雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

伝承 お伽羅哀話 (2)

2018-10-12 17:30:00 | 郷土の歴史等

 伝承 お伽羅哀話 (2)

名主は反対しましたが他に代わりがあろう筈もなく
とうとう賛成し人柱とすることが決まりました。
嫌がるお伽羅を
「皆の為村のために犠牲になってくれ」といい水中に投げ込んでしまいました。
お伽羅は哀しい悲鳴と共に濁流の中に身を没してゆきました。

 やがて悲しい出来事も終わり村は水没することもなく
家屋財産田畑何ひとつ失うことなく人々は助かりましたが
一人として明るい表情を見せる人はいませんでした。

皆が罪の意思義にさいなまれ、
ある者は「川の中からお伽羅の泣き声が聞こえた」といい、
又、村に疫病が流行り始めると「お伽羅の祟りだ」と言って恐れました。
 いつしか人柱にしたお伽羅の供養をしようということになり
村中こぞって鬼怒川辺りでお伽羅の霊を慰めました。
村落の菩提寺でもありこの地方の本寺でもある安楽寺に供養塔を建てて
お伽羅の菩提を弔いました。
疫病もおさまり平安な暮らしが戻るとお伽羅の供養のためとして
「伽羅免」と呼ばれる田畑をお寺に寄進し
永代に亘り供養がつとまるようにとの村人の願いからでした。
ここにまつられている石塔は村人の改心と
感謝の誠をあらわしたものと伝えられています。
   
 やさしいお伽羅の哀しい一生を思い遣り
懺悔と慈悲の懇ろなる供養と末永き回向が勤められますことを念じつつ
  南無阿弥陀仏 南無妙法一心観仏        合掌

天台宗別格本山正覚山蓮前院 厄除元三大師 安楽寺

  以上が2回にわたって紹介した「伝承 お伽羅哀話」の全文です。
  さて、「伝承」として紹介されているお話ですが、
    果たして、この話に信憑性があるのか?
  お伽羅の供養のためとして「伽羅免」と呼ばれる田畑をお寺に寄進」
    とあるので、この安楽寺に寄進された「伽羅免」が 
  現在でも残っているのか?
    さっそく、安楽寺の住職さんに確認の電話を入れてみました。
  「伽羅免」は残っていないが、
  お伽羅が住んでいた場所(庄屋の家?)は特定できています。
    つまり、伝説ではなく、伝承としてこの地域の村人のあいだに語り伝えられた
  「お伽羅」哀話だということなのでしょう。
 
  遠い昔におきたお伽羅の不幸な物語の「哀話」を、後の世に伝え、
  供養塔には今も花が供えられています。
  人間の身勝手な行為とお伽羅の霊を敬い供養する相反する気持ちでわありますが、
  二面性を持つ人間の行動パターンとして認識することも大切なことと思います。
                                   (つづく)

          (2018.10.12記)      (郷土の歴史等№7)

    次回は番外編として、各地に伝わる「人柱」伝説について掲載します。

 

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伝承 お伽羅哀話 (1)

2018-10-09 21:50:45 | 郷土の歴史等

伝承・お伽羅哀話
   両側に深い木立の続く緩やかな上りの表参道の先に長寿門が現れる。
    
  
  この門をくぐれば厄除開運 健康長寿 病気平癒がかなえられるという
  有り難い門で長寿門と言われている。
  門をくぐり、境内の端を西の方に歩いていくとお伽羅の供養等が
  忘れ去られたようにひっそりと建っている。
  土地の人が供えたのだろうか、野菊と造花がお伽羅の悲しみを労わるように
  生けてあった。
  
 
    お伽羅の供養塔           伝承 「人柱お伽羅哀話」案内板

 伝承「人柱お伽羅哀話」(案内板より)

昔、幾日も幾日も大雨が降り続いた年がありました。
鬼怒川は増水し、
河畔の村々では皆が今にも決壊しそうな堤防を固唾をのんで見守っていました。
渦巻く濁流にすべてを押し流される恐怖心は募るばかりで
誰も彼も為す術もなく天を仰ぎ無力感に襲われるばかりでした。
そんなとき誰云うともなく
「龍神様に人柱をたてて怒りを鎮めてもらおう」と言い出しました。
その声は次第に広がり、
誰を人柱にするかということになり、
誰もすすんで人柱に立てようとする人はいませんでした。

 人柱をたてるとは難工事の際荒ぶる神の心を和らげるため
犠牲(いけにえ)として生きた人を水底や土中深く生き埋めにすることであり、
誰一人として愛しいわが子を人柱にはしたくなかったのです。
 その時何処からともなく「お伽羅を人柱にしよう」と誰かが云い出しました。
お伽羅と云う娘は諸国巡礼の母娘の二人連れで
旅の途中常総市まで来た時母は病気で亡くなり、
天涯孤独の身となった娘でした。
名主が境遇に同情し奉公人として養っておりました。
気立ての良いこころのきれいな娘でしたが、
村人たちは身寄りのないお伽羅を人柱にしようとしたのでした。
                            (つづく)
        (2018.10.9記)       (郷土の歴史等№6)

 

 

 


 

 

 

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こころよく我にはたらく仕事あれ……① 石川啄木の歌

2018-10-05 17:20:56 | 労働問題(過酷労働・過労死・仕事と生きがい等)

     こころよく我にはたらく仕事あれ…
 ① 石川啄木の歌

 こころよく我にはたらく仕事あれ
        それをし遂げて死なむと思う
              石川啄木 「一握の砂」1910年

  啄木にとって「こころよくはたらく仕事」はあったか。

 放浪と病苦、貧苦にあえぎ故郷岩手県・渋民村で代用教員として働き始める。
 この時啄木20歳。

 1年後には北海道に渡り、函館、札幌、小樽、釧路と漂白し、
 新聞記者として働くが残ったのは、借金と失意だけだったという。

 22歳の春、妻子を残し上京し、小説家たらんとするが、
 彼を待っていたのは、貧乏、借金
 そして放蕩、病気。小説は売れずここでも彼は深い挫折を味わう。

      いと暗き
  穴に心を吸はれゆくごとく思ひて
  つかれて眠る
       
※ 真暗な穴に心が吸われていくような思いで、
         ただただ疲れて私は眠る。貧困、放蕩の末に
         啄木は闇のなかに「死」をみつめていたのではないか。 
  
  こころよく
  我にはたらく仕事あれ
  それを仕遂げて死なむと思う
       
※ 東京朝日新聞に校正係として勤めていたときの歌です。
         啄木にとって「こころよくはたらく仕事」とは、文学で
         身を立てることだった。現実との乖離に苦悩する啄木の
         思いがこの歌となって噴出したのでしょう。

  浅草の夜のにぎはひに
  まぎれ入り
  まぎれ出で帰しさびしき心
       ※ どうしようもない苛立ちが、やがて啄木を孤独感におとしめる。
         群衆の中に居てなお孤立した啄木の姿が哀しい。
         この歌の前に次のような歌も歌っている。
           こみ合へる電車の隅に
           ちぢこまる
           ゆふべゆふべの我のいとしさ

  啄木24歳(1910年 明治43年)
     「一握の砂」刊行。啄木は当初、
     歌集の書名を「仕事のあと」として考えて
     いたが、最終的に「一握の砂」とした。
       頬につたふ
       涙のごはず
       一握の砂を示しし人を忘れず
     余談になりますが、「一握の砂を示しし人」は誰なのか。
     女性だと仮定すれば、「恋愛歌」として多くの人の共感を呼ぶ。
     だが、男と仮定した場合、「人生歌」とも解釈できる。
     「一握の砂を示しし人」は、心を許した人生の先輩や友人などが思い浮かぶが、
     歌の内容が甘すぎる。やはり、女性とした方がしっくりするのではないか。

       いのちなき砂のかなしさよ
       さらさらと
       握れば指のあひだより落つ
        指のあいだよりさらさらと落ちる砂の無常観が、
         「いのちなき砂のかなしさよ」という上五七によって
         さらに強調されている。イメージとしては、頬につたふ/涙のごはず/
         一握の砂を示しし人を忘れず/に通じる歌です。
  生活苦にあえぐ苦しさや、孤独感をその時々の感情の赴くままに歌に託した啄木。
  啄木の歌は、青春のやるせなさ、哀しみや孤独感、
  貧困などの日常の出来事を素直に五七五七七託し自己表現している。

  小説家になりたかった啄木は「歌は小生の遊戯なり」と言っているが、
  やがてこの言葉は歌集「悲しき玩具」として結実する。
  1912年4月13日(明治45年) 啄木肺結核にて死去。満26歳
      
  1912年6月20日 啄木第二歌集「悲しき玩具」が発刊される。
         新しき明日の来るを信ずといふ
        自分の言葉に
        嘘はなけれどー
         「嘘はなけれどー」言葉に託くした啄木の深い絶望を思うと
          心が痛みます。
         途中にてふと気が変わり
        勤め先を休みて今日も
        河岸をさまよへり

        呼吸(いき)すれば
          胸の中(うち)にて鳴る音あり
         凩(こがらし)よりもさびしきその音
                  
「悲しき玩具」冒頭の歌です。
           限りなく暗く寂しい心象風景が浮かんできます。
           「私にとって歌は悲しい玩具である」といった啄木にとって
           仕事とは何を指すのだろうか。


                               啄木と仕事という視点で啄木の歌を鑑賞してみました。          
           (2018.10.6)          (労働問題№3)

   

           

 

 

 

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「切り絵」の世界 メルヘンチック 妖艶 細密…

2018-10-02 06:38:30 | つれづれ日記

「切り絵」の世界
    メルヘンチック 妖艶 細密……
 切り絵=カッターで切り抜き色のついた台紙に張り付ける。
これくらいの知識しかなかった。
案内のポスターを見て、「切り絵アート展」を見に行ってびっくり。
我ながら、切り絵に対する見識のなさを恥じると同時に、その世界の奥行きの深さと多様性に圧倒された。

 ここに繰り広げられた世界は、メルヘンチック 妖艶 細密 繊細 豪快 エキゾチック。作家一人一人が、自分の思いを技量に託し、個性的な作風を展開している。
 一堂に集められた切り絵作家の作品は、まさにしのぎを削り、他を寄せ付けない孤高の世界を展開している。

  一口に切り絵と言っても、技法や表現方法によって作風はまったく違っていて、多種多様な作品が生まれています。現代日本を代表する11人むの作家の作品を、一堂に展覧します。細密さを極めたレースのような切り絵や、光を使って紙芝居のように場面が変化する作品。ドラマチックな物語や空想の世界を描いたものや、素朴な風景を描いたものなど11人の個性が光ります。
                            (ポスターの案内文から要約)

        関口コオ「近松心中物語」
     妖艶の世界をカッターで仕上げていく。「近松心中物語」の悲恋・道行が作者の怨念となって表現されているような作品。

 

                                    林 敬三「七人の侍」 
   集まった「七人の侍」達、眼光鋭い精鋭たち、
  さて何が始まるのか。緊迫した時間が漂っている。 

 
           倪 遄良「光陰の理~ときのことわり~」
 ロマネスク調の画面の中で抱擁する男女。二人の男女から放散される光の線。「光陰の理」とは
どんなことなのだろう。


  柳沢 京子 「春よ来い、道祖神」
  春を待つ男女の着物の模様が、この切り絵の雰囲気を表している。 

    
 辰巳 雅章 「キツネの嫁入り」 
 どれが切り絵と絵画がコラボしたような作品。作者の個性が光る。   

         
                      酒井敦美「春の羽根」
 電灯の点滅で画面が表と裏にへんかします。今の画面は表ですが、一端電灯が消え次に点灯したの画面は、少女は後ろ向きになって桜の大木を見つめている構図に代わります。なんとも不思議なアートです。
筑紫ゆうな「無題」井出文蔵「一寸法師   百鬼丸「武田信玄」


 蒼山日菜「Voltaire ヴォルテール」
    想像の範囲を越えた緻密さがある。筆記体で書かれた英文の手紙を、一筆書きのように最後の人文字までつなげて彫り込んである。髪の毛のように細い線をどのようにして切っていくのか。
想像の範囲を超えている。

 展示された11人の作家たち。
 芸術とは個性の表現だとつくづく思う。
 それ故に孤高の峰を登り、海原の波をかき分けて
 自分の道を切り開いていく戦士なのかもしれない。
 孤独な戦士。

       (2018.10.1記)     (つれづれ日記№75)

 

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読書案内「春を恨んだりはしない」 池澤夏樹著

2018-09-21 17:00:00 | 読書案内

読書案内「春を恨んだりはしない」ー震災を巡って考えたことー 
                池澤夏樹著 写真 鷲尾和彦 中央公論新社 2011年9月刊 初版

  
    逝った者にとっても残された者にも突然のことだった。
  彼らの誰一人としてその日の午後があんなことになるとは思っていなかった。
                           「春を恨んだりはしない」より 

 (写真はどちらも鷲尾和彦氏のもので表紙の裏表に使用されたもの。文中数十枚の写真が挿入されているが、池澤氏のエッセイに沿うような写真だ)
 幼子を頬ずりしながら抱っこしてみつめる先に、光の差した海が広がる。あの日のことを忘れたように拡がる海に、親子は何を思っているのだろう。よく見ると幼子は大きく口をあけて笑っている。
「春を恨んだりはしない」というイメージが浮かんできます。
 2枚目の少年も海を見ている。
ちょっと荒れて暗い海が目前に広がっている。頭上に広がり沖の方まで続いている熱い雲が、水平線の間際で切れている。そこから弱い光がこぼれている。少年の前に広がる白く泡立つ波濤も、この光の恵みを浴びて輝いています。
明日はきっと晴れるのだろう……
少年の背中がそう語っている。

  この春、日本ではみんながいくら悲しんでも緑は萌え桜は咲いた。我々は春を恨みはしなかったけれども、何か大事なものの欠けた空疎な春だった。桜を見る視線がどこかうつろだった。

  東日本大震災後約半年間の間に、何度も現地を訪問し、折に触れて新聞や雑誌に掲載されたエッセイの集大成だ。震災の全体像を描きたいという思いが、自然の脅威の前に私たちはいかに無力であったことか。震災の傷の荒々しさに私たちはいかに無力であったか。作者は感情に流されることなく粛々と日常の中の非日常を文字に託して表現している。
 一人一人の被災者の抱いている哀しさを、
支援に奔走する人たちの努力を池澤はさりげなく表現している。

 被災地の荒れた光景を見ながら、池澤は
  「これらすべてを忘れないこと。今も、これからも、我々の背後には死者たちがいる」のだから
 と思いを馳せながら、古今和歌集の歌を引用する。

   深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け
 
 (草深い野辺の桜よ、おまえに心があるなら今年だけは墨色に染めた花を咲かせておくれ)
   薄桃色に咲き、盛が過ぎればはらはらと風に舞って散る桜の花は、哀しみの縁から
   立ち上がれない者にとって余りにも悲しすぎる。失った者への悲しみが桜の花と共に
   ふつふつとよみがえってくる。
   せめて今年だけは、墨染めの花を咲かせてほしい。

 地震と津波の日から半年を過ぎた被災地を巡りながら、ありのままの姿を受け入れ、
 筆者の目はゆるぎなく現実をみつめ、思索し、それを文字に託していく。

 章立ては9章あり、私は第7章の「昔、原発というものがあった」に一番興味をひかれた。

 「あの日のことは、忘れない」いや、忘れてはいけないのだ。
 希望をなくし、哀しみに暮れたあの日の傷も、
 時間と共に癒され、記憶も薄れていく。
 私たちは、後世の人たちに何を伝え、何を残していったらいいのか考えなければならない。
 これは震災を経験した者たちの責務ではないか、と思う。

 最近読んだ本の中で、ベスト・テンにいれたい思索を深めるための本です。

 (2018.9.21記)     (読書案内№131)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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読書案内「海は見えるか」 真山 仁著 ⑤ 海は見えるか

2018-09-18 09:26:06 | 読書案内

 読書案内「海は見えるか」真山仁著
  ⑤ 海は見えるか

 
   東日本大震災による甚大なる被害を受けて、
  政府は約一兆円の予算規模で防潮堤整備に乗り出した。       
  巨大な防潮堤が、果たして災害防止の最良の方法なのかという見当もなく、
  まるで行き当たりばったりとしか思えぬ案がまかり通っている。
   ……そんな中で松原海岸にも防潮堤の建設が決定したのだが、
  いよいよ着工という段になって住民から計画見直しの声が上がったのだ。
                         「海は見えるか」より

  どんなに高い防潮堤を築いても、自然の猛威にはかなわない。
  防潮堤が高くなればなるほど、海は人々の生活から遠ざかってしまう。
  海の近くに住みながら、海が見えない。
 
  防潮堤の高さは二メートル強から十五メートル強までと被害の程度によって異なり、
    総延長は400㌔にもなる。

 津波が町を襲う前、この町には美しい松林が続いていた。
 この町で育った人々は、成長する過程で誰だって、一つや二つの思い出を持っている。
 高台に集団移転した町。
 防潮堤建設か。
 懐かしい松林の復活か。
  そこに生活する人の命を守り、街を守ることに変わりはないのだが、
  方法論が異なるから気まずい思いが住民たちの間に広がって行く。

  あんな大津波が再び来た時のために防潮堤が必要だと国や知事、市長は主張する。
 でも、僕は海が見えないのが一番いけないと思います。
 ぞっとするような引き波が見えたから、僕は一刻も早く逃げなければと思った。
 …… 海の恵みで潤う時もあれば、海に牙をむかれひどい目にあうこともある。
 でも、それが海と共に生きるという意味なんだと思います。
                                「海は見えるか」より

  学校の若い教師たちを巻き込みながら、防潮堤論争は反対運動をへと広がっていく。
 児童たちの一部も反対運動に参加していくことになるが、教育委員会や校長は児童が
 政治運動に参加するとは何事かと頭ごなしに叱責する。
 若い教師たちの活躍が期待される……

    東日本大震災から7年半が過ぎた。
    報道の量はかなり少なくなったが、
    心に傷を負い、未だ立ち直れない人たちも多くいると聞きます。
    物理的な復興はカネと時間をかければ、回復してい行くが、
    何ものにも代えがたいものを亡くした人たちにとっては、
    辛い7年半だったに違いない。

    記憶は時間の流れに伴い、少しづつ薄れていきます。
    私たちが遭遇した震災をどのような形で未来を担う子どもたちに
    伝えていったらいいのだろう。
    「自然との共存」というテーマは難しいが、
    対立する考え方では、私たちが築いてきた文明は衰退していきます。
    「自然と人間」の共存できる社会は、目前の危機を回避するだけの政治体制では
    解決できない。
    どんなに便利で快適な社会を実現しても、「自然との対立」の上に築いた社会は
    砂上の楼閣のように脆(もろ)いことは、最近頻繁に起きている自然災害が証明している。
    100年先をみつめる姿勢がなければ、住みよい社会の実現はあり得ないと思います。
    
    現実の快適さを求めるのも仕方のないことだが、少し我慢をして
    10年先、20年先をみんなが考えたら、今よりもいい社会が実現すると思う。
    
    そんなことを考えさせてくれる、東日本災害をテーマにした連作短編集でした。
    5編を紹介しましたが、他に「砂の海」「戻る場所所はありや」があります。
                                                                                        (おわり)

     (2018.9.17記)   (読書案内№130)

     


 

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読書案内「海は見えるか」 真山 仁著 ④ 白球を追って

2018-09-16 07:03:32 | 読書案内

読書案内「海は見えるか」真山仁著
   ④ 白球を追って 

    
 本気で自分の夢を実現したいなら、時に非難されても前に進まなければならないんです。
                            (白球を追って より)

  津波が奪ったものは、家や職場だけではない。
 たいせつな人を喪い、途方にくれながらも 、

   時間が過ぎれば、人は時間の経過の中で日常を取り戻し、
 明日へ向かって新しい一歩を踏み出そうとする。
 新しい職場を求め、住み慣れた故郷を去って行く者、残る者 。
 被災者それぞれが抱えた問題を解決するために、
 時によっては辛い決断をしなければならない。

 小野寺が関わる地元少年野球チーム「遠間アローズ」は、
 優勝経験を持つほどの実力を持っている。 
 年子の兄弟栗田克也と栗田豊はどちらも体格に恵まれ、チームの最有力選手だ。
 兄はチームのキャプテンでホームランバッター。
 弟は小5ながら他校からも注目されるエースだ。
 
 夏休みまで残り一週間を切ったある日、小野寺は兄弟の母親から、
 父親の仕事
の関係で大阪に引っ越しすることになった旨を告げられる。

 優勝候補とは言え、メンバーは大会出場資格ギリギリの11人しかいない。
 同然、栗田兄弟が抜ければ、優勝どころか大会出場もで危うくなってしまう。 
 チームの存続も大切だが、小野寺は兄弟の気持ちを第一に考えたいと思う。

 親の気持ちはわかった。
 だが栗田兄弟の気持はどうなのか。
 チーム監督の気持ちは、校長の考えは。
 チーム仲間の考えは。

 それぞれの気持ちを聞きながら、
 小野寺は子供たちの気持ちを尊重する。
 この短編にも、小野寺の考え方や行動を通じて、
 作者の温かい目が注がれる。

   (2018.9.14記)       
(読書案内№129)

   

 

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災害列島日本 避難者

2018-09-15 08:10:04 | 昨日の風 今日の風

災害列島日本 避難者
 北海道で発生した最大震度7の地震から13日で1週間となる。
避難者は8市町の1592人となっている。
地震直後、
道内のほぼ全域が停電するブラックアウトに陥ったが、
大半の地域で電力供給は復旧している。
しかし、一部の地域では停電や断水も続いている様子です。

 函館の電力供給が復旧したと、2~3日前のニュースは伝えていたが、これはこれで明るいニュースに違いないが、電力の需給バランスは安心できるものではない。
政府は2割の節電を呼び掛けているが、2割節電するということはかなりの努力をしないと達成できないらしい。
経済産業省によると、12日午後7時台の節電率は14・3%だった。

 ※ 道内の家庭や企業に求めて来た節電要請は14日で無くなりました。連休明けの18日からは
   数値目標を設けず節電を求めるという方針に変更。「計画停電は当面実施する必要はな           い」。ただし、一部地域で断水は続いている模様です。(朝日新聞9/15付)

 最も被害の激しかった厚真町の避難所には次のような手書きの張り紙があるそうです。
   「水分をまめにとる」   
   「うがい手洗いをする」
   「足指を動かす」
 脱水症の予防 感染症予防 運動不足によるエコノミー症候群(旅行者血栓症)予防を促す解りやすい情報提供です。
情報の伝達は「迅速に」
      「正確に」
      「適性なときに」が原則であり、
      上記の張り紙はこの条件を見事にクリアしている。

 相変わらず余震が続き、避難所の中では安眠もできない。
 自宅に戻ることができない不安は、
 体験した人でないとなかなか理解できないのかもしれない。

 被災者を支えるボランティアの人、
 現地に足を運ぶことはできないけれど、私にできることはないかと思う人、
 それぞれがそれぞれの思いで一生けんめい一つの輪になろうと努力しています。
 被災するしないに関わらず、この思いは大切にしたい。

 自宅に戻れない人は沢山いる。
 西日本豪雨の被災地……1500人
 熊本地震     ……2万8000人
 東日本大震災   ……5万8000人 
  これ程沢山の人が、長い時間、不自由な生活を強いられている現実を知らされ、
  唖然とするばかりだが、
  「人間は負けるようには作られていない」
  というサンチャゴ老人(ヘミングウェイ原作「老人と海」の主人公が釣り上げた巨大マグロを        鮫の餌食にされ、骨だけになった獲物を小さな船にくくりつけて帰港する)の言葉のように、
  強く生きる力を出してほしい。
  鮫との闘いに力を尽くしたサンチャゴ老人は、
  深い眠りについたが、
  目が覚めればまた漁に出かけるに違いない。

  年を取ったとはいえサンチャゴ老人にはきっと、困難を乗り越える力が携わっているのだ。
  「人間は負けるようには作られていない」
  辛い時、苦しい時に思い出す言葉だ。

   
    (2018.9.15記)            (昨日の風 今日の風№90)

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老いをみつめる ③ 若さよりきっと大事なものがある

2018-09-13 15:28:02 | つれづれに……(心もよう)

老いをみつめる 
      
③若さよりきっと大事なものがある


 妻の名も時に忘るる義母なれど老人ホームは退屈と言う                                                                               ………(町田市) 冨山俊朗 朝日歌壇2017.10.02
 老いという淋しい文字がそこにある介護施設の無言の食卓(テーブル) 
                         
   ……森本義臣
 知人を訪ねて老人ホームに行った。
  広い廊下と自分の部屋の間を何度も行き来しながら老女は、呟いていた。
  「家へ帰りたいんだよ。家へ帰りたいんだよ…」
  どんなに良い待遇をされても、やっぱり家より良いところはない。
  
  食事の風景は淋しい。沈黙が漂う中で箸を持つ手と口が緩慢に動く。
  昼のニュースが、誰も聞いていない食堂に惰性のように流れている。
 
 娘の家へ引き取られゆくご近所の老老介護の限界見たり 
                           
………京都市 足立 猛 朝日歌壇2017.07.24
   80歳を過ぎた兄は、認知症で徘徊が始まった妻を施設に送る時、
   大きな涙を数的落として泣いた。「すまない、申し訳ない」と。
   その兄は末期がんが発見され、妻より先に彼岸に旅立った。
   老老介護では、介護するものが先に逝ってしまう例をよく耳にします。
   介護に疲れ、療養をせずにいる老体にいつの間にか病魔が忍び込むのか。
   

 若さよりきっと大事なものがある年を重ねていい顔の人 
                         
………堺市 一条智美 朝日歌壇2017.03.27
   老いは、記憶を失い感情の起伏を失くしてしまうが、子どものような顔に還っていくその顔が、
   生きて来た幸せの証なのだろう。
   健康で歳を重ねると、記憶が消去され、体力や判断力、決断力が衰えてくるが、
   世の中の雑事に追われることから解放されるので、(きんさん、ぎんさんのように)多幸感だけが残り、
   たのしい余生を送れる人も珍しくない。

 あてどなき、よるべなき、また後のなき、「なき」を生きゆく身にふる霙 
                            
………福島市 美原凍子 朝日歌壇2017.03.20
    無い無い尽くしの人生は淋しく心細いが、これも人生。
    老いの身に降る霙(みぞれ)。独りぼっちが身に染みる。
    それでも、歩んで行く人生行路に幸あれと願う。

 死なせない死ねない時代たらちねの母の呼吸器はずす夜明けよ  
                             
………東京都 無京水彦 朝日歌壇2017.06.26

    「お母さん、やっと楽になれたね」。大切な人を喪う哀しみと、安堵感が混ざる。
    病室の窓から、朝の光が差し込み、心の内でつぶやく、「お母さん、さようなら…」
      
    (2018.9.12記)    (つれづれに…心もよう№81)

        今回は辛い歌ばかりになってしまいましたが、「老いをみつめる」(つれづれに…心もよう)
        は次のところにもアップしています。
            2018.1.14 老いをみつめる
            2018.5.25 老いをみつめる ② 忘れないでとささやく


 



 

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読書案内「海は見えるか」 真山 仁著 ③ 雨降って地固まる?

2018-09-11 11:13:21 | 読書案内

 読書案内「海は見えるか」真山仁著
 ③ 雨降って地固まる?

   
   心的外傷後ストレス障害ー通称PTSDは、生命や身体が危機にさらされ、恐怖や無力感、
  戦慄を体験したトラウマによって引き起こされる心身の苦痛や障害だ。
  大樹が発災から一年経ったある夜、突然悪夢にうなされた時に、専門医はPTSDだと診断した。
                                       雨降って地固まる?より 

  教室を抜け出し、雨のグランドにずぶぬれで立ち尽くす庄司大樹。
雨。
あの日も、あの日も、あの日も雨だった。
おばあちゃんの遺体が見つかった時、お母さんの遺体が見つかった時も雨だった。
妹の洋子の遺体が見つかった時も、雨が降っていた。
お父さんの車が発見されたときも雨が降っていた。
大樹にとって雨は哀しい過去の出来事に繋がる。

 震災から1年過ぎた今でも、悪夢にうなされる。
「時々、家があった場所を見に行きたくなる大樹。でも向かっているうちにどんどん苦しくなって、結局遠回りしちゃって、家にたどり着けない。」

 明らかに、PTSDによる回避行動だ。
大樹にとって、過去へさかのぼる思い出は、辛く悲しい出来事に繋がっていく。

 そんな大樹に小野寺は、励ますことが無意味なことを知っているから、
ただただ寄り添い、懐(ふところ)深く大樹の寂しさや辛さを受け入れるのみ。
阪神・淡路大震災で妻と幼子を亡くした小野寺にできる「優しさ」の表現なのかもしれない。
元校長の浜登は、時によっては小野寺に寄り添い、大樹にさりげなく寄り添う。

  
 頑張るな! 弱音を堂々と吐ける男の方がかっこいいんですよ。
 ……本当に強い人間は弱音を吐くんです。それができるようになって初めて、
 弱音を吐いてはいけない時がわかるんですよ。
 それが分かるまではしっかり弱音を吐くんです。

 大樹に向けた浜登元校長の言葉だが、小野寺もいつの間にかうなづ居ていた。。
 

                   (2018.911記)          (読書案内№128)


 

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