落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第12話 都をどり

2014-10-14 10:29:58 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第12話 都をどり



 「ヨ~イヤサ~」の掛け声とともにはじまる、春の「都をどり」。
京都の春は、祇園甲部の都をどりから幕をあける。
祇園甲部に籍を置くすべての芸妓と舞妓たちは、練習期間から含めると、
およそ2ヶ月あまりを、ほとんど休み無しで緊張した稽古と舞台の時間を過ごす。


 新人仕込みも、姉さん芸妓や舞妓の雑用に追われて大忙しになる。
忙しくなれば当然のこととして、失敗が増えて叱られる回数が多くなる。
気分も滅入り、ナーバスになってくる。だがそのかわり、良い出会いもやって来る。
都をどりの楽屋には、すべての屋形の仕込みたちが集まってくるからだ。


 普段は、舞の稽古場でしか会うことのない新人同士だ。
同じ境遇を過ごしている仕込みたちは、磁石で吸い寄せられる様に、
隙を見つけては、楽屋の片隅に集まる。
誰からともなく、抱えている悩みごとを喋りはじめる。
はじめて体験する都をどりは、仕込みたちにとってはひたすら辛い一ヶ月間だ。
だが楽屋の片隅で、桜の満開とともに仲良くなった同期の娘たちは、
やがて何でも相談しあえるかけがえのない祇園の戦友として、長い心の友になる。



 都をどりの期間中は休みがないと書いたが、現実ははるかに読者の想像を超える。
期間中は、1日2回から4回の公演が続く。
都をどりは重いかつらと衣装を身につけているため、ダンベルを両手に持ち、
腹筋を繰り返しているような状態になる。
きわめて過酷な全身運動だ。
早い話が、強制されて痩せるためのダイエット運動を繰り返しているようなものだ。

1回目の公演は昼ごろからはじまり、最終回は夕方になる。
だが、祇園甲部の舞妓と芸妓たちの仕事は、これで終わるわけではない。
1日の公演の終了後に、芸妓たちの本来の仕事であるお茶屋でのお座敷が待っている。
ほっとできるのは、お座敷の仕事が終わる真夜中だ。
祇園甲部の女たちは、朝から晩まで、いや夜中まで、まったく良く働く・・・
本当にお疲れ様だ。



 祇園には、甲と乙が存在する。
祇園の花街を二分して、四条通りから南側のことをいまでも「祇園甲部」と呼ぶ。
北側のことを、かつては「祇園乙部」と呼んでいた。
戦後になってから、名称が「東」とあらためられ、祇園東と呼ばれるようになった。


 「都をどり」の会場として知られている祇園甲部歌舞練場は、
祇園甲部の芸妓や舞妓の踊りの練習場として、大正2年に現在の地に移転された。
それ以前は、花見小路通りの西側にあった建仁寺塔頭清住院が、明治6年に
歌舞練場として改造され、都をどりの歴史も此処を会場にして始まった。


 かつての歌舞練場の客席は、およそ1200席ほどあった。
だが、1階のいす席が外国人観光客には狭過ぎるため、810席から580席に数を減らし、
いすを広くして、余裕をもって座れるように改装されてたため、
いまでは全部合わせても、900席余りになっている。



 頑張るんやでぇ~と、顔見知りになった屋形の女将が、ポンと清乃の肩を叩く。
「緊張せんでもええで。肩から力を抜いて、笑顔を作るんや。
そうや。うちが祇園にいてた頃のエピソードを、ひとつ聞かせてあげるから」と笑顔を見せる。
緊張でガチガチに固まっている仕込みたちが、いっせいに女将の周りに集まってくる。



 「今年で142回目になる都をどりで、たった一度だけどすが、
 素人さんが出はった年があるんどす。
 うちが出たての舞妓で、初めて「都をどり」をつとめた舞台どした。
 素人さん言うても、長年にわたり井上流をしてはった名取さんたちばかりどす。
 14人ほど、おでやになりやした。
 ところがベテランのはずのみなさんが、手を繋ぐ場面でビックリさせられました。
 みなさん、同じように手が震てはるんどす。
 うちらは出たてで、舞は下手ですが、毎日何回もお客様の前で舞ぅてるさかい
 以外と震えることはあらしません。
 それともうちらの神経が、ただ図太いだけなのか・・・ようわからんことですが。
 その頃は1日に4回の公演で、最終の3日間は、5回の公演です。
 素人さんは1人10日づつ出てはったけど、うちらは26日の間っずっと出っ放し。
 舞台終われば楽屋で急いで着替えて、パーツとお座敷にダッシュどす。
 『私ら10日でヒィヒィ言うてるのに、芸妓さんや舞妓さんは凄い!』て言うてはりました。
 で次の年は懲りはったんか、まったく素人のひとたちが集まらず、お流れとなり、
 結局は、その一回だけになりました。
 あっ!1人だけいはった。
 ニュースで知り、どうしても都をどりに出たいからと、わざわざ北海道から
 習いに来てはって、次の年、素人さん無いので気の毒だと、出してあげはったんです。
 その年と、次の年だけどしたなぁ。
 なかなか素人さんが舞台をつとめるのは大変やのどっせ。
 たしか、昭和54・55年頃の古い話しどす。
 あんたら、プロにしかつとまらん舞台に出はるんでっせ。気張らな、あきませんな!」

  
第13話につづく

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