 ところで、カラヤンの功罪は諸々議論されている。あれだけのディスクを市場に流通されたことにより、クラシック音楽が身近なものになった。一方で、カラヤンがクラシック音楽をだめにしたという議論もある。
 先日、たまたま親書本を見つけた。タイトルは「カラヤンがクラシックを殺した」。で、まだ読んではいない。

   

 今日、TVを観て、改めて、カラヤンという人となりに注目してみたいと思った。

 ただ、カラヤンの晩年の演奏会だっただろうか、キーシンとの共演で、チャイコフスキーのPコンが放映された。あの演奏、いつ聴いてもいい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする