居酒屋日記・オムニバス (94)
第七話 産科医の憂鬱 ⑭
「おはよう。どこを見てほしいの?」奥に座っていた若い神の手が、
入って来た智恵子を見つめる。
「背中です。足もなんだか痺れが取れなくて…」と、智恵子が答える。
すかさず「じゃ、仰向けに寝てみて」と若い神の手から、指示が返って来る。
言われるまま智恵子が、床に仰向けに寝る。
「じゃ。診てみるね。力を入れないで、リラックスしてください」
神の手の若い指が、智恵子の足裏へ伸びていく。
指先に力は入っていない。
柔らかく数回、智恵子の足の裏を押す。
それが終ると、「じゃ、今度はうつ伏せに寝て」と次の指示がやってきた。
言われた通り、智恵子がうつ伏せに態勢をかえる。
神の手が、智恵子の背中へ伸びる。
肩甲骨から腰のあたりにかけて、やわらかく何度かもむように押していく。
「この痛みは、そうとう長いね。1回では治らないね。
そうだな。あと3回か4回来れば、良くなるかな。」と、若い神の手が
まるで独り言のようにつぶやく。
「それじゃ、とりあえず、痛みだけは取っておこうか」
若い神の手が立ち上がる。
ひょいと足を揚げ、智恵子の背中にまたがる。
ぐりぐりと突き立てた指先を、智恵子の背中へ押しこんでいく。
「よし、こんなもんだろう。はい、もういいよ。立ちがっても」
と神の手が、ふたたびつぶやく。
「終わったよ。これで、とりあえず背中の痛みは引くはずだ」
神の手が智恵子の背中を、かるくポンポンと叩く。
背中の治療は、あっというまに終了してしまった。時間にして、ほんの2~3分だ。
呆気にとられた表情のまま、智恵子が立ちあがる。
軽く背中を押されただけで、あっけなく治療が終了してしまったからだ。
背中を押された瞬間。何か尖ったもののようなもので押された感じがしたが、
それ以上のことは、何もない。
「すぐには無理だよ。多少の痛みは残っているはずだ。
あとはとにかく、背中をよく動かすことだな。
手術しちゃだめだよ。あと数回通えば、ホントに劇的に改善するから」
「また予約しておいてください」と、若い神の手が笑顔を見せる。
半信半疑のまま、智恵子が診察室をあとにする。
会計の窓口は、隣の部屋に有る。
財布を取り出そうとする智恵子を、背後から幸作が止める。
「君はいい。俺が払う。勝手に俺が予約したんだから」
「でも悪いわ、それじゃ」
「そのかわり、福島までの高速代を出してくれ」
「福島までの高速代?・・・
何の話よ。あなたの言っている意味が、よく分からないんだけど・・・・」
「説明はあとでする。とりあえず車に戻って、待っていてくれ」
智恵子が車のカギを受け取り、そのまま外へ出ていく。
次の予約客だろうか。中庭へ次の車がすべり込んできた。
邪魔にならないように、運転席側から智恵子が幸作の車に乗り込んでいく。
次の予約客と入れ替えに幸作が戻って来た。
「じゃ、行くよ」と、シートベルトを持ち上げる。
「行く?、行くって、どこへ?」
「行くんだろう、お前は。これから福島へ」
「なんであなたが一緒に行くわけ?。まったく意味が分からないわ」
「朝から、素敵な青空がひろがっている。
有るんだろう。安達太良山のうえには、智恵子が見た本当の青空が」
「え・・・
わざわざ福島まで行って、青空を見るの、あなたって人は・・・」
「可笑しいか?。俺が福島の青空を見たら」
「おかしくはないけど、唐突過ぎるでしょ、考え方が。
どうなってんのよ、あんたの頭の中は・・・」
「見たいんだよ。
安達太良山の上に有る青空と、光りながら流れていく阿武隈川を。
ついでに、お前さんが生まれた大玉村も見てみたい。
福島へ行くのは初めてだ。お前さんだけが頼りだ。
道案内をしてくれるんだろう?」
「地元だもの。道案内くらい、たやすいことです・・・
でもさ。びっくりするじゃないの。
いきなり、福島へ行こうなんて言い出すなんて」
「よく言うぜ。
真夜中に茨城県の那珂湊まで運転させたのは、いったい、どこの誰だ。
忘れたわけじゃないだろうな。
小悪魔を送っていった、あの晩の出来事のことを」
「あ・・・」
(95)へつづく
新田さらだ館は、こちら
第七話 産科医の憂鬱 ⑭
「おはよう。どこを見てほしいの?」奥に座っていた若い神の手が、
入って来た智恵子を見つめる。
「背中です。足もなんだか痺れが取れなくて…」と、智恵子が答える。
すかさず「じゃ、仰向けに寝てみて」と若い神の手から、指示が返って来る。
言われるまま智恵子が、床に仰向けに寝る。
「じゃ。診てみるね。力を入れないで、リラックスしてください」
神の手の若い指が、智恵子の足裏へ伸びていく。
指先に力は入っていない。
柔らかく数回、智恵子の足の裏を押す。
それが終ると、「じゃ、今度はうつ伏せに寝て」と次の指示がやってきた。
言われた通り、智恵子がうつ伏せに態勢をかえる。
神の手が、智恵子の背中へ伸びる。
肩甲骨から腰のあたりにかけて、やわらかく何度かもむように押していく。
「この痛みは、そうとう長いね。1回では治らないね。
そうだな。あと3回か4回来れば、良くなるかな。」と、若い神の手が
まるで独り言のようにつぶやく。
「それじゃ、とりあえず、痛みだけは取っておこうか」
若い神の手が立ち上がる。
ひょいと足を揚げ、智恵子の背中にまたがる。
ぐりぐりと突き立てた指先を、智恵子の背中へ押しこんでいく。
「よし、こんなもんだろう。はい、もういいよ。立ちがっても」
と神の手が、ふたたびつぶやく。
「終わったよ。これで、とりあえず背中の痛みは引くはずだ」
神の手が智恵子の背中を、かるくポンポンと叩く。
背中の治療は、あっというまに終了してしまった。時間にして、ほんの2~3分だ。
呆気にとられた表情のまま、智恵子が立ちあがる。
軽く背中を押されただけで、あっけなく治療が終了してしまったからだ。
背中を押された瞬間。何か尖ったもののようなもので押された感じがしたが、
それ以上のことは、何もない。
「すぐには無理だよ。多少の痛みは残っているはずだ。
あとはとにかく、背中をよく動かすことだな。
手術しちゃだめだよ。あと数回通えば、ホントに劇的に改善するから」
「また予約しておいてください」と、若い神の手が笑顔を見せる。
半信半疑のまま、智恵子が診察室をあとにする。
会計の窓口は、隣の部屋に有る。
財布を取り出そうとする智恵子を、背後から幸作が止める。
「君はいい。俺が払う。勝手に俺が予約したんだから」
「でも悪いわ、それじゃ」
「そのかわり、福島までの高速代を出してくれ」
「福島までの高速代?・・・
何の話よ。あなたの言っている意味が、よく分からないんだけど・・・・」
「説明はあとでする。とりあえず車に戻って、待っていてくれ」
智恵子が車のカギを受け取り、そのまま外へ出ていく。
次の予約客だろうか。中庭へ次の車がすべり込んできた。
邪魔にならないように、運転席側から智恵子が幸作の車に乗り込んでいく。
次の予約客と入れ替えに幸作が戻って来た。
「じゃ、行くよ」と、シートベルトを持ち上げる。
「行く?、行くって、どこへ?」
「行くんだろう、お前は。これから福島へ」
「なんであなたが一緒に行くわけ?。まったく意味が分からないわ」
「朝から、素敵な青空がひろがっている。
有るんだろう。安達太良山のうえには、智恵子が見た本当の青空が」
「え・・・
わざわざ福島まで行って、青空を見るの、あなたって人は・・・」
「可笑しいか?。俺が福島の青空を見たら」
「おかしくはないけど、唐突過ぎるでしょ、考え方が。
どうなってんのよ、あんたの頭の中は・・・」
「見たいんだよ。
安達太良山の上に有る青空と、光りながら流れていく阿武隈川を。
ついでに、お前さんが生まれた大玉村も見てみたい。
福島へ行くのは初めてだ。お前さんだけが頼りだ。
道案内をしてくれるんだろう?」
「地元だもの。道案内くらい、たやすいことです・・・
でもさ。びっくりするじゃないの。
いきなり、福島へ行こうなんて言い出すなんて」
「よく言うぜ。
真夜中に茨城県の那珂湊まで運転させたのは、いったい、どこの誰だ。
忘れたわけじゃないだろうな。
小悪魔を送っていった、あの晩の出来事のことを」
「あ・・・」
(95)へつづく
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