アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(34)
第二幕、第一章(8)ちひろ絵本美術館
北アルプスのふもと、信州・安曇野に位置していて、
高瀬川・乳川・芦間川が流れる自然豊かな松川村、ここに今回の目的地のひとつ、
いわさきちひろの絵本美術館があります。(現在の安曇野ちひろ美術館)
かつて教科書にも載ったことがあるという神戸原扇状地が、村のシンボル「有明山」から美しく広がり、
その緑が豊かに広がりを見せる大地には、すでに初夏まじかの趣がありました。
2日目も、こうして快晴下でのドライブがはじまりました。
信州は、ちひろの両親の出身地です。
ちひろにとっては、幼い頃から親しんできた心のふるさとでもありました。
美術館のある松川村は、ちひろの両親が第二次世界大戦後に開拓農民として暮らしていた村です。
安曇野の自然にとけこむように設計された建物は、内藤廣氏の手によるもので、
周囲には北アルプスを望む36500㎡の安曇野ちひろ公園が広がっていて、清流の乳川(ちがわ)が脇を流れています。
ここはちひろの作品や、その人生に出会える場所であるとともに、世界の絵本画家の
作品にも出会える貴重な場所です。
第一展示室は、『ちひろの仕事』と命名されていました。
ちひろの代表作とその原画を中心に、1年に4回のテーマを決めて、
それぞれの時期にちひろの仕事と作品を展示している部屋になっています。
その次の第二展示室には、 『ちひろの人生』と名前がつけられています。
ちひろが誕生してから没するまでを時系列に沿って、人生で重要であったと思われる
いろいろな出来事などを追いながら紹介をする部屋になっています。
素描やスケッチ、遺品などもたくさん展示されていて、ちひろの全体的な人間像が浮き彫りにされています。
さらに、第三展示室には、世界の絵本画家 散逸しがちな絵本の原画を保存するための、
国際的なコレクションが展示されていました。
アジア・ヨーロッパ・アメリカなど、国籍もさまざまな作家たちが
一堂に取り上げられています。
第一展示室で、順平の車いすがピタリと止まってしまいました。
自ら車輪を手繰ってちひろの原画への接近を繰り返しています。
席を外していたレイコが戻ってきて、優しく後ろから順平の背中を支えました。
「順平。ゆっくり見ていていいそうですよ。
茜さんたちは、一通り見てから、テラスでお茶を飲むそうです。
後から合流をしましょうということで、今、お二人を見送ってきました。
よかったわね、優しい人たちで。」
1940年代から50年代にかけてのちひろは、油彩画などを数多く手がけており、
作家としての仕事は広告ポスターや雑誌、教科書のカットや表紙絵などが主なものでした。
1952年頃から始まったヒゲタ醤油の広告の絵は、ほとんど制約をつけずに、ちひろに自由に筆を
ふるわせてくれた貴重な仕事でした。
1954年にはその仕事ぶりが認められて、朝日広告の準グランプリを受賞しています。
ヒゲタ醤油の挿絵は、ちひろが童画家として著名になってからもおよそ20年間余りにわたってつづきました。
1956年の、福音館書店の月刊絵本シリーズ『こどものとも』12号で小林純一の詩に挿絵をつけて
『ひとりでできるよ』を制作します。
これがちひろにとっての、初めての絵本となりました。
この頃のちひろの絵には、少女趣味だ、かわいらしすぎる、もっとリアルな
民衆の子どもの姿を描くべきなどの批判が多くあり、ちひろ自身もそのことを深く思い悩んでいたようです。
転機となったのは、1963年(44歳)の時です。
雑誌『子どものしあわせ』の表紙絵を担当するようになったことが、
その後の作品に大きく影響を与えることになりました。
「子どもを題材にしていればどのように描いてもいい」という依頼に、ちひろはこれまでの迷いを捨て、
自分の感性に素直に描いていく決意を固めます。
1962年に書かれた作品『子ども』を最後に、油彩画をやめて、これ以降は、もっぱら水彩画に専念することになります。
この後に今日ではよく知られている、透明水彩の色調の中に繰り広げられるあくまでも
淡く・優しく・美しい・ちひろの世界が花開きます。
「透明水彩の絵の具の使いこなしが、非凡で独創的だね。
にじませたり、たらしこんでみたり
独特のぼやかした輪郭の技法を駆使した上に、これ一本しかないという、
説得力を持つ線で対象物を描ききっているんだよ。
なみに技術力では、とてもここまでの表現がはできない。
レイコ・・・この人はデッサンの天才だ。
こんな凄い描線も初めて見たよ、
子供たちの表情は、実に無邪気で、
まるで生きているようだ。」
「ほんとう。
どれも生き生きとした愛らしい子供たちだわ。
原画の持っている技法のことは、私にはよくは解らないけど、
たしかに、すごい説得力を感じるもの。
順平が言うように・・・
この人は、天才よね。」
「たしかにね。
この人の才能には、嫉妬さえするね・・・」
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
第二幕、第一章(8)ちひろ絵本美術館
北アルプスのふもと、信州・安曇野に位置していて、
高瀬川・乳川・芦間川が流れる自然豊かな松川村、ここに今回の目的地のひとつ、
いわさきちひろの絵本美術館があります。(現在の安曇野ちひろ美術館)
かつて教科書にも載ったことがあるという神戸原扇状地が、村のシンボル「有明山」から美しく広がり、
その緑が豊かに広がりを見せる大地には、すでに初夏まじかの趣がありました。
2日目も、こうして快晴下でのドライブがはじまりました。
信州は、ちひろの両親の出身地です。
ちひろにとっては、幼い頃から親しんできた心のふるさとでもありました。
美術館のある松川村は、ちひろの両親が第二次世界大戦後に開拓農民として暮らしていた村です。
安曇野の自然にとけこむように設計された建物は、内藤廣氏の手によるもので、
周囲には北アルプスを望む36500㎡の安曇野ちひろ公園が広がっていて、清流の乳川(ちがわ)が脇を流れています。
ここはちひろの作品や、その人生に出会える場所であるとともに、世界の絵本画家の
作品にも出会える貴重な場所です。
第一展示室は、『ちひろの仕事』と命名されていました。
ちひろの代表作とその原画を中心に、1年に4回のテーマを決めて、
それぞれの時期にちひろの仕事と作品を展示している部屋になっています。
その次の第二展示室には、 『ちひろの人生』と名前がつけられています。
ちひろが誕生してから没するまでを時系列に沿って、人生で重要であったと思われる
いろいろな出来事などを追いながら紹介をする部屋になっています。
素描やスケッチ、遺品などもたくさん展示されていて、ちひろの全体的な人間像が浮き彫りにされています。
さらに、第三展示室には、世界の絵本画家 散逸しがちな絵本の原画を保存するための、
国際的なコレクションが展示されていました。
アジア・ヨーロッパ・アメリカなど、国籍もさまざまな作家たちが
一堂に取り上げられています。
第一展示室で、順平の車いすがピタリと止まってしまいました。
自ら車輪を手繰ってちひろの原画への接近を繰り返しています。
席を外していたレイコが戻ってきて、優しく後ろから順平の背中を支えました。
「順平。ゆっくり見ていていいそうですよ。
茜さんたちは、一通り見てから、テラスでお茶を飲むそうです。
後から合流をしましょうということで、今、お二人を見送ってきました。
よかったわね、優しい人たちで。」
1940年代から50年代にかけてのちひろは、油彩画などを数多く手がけており、
作家としての仕事は広告ポスターや雑誌、教科書のカットや表紙絵などが主なものでした。
1952年頃から始まったヒゲタ醤油の広告の絵は、ほとんど制約をつけずに、ちひろに自由に筆を
ふるわせてくれた貴重な仕事でした。
1954年にはその仕事ぶりが認められて、朝日広告の準グランプリを受賞しています。
ヒゲタ醤油の挿絵は、ちひろが童画家として著名になってからもおよそ20年間余りにわたってつづきました。
1956年の、福音館書店の月刊絵本シリーズ『こどものとも』12号で小林純一の詩に挿絵をつけて
『ひとりでできるよ』を制作します。
これがちひろにとっての、初めての絵本となりました。
この頃のちひろの絵には、少女趣味だ、かわいらしすぎる、もっとリアルな
民衆の子どもの姿を描くべきなどの批判が多くあり、ちひろ自身もそのことを深く思い悩んでいたようです。
転機となったのは、1963年(44歳)の時です。
雑誌『子どものしあわせ』の表紙絵を担当するようになったことが、
その後の作品に大きく影響を与えることになりました。
「子どもを題材にしていればどのように描いてもいい」という依頼に、ちひろはこれまでの迷いを捨て、
自分の感性に素直に描いていく決意を固めます。
1962年に書かれた作品『子ども』を最後に、油彩画をやめて、これ以降は、もっぱら水彩画に専念することになります。
この後に今日ではよく知られている、透明水彩の色調の中に繰り広げられるあくまでも
淡く・優しく・美しい・ちひろの世界が花開きます。
「透明水彩の絵の具の使いこなしが、非凡で独創的だね。
にじませたり、たらしこんでみたり
独特のぼやかした輪郭の技法を駆使した上に、これ一本しかないという、
説得力を持つ線で対象物を描ききっているんだよ。
なみに技術力では、とてもここまでの表現がはできない。
レイコ・・・この人はデッサンの天才だ。
こんな凄い描線も初めて見たよ、
子供たちの表情は、実に無邪気で、
まるで生きているようだ。」
「ほんとう。
どれも生き生きとした愛らしい子供たちだわ。
原画の持っている技法のことは、私にはよくは解らないけど、
たしかに、すごい説得力を感じるもの。
順平が言うように・・・
この人は、天才よね。」
「たしかにね。
この人の才能には、嫉妬さえするね・・・」
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
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