つわものたちの夢の跡・Ⅱ
(11)満開、京都の桜
京都の春は、満開の桜からはじまる。
周囲を山や丘陵に囲まれた盆地のため、標高の低い街中から桜の開花がはじまる。
市内が満開になったあと、四方の山へ桜前線がいっせいに広がっていく。
市内の桜が盛りを過ぎたころ、嵐山、嵯峨野で桜の花が咲く。
あとを追うように鞍馬寺や、大原の里で桜の花が満開の時を迎える。
和裁塾で迎える2年目の春。
すずが塾へ通う途中で、満開の桜に思わず驚きの声をあげる。
「去年は、桜を見る余裕がありませんでしたが、
綺麗なものです・・・たくさん咲くのですねぇ、市内に、桜の花が」
「明けれも暮れても、ひたすら運針に没頭した1年だもの。
塾生の中であんたほど不器用で、要領と呑み込みが悪くて、
上達の遅い子は初めてです。
けどなぁ。2年生になった中で運針だけなら、あんたが1番や。
1年生は、ひたすら我慢をする時です。
それを乗り越えた子だけが、ご褒美に、こんな綺麗な桜が見られます」
1年間。すずを見守ってくれた和子は、この春から最終学年にすすむ。
4年間、見続けてきた塾の行き帰りの桜も、この春で見納めになる。
「あとで天神さん(北野天満宮)へ行こうか。
桜も満開やし、なによりも天神さんは、学問の神様や。
ウチ等の守り神みたいなもんやから、お願いをしておいて絶対に損は無い。
毎月25日は、天神さんの縁日で、賑やかに蚤(のみ)の市が立つ。
美術品や骨董品。アンティーク着物なんかを扱う露店がずら~と軒を並べる。
ひとつひとつひやかして歩くのも、楽しいもんやでぇ」
「北野天満宮が、すぐ近くに有るなんて、初めて知りました・・・」
「運針に明け暮れた1年だもの。周りが見えないのは当り前のことです。
天神さんだけやあらへんで。
金閣寺にも歩いて行けるし、きぬかけの路から見る、桜の様子も絶景や」
「きぬかけの路?」
「市道183号のことや。別名は鞍馬口通り。
第59代の宇多天皇が真夏に雪景色が見たいと言い出し、
衣笠山に白絹をかけて覆い、雪景色に見せたという故事から、
「きぬかけの山」と呼ばれているんや。
衣笠山の麓に沿って、足利義満が隠居所として建てた金閣寺から、
禅の境地を表す石庭で有名な龍安寺を経て、御室の仁和寺に至るまでの
2.5キロほどの通りを、きぬかけの路と呼ぶんや」
「和裁の技術も凄いですけど、物知りなんですねぇ、先輩は」
「天神さんも、きぬかけの路の話も、全部わたしの面倒を見てくれた
先輩からの受け売りです。
あんたも先輩になったら、後輩たちに教えてあげるといいわ。
ついでにもうひとつ。
塾生の外泊は禁止だけど、ひとつだけ抜け道があるの。
肉親から事前に連絡が有った場合だけ、外泊が許されるという決まりがあるの。
みんな、それを逆手にとって活用しているわ。
手紙を書いてボーイフレンドに、肉親になりすませて電話を入れさせるの。
会いたいでしょう、あなただってボーイフレンドに?」
(特にそういう人は居ません・・・)と言いかけて、すずが言葉を呑み込む。
塾の先輩たちは和裁の指導もしてくれるが、もう一方で多感な少女たちの欲求を
ひそかに満たすための裏技も、抜け目なく教えてくれる。
(そういえば、東京へ行った勇作はいまごろどうしているんだろう。
忙しすぎて、手紙を書くことさえ忘れていました・・・)
ハラハラと散り急ぐ桜の木の下で、すずが久しぶりに勇作のことを
少しだけ、懐かしい思いで胸に甦らせている。
(12)へつづく
つわものたち、第一部はこちら
(11)満開、京都の桜
京都の春は、満開の桜からはじまる。
周囲を山や丘陵に囲まれた盆地のため、標高の低い街中から桜の開花がはじまる。
市内が満開になったあと、四方の山へ桜前線がいっせいに広がっていく。
市内の桜が盛りを過ぎたころ、嵐山、嵯峨野で桜の花が咲く。
あとを追うように鞍馬寺や、大原の里で桜の花が満開の時を迎える。
和裁塾で迎える2年目の春。
すずが塾へ通う途中で、満開の桜に思わず驚きの声をあげる。
「去年は、桜を見る余裕がありませんでしたが、
綺麗なものです・・・たくさん咲くのですねぇ、市内に、桜の花が」
「明けれも暮れても、ひたすら運針に没頭した1年だもの。
塾生の中であんたほど不器用で、要領と呑み込みが悪くて、
上達の遅い子は初めてです。
けどなぁ。2年生になった中で運針だけなら、あんたが1番や。
1年生は、ひたすら我慢をする時です。
それを乗り越えた子だけが、ご褒美に、こんな綺麗な桜が見られます」
1年間。すずを見守ってくれた和子は、この春から最終学年にすすむ。
4年間、見続けてきた塾の行き帰りの桜も、この春で見納めになる。
「あとで天神さん(北野天満宮)へ行こうか。
桜も満開やし、なによりも天神さんは、学問の神様や。
ウチ等の守り神みたいなもんやから、お願いをしておいて絶対に損は無い。
毎月25日は、天神さんの縁日で、賑やかに蚤(のみ)の市が立つ。
美術品や骨董品。アンティーク着物なんかを扱う露店がずら~と軒を並べる。
ひとつひとつひやかして歩くのも、楽しいもんやでぇ」
「北野天満宮が、すぐ近くに有るなんて、初めて知りました・・・」
「運針に明け暮れた1年だもの。周りが見えないのは当り前のことです。
天神さんだけやあらへんで。
金閣寺にも歩いて行けるし、きぬかけの路から見る、桜の様子も絶景や」
「きぬかけの路?」
「市道183号のことや。別名は鞍馬口通り。
第59代の宇多天皇が真夏に雪景色が見たいと言い出し、
衣笠山に白絹をかけて覆い、雪景色に見せたという故事から、
「きぬかけの山」と呼ばれているんや。
衣笠山の麓に沿って、足利義満が隠居所として建てた金閣寺から、
禅の境地を表す石庭で有名な龍安寺を経て、御室の仁和寺に至るまでの
2.5キロほどの通りを、きぬかけの路と呼ぶんや」
「和裁の技術も凄いですけど、物知りなんですねぇ、先輩は」
「天神さんも、きぬかけの路の話も、全部わたしの面倒を見てくれた
先輩からの受け売りです。
あんたも先輩になったら、後輩たちに教えてあげるといいわ。
ついでにもうひとつ。
塾生の外泊は禁止だけど、ひとつだけ抜け道があるの。
肉親から事前に連絡が有った場合だけ、外泊が許されるという決まりがあるの。
みんな、それを逆手にとって活用しているわ。
手紙を書いてボーイフレンドに、肉親になりすませて電話を入れさせるの。
会いたいでしょう、あなただってボーイフレンドに?」
(特にそういう人は居ません・・・)と言いかけて、すずが言葉を呑み込む。
塾の先輩たちは和裁の指導もしてくれるが、もう一方で多感な少女たちの欲求を
ひそかに満たすための裏技も、抜け目なく教えてくれる。
(そういえば、東京へ行った勇作はいまごろどうしているんだろう。
忙しすぎて、手紙を書くことさえ忘れていました・・・)
ハラハラと散り急ぐ桜の木の下で、すずが久しぶりに勇作のことを
少しだけ、懐かしい思いで胸に甦らせている。
(12)へつづく
つわものたち、第一部はこちら
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