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雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

一瞬の輝きに魂をこめて 運動会観戦記(2)

2016-10-04 17:00:00 | つれづれ日記

一瞬の輝きに魂をこめて 運動会観戦記(2)

 種目名には、リオ・オリンピックの直後でもあり、
これにちなんだ種目名が多く、タイムリーで思わず微笑んでしまいました。

毎年どんな種目名が採用されるのか興味を持ってプログラムを眺めています。

 プログラムの構成も、「個人」「団体」「表現」に区別して展開されているようで、
シッカリした構成に思えました。
「個人」=試練、「団体」=協調と連帯、「表現」=試練・協調・連帯・協力などの目に見えないテーマを見ることができました。

 

「表現」は苦労の跡が見える種目でした。
ラップダンスは本当に得意そうに踊っていた姿が印象的でした。


「ソイヤ!!!」とても楽しそうに踊っていた姿が、目に浮かびます。
試練・協調・連帯・協力が、このような「表現」の練習の中から生まれるのでしょうね。


 「ダンスDE玉入れ」単に玉入れ、ではなく可愛いお尻が観客の感動を呼んでいました。
別の場所にいた先生方や応援の場所にいた生徒や先生たちも
一緒になってお尻を振って競技を盛り上げてくれました。


締めくくりは5.6年生の「We are 下小 2016~193の絆=∞」
 フィナーレにふさわしい魂の輝きでした。

最後の挨拶(体育系の実行委員長か?)

 「『一瞬の輝きに魂をこめ』られた人」という声に、生徒全員が立ち上がりました。
 話は次のように続きます。

 ① 真面目に一生懸命に実行する皆さんは、最高の生徒です。

 

 ② (練習や競技を通じて)絆を深めることができたと思います。
   ③ みんなが元気で運動会に参加できるのは、自分一人の力ではなく、
   周りの人の協力
や支えがあったからということを忘れないでください。
(会場で聞いたことをメモを取らないで書いたので、要約と言う形で記録しました)

 ここでもしっかりと、スローガンのことに触れ、スローガンが決して形ばかりのもではなく、今日の運動会のバック・ボーンとなっていることに気づかされます。

「運動会は楽しくなければならない」という最も大切な要素を組み込み、その中で生きた教育の実践に取り組む学校の姿勢がうかがえる素晴らしい運動会でした。


 

 メ    モ

 

    
 放送、準備・設営、進行等多くの部分が、生徒たちの役割分担の下で行われ、先生やPTA役員の皆さんが裏で支える姿も、とても良い運営の在り方だと思いました。

 「何が一番楽しかったか」という私の問いに2年生の孫は即座に、
「ソイヤ!!!」と答えました。
この種目は「よさこいソーラン」の流れをくむ踊りなのでしょう。
赤と黒の鉢巻きと衣装が雰囲気を盛り上げていました。
 おそらく孫は、テレビの映像で見た「よさこい……」を心に描き、一生懸命なりきって演じたのでしょう。頬を紅潮させ、額に汗をかいて退場してきた姿が印象的でした。
        (2016.10.03記)          

 


一瞬の輝きに魂をこめて

2016-10-03 21:51:33 | つれづれ日記

一瞬の輝きに魂をこめて
   
運動会観戦記(1)
            (つれづれ日記№64)
 幼い頃の思い出として長く記憶に残るのは、生まれ育った土地の風景や、
日々通う通学路の風景だったり、友だちとの楽しい語らいだったりする。
しかし、街も風景も歳を重ねるごとに変化し、懐かしい風景が変容していく。

 時代とともに人間の営みや考え方が変化するように、街も学校も変わっていく。
だが変わらないものがここにある。
学校の高台から眺める筑波の姿と眼下を流れる五行の流れである。
子どもたちの記憶の中に思い出として刻まれたこの風景は、一生の宝物の一つとして残っていきます。

 また、どんな先生と巡り会えるかも子どもたちにとっては、
成長期の過程で大切な巡り合いになります。
学校が好きになる。
勉強が好きになるという大きな経験は、どんな先生と巡り会えるかによって違ってくると思います。

 運動会もまた子どもたちが大切にしている学校行事の一つです。
どんな運動会を作っていくのか。
先生方の大きな課題である。
実行委員や体育系の先生を、
周りの先生方がどのように支えていくのかという議論を経て、練習→反省・検討→改善→練習→本番。
 この過程の中で子どもたち一人一人が、協力し、支え合い、励まし合いながら、
およそ1カ月という短い時間の中で、貴重な体験をしていく。

 この貴重な体験の中に、
『ドンといけ!! 一瞬の輝きに魂をこめて』というテーマに盛り込まれたイメージをどのように反映していくのかは、
ひとえに一人一人の先生方の姿勢にかかっています。
机の上の勉強では得ることのできない生きた教育の機会がここには存在します。

 ここの部分をおろそかにすると、テーマやスローガンだけが一人歩きをしてしまい、屋外行事の意味も薄れてしまいます。

 スローガンのお話は、校長先生の御挨拶の中や、プログラムの「校長あいさつ」にも反映され、
終わりの挨拶にも反映されていました。

 個人競技は個々の力を試すための「試練の競技」です。この競技も力を試す競技から
障害物競走的な楽しめる競技に変化し、「みんなが参加できる競技」の流れがはっきりと感じられました。
         (2016.10.03記)                                (つづく)



原発問題は争点にならない

2016-07-10 06:00:00 | つれづれ日記

原発問題は争点にならない
             (つれづれ日記№63)
  10日開票の参院選。
  政権与党・自民党は原発再稼働を着実に進める。
  
  安倍政権の原発政策。
  2014年 「原発は重要なベースロード電源」とエネルギー基本計画を閣議決定。
  2015年 電源構成:
総発電量に占める30年度の原発比率を20~22%とする。
  2016年 運転期間を原則40年とする老朽原発の廃炉方針も骨抜きにしてしまった。
       運転40年超の関西電力1、2号機の延長を規制委が認める。

  「脱原発の世論が厳しいのは福島ぐらい。他の地域ではもう原発は争点にならない」
   (自民党幹部 朝日新聞7/5)

   福島では、原発の可否を明確にすることよりも、
   「原発災害からの復興」に論点を絞っているようだ。

   野党は現政権の粗探しと言う論点で選挙戦を展開するから、
   党としての主張が見えてこない。

   生活に直結する問題をアッピールするのも悪くはないが、
   政治のスタンスはもっと長い期間を見つめる必要があるのではないか。
   将来を見つめる大きな流れを組み立てたうえで、現実の問題を政策に反映していくことが肝要だ。

   「現世御利益」のみを訴える政策は、「場当たり的政策」になってしまい、
   望ましくない。
 
   反原発と言う火中の栗を拾わぬように、原発問題に関しては語らぬ候補者が多い。

 鹿児島県知事選
   全国で唯一稼働する九州電力・川内原発を抱える鹿児島知事選。
   現職・伊藤祐一郎氏は再稼働に同意し、原発推進派だ。
      「皆さんが避難しなければならない事態は、まず生じない」   
      こんな人を信じてはいけない。福島の事故の教訓の欠片さえなく、
      どうしてこんなことが言えるのか。
      福島の事故は津波による電源喪失に原因があるのではない。
      「安全神話」の上に胡坐をかいて、危機管理の欠如した状況が
      メルトダウンの大事故を招いたのだ。

   新人・三反園(みたぞの)氏は反対派ではないが、
      「いったん停止して活断層を調べ、避難路を見直すべきだ」と主張する。

   今日は投票日。
   自分の主義主張がなければ、誰に投票するのか選ぶことに苦慮するのだが、
   誰がどんな主張をしているのか、
   所属する政党の政策を確認すれば、
   選ぶ人の名前が浮かんでくる。
   
   貴重な一票です。

   投票権は私たちの大事な権利です。

   権利の行使は私たちの義務です。

   投票場に行きましょう。
              (2016.7.10記)

   

 


松本城・古書店

2016-06-09 17:00:00 | つれづれ日記

松本城に模して造られた古書店
 さわやかな風 2さんのブログから
  さわやかな風2さんのブログは、長野県松本を中心に、特に松本城界隈の
   フォトブログです。
   気負わず、淡々と写し取る松本城や城下町の写真がとても好きです。
   松本城から雪をかぶった常念岳の遠景を写し取った写真などいつもなつかしく拝見しています。
   三角屋根の子ども病院、アルプス公園、安曇野、わさび園などいつも楽しく拝見させていただいています。

   安曇野は14歳で早逝した初孫の故郷です。
   ブログの写真を眺め在りし日の元気な孫の姿を思い浮かべます。
   写真を見れば、3年前の元気な姿がよみがえり、少し寂しくなりますが、
   孫が生まれ、育ち、愛した故郷です。

   関東に住む私は、ただただ懐かしく、ブログの写真を拝見しています。

   「松本城を模した古書店」の写真。
   ついに登場!!
   いつアップされるかとても楽しみに待っていました。
   左右の建物に挟まれ、窮屈そうに立っている。
   なんと粋な建物でしょう。
   古書店の建て主の姿が浮かんできます。

   「じいちゃん、こっちが本物の松本城だよ。あっちの松本城はこれを真似して建てたんだって」
   と冗談をいう孫の笑顔が忘れられません。
  
   この近辺で孫たちと遅い昼食を取り、私は帰路につきました。

   さわやかな風2さんありがとうございました。

 
 無断で拝借して申し訳ありません。

 

   













 


ホテルからの眺め

2016-04-11 16:00:00 | つれづれ日記

ホテルからの眺め (つれづれ日記№61)

一日中降った雨は、夕方には止み、今朝は日差しがまぶしい。

ホテルのレストラン。
8階から眺める景色。

雨を含んだ地面の水蒸気が、
気温の上昇に伴い地表から立ち上り、
ビルの裾野を朝靄(もや)が取り囲んでいる。

逆光の中をシルエットとなって通勤電車が走る。
朝六時半だというのに、
車内灯に照らされた乗客たちは混んでいて、
浮かび上がる車内の様子は、
少しばかり息苦しく感じられる。

ベットタウンの朝は、
通勤電車とともに明けていき、
目の前の有料道路を走る車の数も、
時間の経過とともに増えていく。
                       
路地の住宅街を走り、
何度も角を曲がり、
高架線を走る道路へと合流していく車が見える。

ホテルの駐車場の桜が、
昨日の雨で落下のスピードを早めたのか、
駐車場に止めた車のフロントガラスに張り付いている。

レストランの中がざわついてきた。
中国の団体客が入って来たのだ。
話し声が大きい。
アジア系の人の声は大きい。
レストランの端の小さなテーブルで朝食を摂っている私は、
そろそろ引き上げ時かなと思いながら、
コップの中のミルクを一気に喉の奥に流し込む。

部屋に戻った。
チェックアウトまではまだ時間が十分にある。
カーテンを開ければ、
朝の光が一斉に飛び込んでくる。
朝靄は消え、
ビルの谷間に取り残されたように生きている樹々が見え、
桜の花が住宅街を彩っている。

歩く人の姿がせわしない。
「私はこの街では生きられないな」。
緑があって、
耕す土があって、
肌を撫でる心地よい風が吹いている環境がいい。

電車から吐き出される大勢の人をかき分けるようにして、
目的地に急がなければならない忙(せわ)しなさは、
それだけで疲れてしまう。

電車が警笛を鳴らして、走っていく。

入院中の妻の面会時間の来たことを腕時計で確認し、
私はルームキーをもって、
部屋のドアに向かった。
ここから、病院までは車で10分ぐらいの距離だ。

(2016.4.8記)


義兄の死(3) 「一隅を照らす」

2016-04-05 10:22:21 | つれづれ日記

義兄の死(3)  (つれづれ日記№60) 

 「一隅を照らす」

 末期胃がんをで、余命を宣告された義兄は、
抗癌剤も放射線治療も望まず、
在宅養療を選び、
希望通り質素で、穏かで、
天命を自然な形で受け入れた義兄にふさわしい静かなお別れだった。

 生きた証として義兄が残したものは、数百ページにわたる自分史だった。
ここに一部紹介するのは、自分史の「鑑」の部分です。

 「一隅を照らす」。
天台宗を開祖した、伝教大師・最長のお言葉である。
私は若い頃、或る本を読んでこの教えに接して大変感動した。
それ以来、私はこれを座右の銘にしている。

 この四行の言葉に、義兄の生き方の全てが凝縮されています。
「一隅」つまり、今自分がいる場所や置かれた立場で精いっぱい努力し、
光り輝くことを日々の生きる目標とした。

 立身出世や栄誉は望まず、
その時々の仕事や生活の中で、人や家族のためになるよう努力する。
そのことによって、
一隅を照らし、
お互いが助け合うことによって、温かい思いやりが辺りに広がって行く。
利益のみを追求するのではなく、
社会や他の人の役に立つことを目的として働けば、
社会全体が住みやすくなり、
そのことが自分の幸せにもつながっていく。

 都主税局の税務調査官を務め、
脱税行為の摘発に従事したが、
管理職試験に合格すると同時に、主税局から福祉局に転任。

 義兄の人生転機がまさにこの時訪れたのでしょう。
人を相手とした仕事だけに奥行がとても深く、
生きがいを感じて、
やっと、自分の探し求めていた仕事に巡り会えたと思った。

 仕事に生きがいを見つけた義兄は、自分の人生を次のように回顧している。

 都勤務時代の前半は税務の仕事だったので、
嫌われ役だったため、大変苦労したが、
後半は福祉の仕事で、
人を対象とする仕事だったので難しかったが、
生き甲斐を感じた。
()あまり出世はしなかったが、
これが、「一隅を照らす」ということで自分としては誇りをと思って満足している。

 退職後も義兄は福祉畑を進んでいく。
老人ホーム、保育園、知的障害児へのアドバイサー、学校評議員等々80歳になるまで福祉の道を歩むことになる。
 そのほとんどがボランティア活動だった。
残された「自分史」を読みながら
「一隅を照らす」生き方は立派に成し遂げられたのではないかと、
感慨に浸っている。

(2016.4.5記)


義兄の死(2) 最期の命

2016-03-31 21:12:03 | つれづれ日記

義兄の死(2) 最期の命
                        (つれづれ日記№59)

  義兄は18日に還らぬ人となった。
86歳、命のかがやきが風に揺らぐ、ローソクの炎のように
静かに消えた。
延命治療も入院も選択しなかった義兄だつた。
そして、この方針は二人の娘にも共通した考え方だった。

 胃がんが見つかった時には、すでに末期がんのステージだった。
余命宣告もあり、冬を越すのは難しい。というのが主治医の見立てだった。
彼の選んだ道は、抗がん剤や放射線治療はしない。
自宅でゆっくりと最期の命を慈しみ、楽しみたい。
義兄や娘たちの願いでもあった。

 決して落ち込むことなく、今まで彼が歩んできた姿勢を変えることなく、
ゆっくり天命を全うしたい。

 幸いにも痛みはなく、食欲も衰えることなく、
70㌔の道のりを私は妻と二人、よく遊びに行った。
「お見舞い」という形は、なにか心がこもっていなく、
義理一通りという気がして、「遊びに行く」という形をとった。
だから頻繁におとづれ、食事も外に食べに出た。
「お見舞金」も包まなかった。

 最後に逢ったのは3月16日だった。
ベッドに横たわる彼を私は初めて見た。
こちらの呼びかけにも答えず、静かに寝返りを打つだけの彼。

 二日前ぐらいから、食事も取らなくなったという。

 嫁いだ2人の娘たちは、
仕事のやりくりをしながら、自宅療養を支えた。

 後ろ髪惹かれる思いで、私たちは70㌔の道のりを帰ってきた。

 一日置いて18日の朝、訃報の電話を受けた。
18日早朝、二人の娘に見守られて、
眠るように旅立ったという。

 介護施設で暮らす、認知症の妻を残しての旅立ちだった。
いつも妻のことを心配し、自宅で介護ができなくなり
施設にお願いしたことが、「不甲斐なく、残念だ」と、
施設への訪問を欠かしたことのない義兄だった。

 家族葬は、とても心温まる素晴らしいものだった。
生前の義兄の希望通り、質素で、穏かで、
天命を自然な形で受け入れた義兄にふさわしい
静かな「お別れ」だった。
                                     
(2016.3.31記)


 

 


保育園落ちた 日本死ね!!!(3) 便所の落書き

2016-03-25 06:00:00 | つれづれ日記

保育園落ちた 日本死ね!!! (3) 便所の落書き
  「保育園落ちた」のブログ後段は次のように展開する。
 
ふざけんな日本。
 保育園も増やせないし児童手当も数千円しか払えないけど少子化何とかしたいんだよねーって
 そんな虫のいい話あるかよボケ。
 国が子供産ませないでどうすんだよ。
 金があれば子供産むってやつがゴマンといるんだから取り敢えず金出すか
 子供にかかる費用すべてを無償にしろよ。
 不倫したり賄賂受け取ったりウチワ作ってるやつ見繕って国会議員を半分くらいクビにすりゃ財源作れるだろ。
 まじいい加減にしろ日本。

  「日本死ね」から始まって「まじいい加減にしろ日本」まで、
   問題になったブログの内容を3回に渡って全文載せた。

 こんなブログを政権批判の材料としなければならないほど、
野党の人材も底をついているのか。
「児童待機問題」を挙げるなら、
正確な資料を示して論じたらいい。
 しかし、メディアはこのブログが、ネットで拡散し、
共感が広がる。政権は一転し改善へ意欲協調(朝日新聞3/9付)、
などとチョウチン記事をかかげ世論に迎合する。

 このような風潮に「(このブログは)便所の落書き」だと、田中氏は自身のブログで嘆いている。
このブログを見たツイッターなどで、「とんでもない奴だ」と、批判する記事が流れ、

これをメディアが、「よいしょ」する。

 定見のないメディアが浮き彫りになる。メディアは傍観者ではない、風潮に踊らされてはいけない。

 「便所の落書き」とこき下ろした杉並区議会員・田中雄太郎は、(児童待機問題の解決は必要と認めたうえで)
 「日本死ね」などと書き込む不心得者や、そんな便所の落書きをおだてる愚かなマスコミ、便所の落書きにいちいち振り      回される愚かな政治家が後を絶ちません。…略…右往左往する票乞食たちもみっともない。無視すればいいだけの話ではありませんか。
 痛烈なカウンターパンチだ。
田中氏のブログに批判的な意見に対して、氏は、「自分の意見」は変えないと頼もしい。

 「日本死ね」を支持する人と、「便所の落書き」を支持する人と二局対立するようだが、
私は、品位に欠け、乱暴な文章展開に、やっぱりこれは「便所の落書き」だなと思いながら、
こんなことに振り回されている日本は、「平和ボケ」しているんだなと思う。
    
      安倍政権は2013年度から待機児童の解消に本腰を入れ始めた。
       保育の受け皿を17年度末までの5年間で40万人分増やす計画で、
       14年度までに約21万9千人分が新たに整備された。
       だが、器は作ったが「保育士の不足」という課題ができ、保育士の
       賃金格差の是正をしなければ、人材確保も難しい局面に立たされて
       いる。 
                                                                                             (つれづれ日記№58)
                                       (2016.03.24記)    (終)


                                                                                                                                


保育園落ちた 日本死ね!!!(2) 違和感

2016-03-22 08:00:00 | つれづれ日記

保育園落ちた 日本死ね!!!(2) 違和感
 前回は「保育園落ちた…」のブログに火がついて、共感が広がっている状況を書いた。
国会論議にもなり、そりはそれで「待機児童問題」に一石を投じた、ということでは意味があった。
だが私には、違和感が残った。ここまでが前回の記事。
冒頭部分は前回紹介したので今回はブログの中段を紹介する。

 子どもを産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに
日本は何が不満なんだ?
 
 何が少子化だよクソ。

 子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だから
 Wって言ってて子ども産むやつなんかいねーよ
 不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増やせよ。
 オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ。
 エンブレムなどどうでもいいから保育園作れよ。
 どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。

 一段目と二段目は、我が子が保育園に落とされた腹いせを、ぶちまけている。
このブログ全体の内容は、品性に欠け、社会への不満を自分の不満にすり替えて
ぶちまけけているようにしか思えない。私は最初このブログは、
政権攻撃の材料を作る「やらせ」ではないかと思ったが、
朝日新聞の記事によると実在の30代の女性らしい。
しかし、記事はなぜこのような表現手段をとったのかを、女性に質してはいない。

「待機児童」を論じるに、別な方法はないのか。
 しかし、別な見方をすれば「待機児童問題」をこういった奇抜な方法で示さなければ
黙殺され話題にならなかったろう、という見方もできる。

 女性の望み通り「話題」になり、ブログに火が付き、メディアが飛びつき、
政治家までが飛びつき、政権攻撃の材料に、国会で取り上げる始末である。
 どこか狂っている社会現象だ。


 この現象を「便所の落書き」と一刀両断に切り捨てた政治家がいる。
次回はこのことについて書きます。
             
(つれづれ日記№57)
             (つづく)                (2016.3.21記)
 

 
 

 
 

 

 

 

 


保育園落ちた 日本死ね!!!

2016-03-20 08:00:00 | つれづれ日記

保育園落ちた 日本死ね!!!
       
保育園落ちた日本死ね!!!
       何なんだよ日本。
       一億総活躍社会じゃねーのかよ。
       昨日見事に保育園落ちたわ。
       どうすんだよ私活躍できねーじゃねーか。
                   (ブログ冒頭部分)
   

  匿名のブログである
「議論のしようがない」と言っていた政府だったが
ネット上でブログに共感する声が広がると、国会で審議され、政府は待機児童への政府対応を強調しはじめた。
その裏には、世論の大勢が政権批判に転じないよう、必死に安泰を願う政権の姿が見えてくる。

 ブログの内容は2/29の衆院予算委員会で民主党の山尾志桜里氏が取り上げ、
メディアが飛びつき、ブログが躍った。

 「社会が抱える問題を浮き彫りにしている」と山尾氏が迫れば、
首相は「実際に起こっているのか確認のしょうがない、これ以上議論しょうがない」とそっけない反応だった。

 「保育制度の充実は必要」と、反発した市民らはネット上で暑名活動を展開。
 数万人規模の署名を山尾氏に提出。

 野党はここぞとばかりに、政権批判のボルテージをあげる。
 発端となったブログをフェイスブックで共感を表す「いいね!」が押された件数は

 4万6千件
(3/9報道)を超えたという。

  「児童待機問題」に一石を投じ、政権を動かしたという意味では、
  意味のあるブログだったのかもしれない。

 しかし、私はこのブログを巡る一連の騒動に、違和感を持っている。
 次回はそのことに触れたい。
         (つづく)               
(2016.03.19記)