落合順平 作品集

現代小説の部屋。

赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (49)

2017-02-15 18:52:14 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (49)
 幅1m足らずの県境の道



 「飯豊山へ登る?。いいねぇ、行っといで。
 幅が3尺の登山道が、延々、7キロ以上も続いている。
 行ってみる価値は充分にあるよ。行っといで、行っといで」


 市が「いいところだよ」と清子の背中を押す。
飯豊山は、山岳信仰の山。
越後、会津、出羽の3国の境にそびえたち、3国を見下ろす山でもある。
山から生まれた水は、阿賀野川、荒川、最上川となり、3国の山野に恵みをもたらす。
飯豊山への参詣は、近隣の住民にとって、大人になるための通過儀礼であり、
男子が13〜15歳になると、飯豊山に登るのがしきたりになっている。


 明治時代に実施された廃藩置県が、火種を産んだ。
会津の一部であった東蒲原郡が、福島県から切り離された。
この結果。飯豊山神社の奥宮は新潟県東蒲原郡実川村(現・阿賀町)に
編入されることになった。
これに、飯豊山神社の麓宮をもつ耶麻郡一ノ木村(現・喜多方市)が、猛反発した。
山頂の奥宮と麓宮は、一体のものとして崇拝されてきたからだ。


 1907年。内務省の裁定により、飯豊山までの参詣道は一ノ木村の土地として
正式に認められた。
現在のいびつな形の福島・新潟・山形の県境は、これに由来する。
参詣道は、三国岳から御秘所(おひそ)、御前坂に至る4キロメートルの間は
幅約91センチメートル(3尺)。
飯豊山頂と飯豊山神社付近は、最大300メートルほどの幅になっている。



 「幅が1m足らずの県境の道が、7キロ以上も続いていくのですか。
 災難ですなぁ。
 へその緒のような道を長々と打ち込まれてしまった、新潟県と山形県が」


 「あはは。そういう言い方も確かにあるね、清子。
 でもね。飯豊山は神聖な山だ。
 喜多方に生まれた男たちは13~4歳になると、一人前の男の証明として、
 この山へ登山するんだ」


 「山岳信仰のようなものですか?」



 「登拝するときは飯豊山神社が発行した「鑑札」をもつ、地理に詳しい
 地元の「先達(せんたつ)」が、一般「道者(どうしゃ)」たちを引き連れてお山に入る。
 それぞれが白装束に身をまとう。
 塩、洗米、お金などを入れた頭陀袋を首から下げ、唱え言をあげながら登っていく。
 先達は道者たちに指示を与え、山での戒めを説く。
 危険なところでは、ワラ草履のヒモをきつく結ばせる。
 『御山晴天』『米をまかんしょ~』と唱え、安全祈願のために米をまく。
 道者を送り出したふもとの家では、生ものを絶ち、草刈りなどの金物を使う仕事を
 避けて、登山の安全を祈った。
 お山から戻ると、神社にお礼参りして無事を祝ったものさ」


 「え?。ということは、市奴姐さんも、飯豊山へ登ったのですか!」


 「あたりまえだ。あたしゃこう見えても男だよ。
 飯豊山は近年まで女人禁制のお山だった。
 江戸時代。禁を破って飯豊山中に入った小松のマエという女が、神の怒りに触れ、
 石に変えられたという伝説が有る」


 「じゃ、あたしと10代目が登山したら、石に変えられてしまうのですか!」

 
 「大丈夫だよ、心配しないで行っといで。
 時代はすっかり変わった。
 女性でもいまは、大手を振って登れる山だ。
 山上に咲き乱れるお花畑は、想像を絶するほどの美しさを持っている。
 きっと病みつきになること、請け合いさ」



(50)へ、つづく

 落合順平 作品館はこちら