落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(134)

2013-11-12 09:49:40 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(134)
「荒地の果てに見えるのは、土に生きる男たちの夢」




 『康平~、康平~』と呼ぶ声がどこからか聞こえてきます。
枯れ草をかき分けながら桑畑の下見を繰り返していた五六が、その声を聞きつけて足を停めます。
(気のせいかな・・・・さっきから女の声が、康平を呼んでいるように聞こえるぞ)
本格的な伐採作業にそなえ、桑の木を撤去するために男たちは下調べの真っ最中です。
康平も風に混じって聞こえてくる、自分を呼んでいるような女の声に立ち止まり耳を澄ませています。


 「美和子の声のようにも聞こえたが、そんなはずがない。
 あいつは行方不明のはずだし、だいいち、身重の女が、こんな荒れ地に現れるはずがない」


 「そうか?。でもよ、康平。
 たしかに俺にも聞こえたぜ。誰かやって来たんじゃないか、上の道まで」



 藪のように桑の木と枯れたツルが絡まっているここからは、まったく眺望が利きません。
荒れ放題になっている桑の木と、伸び放題の蔓草(つるくさ)が勝手気ままに絡みついている
かつての桑園は、内部へ立ち入ってきた者の視界を遮るどころか、身動きすらままになりません。
『おう。なにやら、わしにも聞こえたぞ』と茂みの中から徳次郎老人が、ニョキッと顔を出します。


 「人生に悲観したおなごが、どうやら、ここで覚悟の自殺を遂げたと見える。
 あれはこの世に恨みを残しながら命を絶った、女の無念きわまる哀れな声じゃ。
 成仏せいよ。くわばら、くわばら」



 「バカジジィ!。くわばらを使うのは雷がやってきた時だろうが。
 生霊の声ではなく、あれは誰が聴いても、若い女が誰かを呼んでいる声だろう」


 「康平と呼んでいるように、わしにもはっきり聞こえたぞ。
 さては康平が、生霊の女の生贄(いけにえ)にされてしまうのであろうかの?。
 お前も存外に、女どもには罪深い男だから身に覚えがあるであろう。
 それもまた止むを得ない出来事か。運が無いのうお前さまも。くわばら、くわばら」


 「だからそのくわばらは、いい加減にしろと言っているだろうが、この糞ジジィ。
 ところでなんだ。康平が罪深いという、その根拠とは?」



 「おうよ。初恋で見初めた相手とは言え、嫁いで他人の妻となってしまった美和子に
 未練がましくいまだに恋焦がれた挙句、身ごもったと知ると、今度は結局、
 なんにもせずに、ついに見放してしまいよった。
 赤い糸で結ばれているなどと、あれほど得意げな顔をしてほざいていたくせに、
 いざとなれば、またあっさりと別の女じゃ。
 涼しい顔をして、英太郎の昔の女にまで手を出す始末じゃから、はたまた困ったもんじゃ。
 ところがのう、悪いことはできないもので、なんでも数日前から
 康平に関係した女どもが、まとまって、一斉に姿を消してしまったそうじゃ。
 ほれ。例の真っ赤なスポーツカーのおなごも、その座ぐり糸の千尋も一緒の様子じゃ。
 まったく罪深い男じゃのう。康平は。わしの知っている康平はもうすこし真面目で温厚だったが、
 最近の振る舞いはまるで、人の道に外れた、鬼畜のようじゃのう」


 「ふぅ~ん。そりゃあ確かに、上州人の風上にもおけない鬼畜の振る舞いだ。
 だが、意外に康平は女にモテるんだから、その程度の修羅場はお爺にも予想はできただろう。
 しかし、身ごもったくらいで手の平を返すように見捨ててしまったのでは、美和子も可哀相なものだ。
 なるほど。ジジィが言う通りに、確かにそれでは人の道にも反するな・・・・。
 ということはやっぱり美和子は、この先を悲観して、すでに命を絶ったのか、哀れにも」



 「充分に考えられることじゃ。もとの旦那は国外逃亡をして帰ってこないというし、
 肝心の康平からも見捨てられてしまうでは、身重の身体でこの先を生きていても仕方がなかろう。
 どこかそのあたりで息が絶えたと見える。どれ可哀想だから、美和子の亡骸でも探しに行くか。
 お~い、美和子。ジジィが今から探しに行くからな。決して恨むではないぞ」



 「なんだかなぁ。くそジジィも随分と耄碌(もうろく)をしたと見える。
 そう言われてみれば確かにそうだ。
 ここ2~3日、千尋の姿も見えなければあの貞園という赤い車の女の子まで、まったく姿を見せなくなった。
 うるさいのが居なくなってほっとしたが、顔を見せないとなると急に寂しいものもある。
 だいいち、身重の美和子は、ほんとうに何処へ消えたんだ。
 やっぱりお前が、千尋のほうに色目を使ったことが、最終的に命取りになったようだな。
 ジジィが言うように、自殺したという可能性があるかもしれん。たしかに・・・・」



 「縁起でもない。馬鹿なことばかり言うなよ、2人して」と康平は、苦笑を返すばかりです。
『お~い、やっぱり見つけたぞ!。大変だ、こりゃ大変だぁ!』と突然背後から、大絶叫を繰り返す
徳次郎の声が、藪を越えてここまで響いてきます。


 「おっ、何か見つけたらしい。やっぱり只事ではなさそうだな、あの声の様子では」



 いち早い反応を見せた五六が、藪の中をかき分けながら声の方向を目指します。
藪の中は歩きにくく、足元からは常に枯れた蔓草がからまりつき、荒れて伸び放題の桑の枝は、
人の行く手を妨害するかのように、幾重にも重なって立ちはだかります。
ようやく藪をこぎ分けて上の道へ顔を出した五六も、負けずとばかりに大声をあげます。



 「お~い、大変だ、康平。ありえない事がついに起こっちまったぞ。
 早く来いよ。早く来ないとこいつはえらいことになるぜ。しかしまぁ、思いもかけない展開だ。
 大丈夫かよお前。無理をすんなよ、ひとりで無理して動くんじゃねぇ。
 早く来い、康平。お前の力で早いとこ、こいつを助け出してやれ!」

 (助け出す?。いったい何の話だ・・・・)訝りながら、康平も藪の中を進み始めます。
数年ぶりに、人の立ち入いりを許したかつての桑園は、その前進と後退のすべての人の動きを
遮るかのように、あらゆるものが進むたびに立ちふさがります。
足に絡みついた蔓草は容易に切れず、油断をすると上空からは蜘蛛の巣が顔面に襲いかかってきます。
数分をかけながら手と足にからまり続ける草たちを断ち切り、藪からようやく脱出を遂げると、
康平の前方に、母の千佳子の車が停っているのが見えます。


 「おう。やっと出てきたな。慌てたと見えて全身が蜘蛛の巣だらけで登場だ。
 美和子が助手席から出てきてここの様子を眺めたいそうだが、一人で立ち上がるのは大変なようだ。
 康平、手を貸してやれ。未来の花嫁に」



 助手席にもたれかかったままの五六が、車の屋根を叩きながらにんまりと笑っています。
はにかんだままの美和子が、もじもじとしたまま母の車の助手席に座っています。



 「男たちが夢中になっている夢の現場というやつを、しっかりと、自分の目で見たいそうだ。
 身重の体だ。無理はよくねぇ。助手席から立ち上がるのに手を貸してやれよ。
 桑の木は伸び放題でほとんど野生化をしているし、草も伸び放題で荒れ放題だ。
 歩けば蜘蛛の巣だらけになっちまう、どうにもならないかつての桑園のありのままの姿を見せてやれ。
 でもよう。美和子。半年も経ったら、またもう一度ここを見に来てくれ。
 ここはきっと綺麗な更地に変わり、たくさんの桑の苗がここに植えられるているはずだから。
 今のところの荒地の藪だが、この現実の姿ってやつもよく見ておいてくれ。
 男の夢が、こんなくだらない荒地から始まるということを、まもなく生まれてくる赤ん坊にも見せてやれ。
 美和子にまた、糸を紡がせるために、俺が桑の畑を育ててやるからって男らしく宣言をしろ。
 なぁ康平。そのくらいは、見栄を張ってもいいだろう。
 10年以上も美和子を待たせたんだ。そのくらいの甲斐性は美和子に言ってやれ。
 なぁ。その程度の決意をこいつから言って欲しいよなぁ、美和子も」


 「もういいわよ、五六さん。照れちゃうし恥ずかしいもの、顔から火が出そう」



 「バカ野郎。いまさら遠慮をすることはねぇ。
 ガキの頃に映画に誘っておきながら、簡単にすっぽかしちまったあいつが、すべて悪いんだ。
 あれから10年・・・・いや、高校卒業の前だから足かけで、13年目になるはずだ。
 だがよ。そういう康平も、お前さんだけの事を思って、不器用なままに13年間も生きてきた。
 ほら、早く迎えに来いよ、康平。助手席から美和子を出してやれよ」



 康平が助手席のドアを開けると、そのまま右手を美和子に向かって差し出します。
『ありがとう』と応えながら、美和子がゆっくりと助手席から降りてきます。
『康平。美和子を冷やすんじゃないよ。ほら』、羽織っていたショールを、千佳子が康平へ手渡します。
『2人でゆっくりとラブシーンをやってもいいけれど、私や五六や徳爺さんがまだ居るうちは、
がっついて、むしゃぶりついたりするんじゃないよ。はしたないからね、あっはっは』


 笑い声を残し、母の車がスルスルと後退をしていきます。
それに付き添うような形で五六と徳次郎老人もゆっくりと歩きながら、それぞれ
振り返りもせずに2人を残して、荒地から立ち去っていきます。




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