落合順平 作品集

現代小説の部屋。

居酒屋日記・オムニバス (89)        第七話  産科医の憂鬱 ⑨

2016-06-17 09:37:43 | 現代小説
居酒屋日記・オムニバス (89) 
      第七話  産科医の憂鬱 ⑨



 丑三つ時の宴会がはじまった。
消沈しかけていた酒盛りが、ふたたび勢いを取り戻した。
時刻はすでに、深夜の2時を回っている。
幸作と独身の産婦人科医。
突然飛び込んできた鉄筋女子の智恵子と、連れの20そこそこに見える若い女の4人が、
テーブルを取り囲み、「乾杯~」と怪気炎をあげる。



 (どうなってんだ、この展開は・・・訳がわからねぇ
 智恵子が連れてきたこの若い女は、いったいどこの何者なんだ?)


 日本酒を飲み乾したあと、幸作が智恵子の耳へぼそりとつぶやく。
(それがさぁ・・・)と智恵子が、声を潜める。



 (何がどうなってんだか、あたしにも、よくわかんないんだよ)


 (よくわからねぇ?。
 おいおい。お前がひろってきたんだろう、そのあたりのスナックから)



 (閉店なのに、まだ帰りたくないと駄々をこねているから、連れてきただけさ。
 あたしだってこの子がどこの何者なのか、まったくもって知りません)



 (おいおい。子犬か、小猫を拾ったわけじゃないんだぞ。
 夜中に駄々をこねていたら、見境なく拾ってくるのかよ、お前さんは!)


 (仕方ないじゃないの。帰りたくないって、本気で泣いていたんだもの)


 (帰れない事情が有るのか、この子には?)


 (それがさ。どうやらはらんでいるみたいなのよ、この子・・・)


 (はっ、孕んでる・・・ほっ、ホントかよ!)




 幸作があわてて、若い女の下腹部へ目を走らせる。
ふっくりとしている。
だがそれだけで、妊娠しているとは断定できない。



 (おい・・・ふっくりしているが、妊娠しているようには見えないぞ)


 (個人差が有るのよ。臨月まで、まったく目立たない妊婦さんもいるんだから)


 (腹の出ない妊婦も居るのか、へぇぇ・・・)



 2人のヒソヒソ話へ産婦人科医が、聞き捨てならないなと口をはさんでくる。
(おい。本当か。この子が妊娠しているというのは・・・)
産婦人科のささやきに、ちんまりと座っていた若い女が、即座に答える。



 「はい。たぶん妊娠の6か月目です。
 もう中絶することは出来ないんでしょ、胎児が6か月目に入ってしまったら?」



 「たしかに中絶は出来ない。
 妊娠22週以降の中絶は、法律で禁止されているからね。
 堕胎罪にあたる。
 5週から11週までの妊娠初期なら、中絶費用は10万から15万程度。
 12週から21週までの妊娠中期は、ぐっとあがって20万から50万ほどかかる。
 んん・・・ちょっと待て。
 疑う訳じゃないが、ホントに妊娠しているのか、お前さんは!」



 「本人が言ってるんだもの。嘘じゃありません、ホントの話です」



 「安定期に入ったとはいえ、深夜まで酒を呑むとは妊婦として不謹慎すぎる。
 悪いことは言わん。家に帰った方がいい。
 君のためになるし、赤ちゃんのためにも、是非そうしたほうがいい」



 「産婦人科医みたいなことを言うわね、あんたって。
 大きなお世話です。何時まで飲もうが、夜遊びしょうがあたしの勝手です!」



 「そうはいかん。僕は本物の産婦人科医だ。
 こんな時間まで不摂生している妊婦を、見逃すわけにはいかん。
 もう帰れ。お腹の赤ちゃんに悪い影響を与えるだろう!」



 「ほっといてよ。生まれてきたって祝福されない子どもだもの。
 あたしと一緒に好きなだけ夜遊びして、お酒を飲んで、いまを楽しむだけです。
 いいでしょ。あたしの子供だもの。
 親子で好き勝手に楽しんでいるんだから、余計なことは言わないで頂戴!」



 「自暴自棄になっているな。妊婦らしくない発言だ。
 せっかく授かった命だろう。もっと大切に育ててあげたらどうだ」


 「大事にしていたら、いつのまにかおろせない状態になっちゃたのよ。
 だけど。ホントは切羽詰まっている状態なんだ、あたしだって・・・」


 
(90)へつづく


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