終戦記念日・白旗の少女
白旗を掲げ投降する少女・比嘉富子さんの証言(2)
この記事は私のブログ「白旗の少女」の
(1)沖縄戦 家族を失い投降(2015.8.5)
(2)二枚目の写真の真相(2015.8.6)
(3)少女が見た地獄(2015.8.16)
(4)老人夫婦との出会い(2015.8.19)掲載の記事を再編集し、
「太平洋戦争を記録する講演会」(2017.08.06)にて発表した原稿である。
たった一人戦場を彷徨い地獄を見た少女
砲弾の破片か爆風にでもやられたのでしょう、
胸から血を流してぐったりしている母親の胸で、
その流れる血をすすっている一歳ぐらいの赤ちゃんの姿です。
赤ちゃんは私を見つけると、
口といわず頬といわず、
顔中を血まみれにしながら、
「だっこして」とでもいうように、両手を伸ばしてくるのです。
その両手も母親の血で真っ赤に染まっていました。
それはもう地獄でした。
わたしには、ほかに表現する言葉も文字も見つかりません。
七歳の幼い少女が見た地獄は、その後の彼女の人生にどんな影響を与えたのでしょう。
爆弾や砲弾のために命を落とした人をまたいだり、
暗闇で死人とわからずつまずいて、転んだりしながら歩く」
少女・比嘉(ひが)富子さんのけなげな姿と生命力の強さに驚きます。
ガマの中から赤ちゃんの泣き声が聞こえました。
大声で泣き続ける赤ちゃんをおぶった若いお母さんが、
四、五人の兵隊に押し出されるようにガマの入口にあらわれました。
お母さんは、ガマの中を指でさしながら、
兵隊たちに何度も何度も頭をさげていました。
きっと中に入れてくださいとお願いしていたのだと思います。
しかし、兵隊たちは、お母さんを入れるどころか手で追いはらい、
とうとうお母さんは、ガマの外に追い出されてしまいました。
(※ガマ=住民や日本兵の避難場所や野戦病院として利用された)
ずいぶんひどい話です。
国民の命を守れない兵隊に何が守れるというのでしょうか。
投降しようとする者は住民、兵隊の区別なく逃げる背中に向かって拳銃を撃つような狂気が充満し、
「国を守る」という大義名分のもとに、多くの人々が命を落とした。
悲しいしいのは、これに類似した話が、他の戦場でも起きていたということです。
ダダダッと機銃の音がしました。
おかあさんの体が、
クルクルクルッとコマのようにまわったかと思うとバタッと倒れて、
そのまま動かなくなりました。
その背中では、赤ちゃんがまだ泣きつづけていました。
そのとき、ガマから黒いかげがツツッと地面をはうようにしてあらわれ、
たおれているお母さんのそばにかけよると、
その背中から赤ん坊をひきはなして、岩かげに走りこんでいきました。
赤ちゃんの泣き声がしだいに遠くなっていって、急に泣き声が聞こえなくなりました。
ガマはふたたび静まりかえり…………
自分たちの命を守るために、無抵抗の命を
奪うことが黙認されるような狂気が戦場では、数えきれないほど起きました。
(語り継ぐ戦争の証言№17) (つづく)