落合順平 作品集

現代小説の部屋。

居酒屋日記・オムニバス (88)        第七話  産科医の憂鬱 ⑧

2016-06-16 09:52:49 | 現代小説
居酒屋日記・オムニバス (88) 
      第七話  産科医の憂鬱 ⑧



 「まだ、大丈夫かしら?」



 なつかしい顔が、ガラス戸の向こうから店の中を覗き込む。
ひょっこりと顔を見せたのは、九州で働いているはずの鉄筋工の智恵子だ。
ニコッと笑った顔が、よく日に焼けていて、逞しい。
だが、智恵子ひとりではないようだ。
背後に人影のようなものがもうひとつ、ゆらりと動いている。



 それにしても時間的に、ただ事ではない。
まもなく丑三つ時(深夜2時過ぎ)になろうとしている時間だ。



 「この時間だ。大丈夫なはずがないだろう。
 しかし、とくに断る理由もない。
 群馬へ来ているのなら、電話1本くらい入れたらどうだ。
 まぁいい。外に連れもいるようだ。
 そんなところに突っ立ってないで、遠慮しないで中へ入ってくれ」



 「はい。じゃ、遠慮なく」智恵子がのそりと全身を見せる。
足取りがだいぶ重い。そうとう酔っているようだ。
「あんたも中へ入んな。許可はもらったから、遠慮することはない。
見かけは不愛想な店主だけど、料理の腕は、天下一品さ」と、
うしろを振り返る。



 カタリとガラス戸が揺れる。
20歳前後と思われる女が、よろけるように姿を見せる。
こちらも、かなり酔っている。
おぼつかない足取りのまま、女もまた、ふらふらと店の中へはいってくる。
見覚えはまったく無い。初めてみる女の顔だ。



 「何処で知り合ったんだ。こんな見るからに若い美人と・・・」



 小さな声でささやきかける幸作を、智恵子が怒りのこもった目で見上げる。



 (若い女を見るだけで、すぐに鼻の下を伸ばすんだね、あんたって!。
 不自由しているのかい、女に・・・
 それじゃ見るからに、女に飢えたオオカミの本性が丸出しだ)



 (そう言うな。だが、見るからに、いい女だ・・・
 どこで知り合ったんだ。こんな若いいい女と・・・)



 (ついさっき、そこのスナックで知り合いになった。
 ちょいと訳アリの女なんだ、こいつ。
 という理由で、あたしには手に余るから、仕方がないから、
 相談にのってもらおうと思って、ここへ連れてきた)



 (ついさっき、そこで知り合ったばかり?、おまけに訳アリの女?。
 何がどうなってんだ。俺にはさっぱり訳がわからねぇ・・・)



 (訳はそのうち、ボチボチと説明します。
 ねぇ、その前に、一杯飲ませてよ)



 あんたも呑むだろうと、智恵子が若い女を振りかえる。
「はい」と答えた女が、チョコンと智恵子の隣りに腰をおろす。
見るからにあどけない顔をしている。
もしかしたら20歳ではなく、もっと若いのかもしれない。



 「そこで呑んでる色男と同じ、熱燗がいいな。
 2~3本を適当に、手っ取り早く出しておくれよ」



 「おっ、姉さんも熱燗派かい。いいねぇ。
 こんなところで袖すりあうも、多少の縁。
 深夜に、美人が2人もこんな野暮な店へ飛び込んでくるとは、嬉しいね。
 おなじ日本酒呑みというのも、気に入った。
 熱燗がつくまで、わたしの酒でいっぱいやろう。
 そっちのお嬢ちゃんも、日本酒でいいのかな?」



 なりゆきを眺めていた産科医が、徳利をもって立ち上がる。
どうぞと2人の前に、幸作が猪口を置く。
丑三つ時と言えば、魑魅魍魎か、もののけが暗躍を始める時間帯だ。
とつぜんあらわれた鉄筋女子が、なぜか、夜中のひと波乱を予感させた。
荒れなきゃいいがと幸作が、なぜか胸騒ぎを覚える・・・

 

(89)へつづく


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