落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第43話 嵯峨野と、サングラス

2014-11-21 12:07:20 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第43話 嵯峨野と、サングラス




 嵯峨野は言わずと知れた、京都を代表する観光地だ。
誰もが一度は訪れたことがある、嵐山の渡月橋。枯山水の龍安寺。
衣笠山の裾野を走るきぬかけの道。
西へ向かうこのコースは、京都屈指の景勝地がつづく。
歴史と物語に彩られた古い社寺と、景勝地の連続は訪れる人たちの心を
遠い時代へ招いてくれる。


 嵐山の北東に広がる嵯峨野には、平安時代に貴族たちが建てた
数多くの別荘や庵がある。
貴族が愛したこの場所は、1000年を経たいまでも多くの人たちに愛されている。
時代が変わっても、此処の景色は何ひとつとして、変っていない。
時間を超えた普遍的な美しさが、多くの人々の気持ちを此処へとひきつける。



 嵯峨野でもっとも知られているのが、野宮神社から大河内山荘へ至る、
ゆったりとした竹林の道だ。
いつもよりゆっくりと歩く事で、風が運んでくる竹のさわやかな香りと、
隙間から注ぐ柔らかい日差しをぞんぶんに、感じることが出来る。
時の感覚を忘れ、ゆっくりとただ、目の前を歩いていく
それだけで、自然に溶け込んでいくときの心地良さを、存分なまでに味わえる。

 平安時代。平清盛に寵愛された祗王(ぎおう)という白拍子は、
新たな女性の登場とともに、寵愛を失った。
祗王は世の無情を嘆き、尼となり、この嵯峨野の地に移り住んだ。
この時、祗王は華も香る21歳。
その後、一生を尼として仏門に捧げ、嵯峨野で生涯を終えたと伝わっている。

 
 「祗王(ぎおう)は、悲劇の白拍子どすなぁ。
 平家物語や源平盛衰記の中には、たくはんの白拍子たちが登場すんのどす。
 白拍子の祇王は、平清盛の寵愛を受けました。
 加賀の国から仏御前という白拍子が上洛して、清盛に舞を見てほしいと
 自ら願い出んのどす。
 清盛は「祇王がいるので、舞は十分や」言うて、面会を断るんどす。
 けれど哀れに思った祇王のとりなしで、仏御前は清盛の前で、
 舞を披露すんのどす。
 すると清盛は仏御前の美しさに心を奪われ、祇王を屋敷から、
 非情にも追い出してしまうんどすなぁ。
 寂しい想いで立ち去っていく祇王に、身を救われた仏御前は、
 「2人の友情は、終生変わりません」と、告げるんどす」


 駅前でタクシーを降りた佳つ乃(かつの)が、白拍子の古事を語る。
ついでに美しい奥嵯峨を巡りながら、祗王ゆかりの祇王寺まで、
ぶらりと歩いて行こうと言い出した。
いつの間に用意したのだろうか。佳つ乃(かつの)はすでに、運動靴を履いている。



 「さぁ。歩くわよ。ウチはこう見えても健脚どす。うふふ。嘘どす。
ホントは運動不足のただの30女どす。ねぇお願いがあるんどす。
ウチが疲れたら、可哀想だと思って、背負ってね」
嬉しそうに笑いながら、軽装の佳つ乃(かつの)が祗王寺までの
ハイキングコースを歩き出す。


 「仏御前は祇王に代わり、清盛からの寵愛を受けるんどすなぁ。
 一方、追い出された祇王は、妹の祇女、母の刀自の3人で尼として出家し、
 嵯峨で貧しい暮らしをはじめるんどす。
 これを知った仏御前は、胸を痛めて、心がとがめますなあ。
 自身も出家して、嵯峨野に祇王を訪ねます。
 祇王は驚きますが、仏御前の決心を知り、快く受け入れるんどす。
 以降、4人で仲良く一緒に暮らした。と謡曲の「祇王」に描かれてます。
 仏御前は17歳。祇王が21歳。祇女は19歳。
 現生を諦めて出家するには、あまりにも若過ぎる年齢どすなぁ・・・」


 4人が暮らした庵は、嵯峨天皇ゆかりの大覚寺の塔頭(たっちゅう=小寺)の尼寺だ。
法然上人の弟子・良鎮(りょうちん)が創建した、往生院の跡地の中にある。
1895(明治28)年。当時の京都府知事・北垣国道が祇王の物語を知り、
嵯峨にあった自分の別荘の庵室を寄贈し、これを本堂として現在の地に、
祇王寺を建てたといわれている。

 
 1時間ほどゆっくり歩いた後、ようやく祇王寺に着く。
2人は肩を並べて古びた草庵の本堂と、こけむした青い庭を眺める。
若い尼僧たちは、こんな鬱蒼とした「山奥」で、どのようにして4人で
暮らしたのだろうか・・・
そんな想いに心を馳せた瞬間。本堂の奥からがやがやと人の声が流れてきた。
日傘をさした着物姿の一団が、突然、2人の目の前に現れた。



 一目でそれと分かる、花街の大きなお姐さんたちの一団だ。
供養でも有ったのだろうか。めいめいが手に手に小さな荷物を持っている。
ぞろぞろとした着物の一団が、花街の白粉の匂いを残して、路上似顔絵師の前を、
悠然と通り過ぎていく。
お姐さんの一団をやり過ごした後、やれやれと似顔絵師が背後を振り返った瞬間、
佳つ乃(かつの)の姿が見えないことに、初めて気が付く。


 最後尾を歩いていたお姉さんが、にっこりと路上似顔絵師を振り返る。
「売れっ子芸妓が、日傘も持たんで外出するとは、言語道断どすなぁ。
あわてて顔を隠すのなら、サンブラスくらいは用意しいと、
あの妓に伝えてくださいな」
はい、と呆気に取られている路上似顔絵師に、持っていた日傘と
薄いブルーのサングラスを、そっと手渡す。


第44話につづく

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