居酒屋日記・オムニバス (88)
第七話 産科医の憂鬱 ⑧
「まだ、大丈夫かしら?」
なつかしい顔が、ガラス戸の向こうから店の中を覗き込む。
ひょっこりと顔を見せたのは、九州で働いているはずの鉄筋工の智恵子だ。
ニコッと笑った顔が、よく日に焼けていて、逞しい。
だが、智恵子ひとりではないようだ。
背後に人影のようなものがもうひとつ、ゆらりと動いている。
それにしても時間的に、ただ事ではない。
まもなく丑三つ時(深夜2時過ぎ)になろうとしている時間だ。
「この時間だ。大丈夫なはずがないだろう。
しかし、とくに断る理由もない。
群馬へ来ているのなら、電話1本くらい入れたらどうだ。
まぁいい。外に連れもいるようだ。
そんなところに突っ立ってないで、遠慮しないで中へ入ってくれ」
「はい。じゃ、遠慮なく」智恵子がのそりと全身を見せる。
足取りがだいぶ重い。そうとう酔っているようだ。
「あんたも中へ入んな。許可はもらったから、遠慮することはない。
見かけは不愛想な店主だけど、料理の腕は、天下一品さ」と、
うしろを振り返る。
カタリとガラス戸が揺れる。
20歳前後と思われる女が、よろけるように姿を見せる。
こちらも、かなり酔っている。
おぼつかない足取りのまま、女もまた、ふらふらと店の中へはいってくる。
見覚えはまったく無い。初めてみる女の顔だ。
「何処で知り合ったんだ。こんな見るからに若い美人と・・・」
小さな声でささやきかける幸作を、智恵子が怒りのこもった目で見上げる。
(若い女を見るだけで、すぐに鼻の下を伸ばすんだね、あんたって!。
不自由しているのかい、女に・・・
それじゃ見るからに、女に飢えたオオカミの本性が丸出しだ)
(そう言うな。だが、見るからに、いい女だ・・・
どこで知り合ったんだ。こんな若いいい女と・・・)
(ついさっき、そこのスナックで知り合いになった。
ちょいと訳アリの女なんだ、こいつ。
という理由で、あたしには手に余るから、仕方がないから、
相談にのってもらおうと思って、ここへ連れてきた)
(ついさっき、そこで知り合ったばかり?、おまけに訳アリの女?。
何がどうなってんだ。俺にはさっぱり訳がわからねぇ・・・)
(訳はそのうち、ボチボチと説明します。
ねぇ、その前に、一杯飲ませてよ)
あんたも呑むだろうと、智恵子が若い女を振りかえる。
「はい」と答えた女が、チョコンと智恵子の隣りに腰をおろす。
見るからにあどけない顔をしている。
もしかしたら20歳ではなく、もっと若いのかもしれない。
「そこで呑んでる色男と同じ、熱燗がいいな。
2~3本を適当に、手っ取り早く出しておくれよ」
「おっ、姉さんも熱燗派かい。いいねぇ。
こんなところで袖すりあうも、多少の縁。
深夜に、美人が2人もこんな野暮な店へ飛び込んでくるとは、嬉しいね。
おなじ日本酒呑みというのも、気に入った。
熱燗がつくまで、わたしの酒でいっぱいやろう。
そっちのお嬢ちゃんも、日本酒でいいのかな?」
なりゆきを眺めていた産科医が、徳利をもって立ち上がる。
どうぞと2人の前に、幸作が猪口を置く。
丑三つ時と言えば、魑魅魍魎か、もののけが暗躍を始める時間帯だ。
とつぜんあらわれた鉄筋女子が、なぜか、夜中のひと波乱を予感させた。
荒れなきゃいいがと幸作が、なぜか胸騒ぎを覚える・・・
(89)へつづく
新田さらだ館は、こちら
第七話 産科医の憂鬱 ⑧
「まだ、大丈夫かしら?」
なつかしい顔が、ガラス戸の向こうから店の中を覗き込む。
ひょっこりと顔を見せたのは、九州で働いているはずの鉄筋工の智恵子だ。
ニコッと笑った顔が、よく日に焼けていて、逞しい。
だが、智恵子ひとりではないようだ。
背後に人影のようなものがもうひとつ、ゆらりと動いている。
それにしても時間的に、ただ事ではない。
まもなく丑三つ時(深夜2時過ぎ)になろうとしている時間だ。
「この時間だ。大丈夫なはずがないだろう。
しかし、とくに断る理由もない。
群馬へ来ているのなら、電話1本くらい入れたらどうだ。
まぁいい。外に連れもいるようだ。
そんなところに突っ立ってないで、遠慮しないで中へ入ってくれ」
「はい。じゃ、遠慮なく」智恵子がのそりと全身を見せる。
足取りがだいぶ重い。そうとう酔っているようだ。
「あんたも中へ入んな。許可はもらったから、遠慮することはない。
見かけは不愛想な店主だけど、料理の腕は、天下一品さ」と、
うしろを振り返る。
カタリとガラス戸が揺れる。
20歳前後と思われる女が、よろけるように姿を見せる。
こちらも、かなり酔っている。
おぼつかない足取りのまま、女もまた、ふらふらと店の中へはいってくる。
見覚えはまったく無い。初めてみる女の顔だ。
「何処で知り合ったんだ。こんな見るからに若い美人と・・・」
小さな声でささやきかける幸作を、智恵子が怒りのこもった目で見上げる。
(若い女を見るだけで、すぐに鼻の下を伸ばすんだね、あんたって!。
不自由しているのかい、女に・・・
それじゃ見るからに、女に飢えたオオカミの本性が丸出しだ)
(そう言うな。だが、見るからに、いい女だ・・・
どこで知り合ったんだ。こんな若いいい女と・・・)
(ついさっき、そこのスナックで知り合いになった。
ちょいと訳アリの女なんだ、こいつ。
という理由で、あたしには手に余るから、仕方がないから、
相談にのってもらおうと思って、ここへ連れてきた)
(ついさっき、そこで知り合ったばかり?、おまけに訳アリの女?。
何がどうなってんだ。俺にはさっぱり訳がわからねぇ・・・)
(訳はそのうち、ボチボチと説明します。
ねぇ、その前に、一杯飲ませてよ)
あんたも呑むだろうと、智恵子が若い女を振りかえる。
「はい」と答えた女が、チョコンと智恵子の隣りに腰をおろす。
見るからにあどけない顔をしている。
もしかしたら20歳ではなく、もっと若いのかもしれない。
「そこで呑んでる色男と同じ、熱燗がいいな。
2~3本を適当に、手っ取り早く出しておくれよ」
「おっ、姉さんも熱燗派かい。いいねぇ。
こんなところで袖すりあうも、多少の縁。
深夜に、美人が2人もこんな野暮な店へ飛び込んでくるとは、嬉しいね。
おなじ日本酒呑みというのも、気に入った。
熱燗がつくまで、わたしの酒でいっぱいやろう。
そっちのお嬢ちゃんも、日本酒でいいのかな?」
なりゆきを眺めていた産科医が、徳利をもって立ち上がる。
どうぞと2人の前に、幸作が猪口を置く。
丑三つ時と言えば、魑魅魍魎か、もののけが暗躍を始める時間帯だ。
とつぜんあらわれた鉄筋女子が、なぜか、夜中のひと波乱を予感させた。
荒れなきゃいいがと幸作が、なぜか胸騒ぎを覚える・・・
(89)へつづく
新田さらだ館は、こちら