居酒屋日記・オムニバス (39)
第四話 肉じゃが美人 ②

つぎの定休日。幸作は午後6時に、駅裏にある雑居ビルの前に立って居た。
北関東大前田組の若頭、安岡と約束した待ち合わせ場所だ。
時計の針が6時を指したとき、見覚えのある黒いベンツが目の前に停まった。
「待たせたな」後部座席から、スキンヘッドの安岡が降りてくる。
今日は何故かサングラスをかけていない。
それどころか、いつもの黒のスーツも着ていない。
何処から見てもこの近所に住んでいる、ただの中年男だ。
暇つぶしに、普段着でふらりと町へ出て来た。そんな雰囲気を漂わせている。
「どうした、その恰好は?。どう見ても、大前田組の若頭には見えないな。
どこかの勤め人か、暇を持て余している40ジジィの格好だ」
「このくらいでぇ、ちょうどええんや。
今日は若頭として来よったわけやない、ただの常連客のひとりとしてやって来た。
場所はここの3階や。準備中やけど、あいつはもう来とるはずや」
「常連客?。
ということは3階で待っているのは、ここで営業しているママさんか?」
「おう。とびっきり上玉のママさんやぞ。
やっ、失敬した。今日は若頭やない、普通のジジィとして来よったんや。
このあたりにゃ珍しい、とびっきりの美人や。
やけどなぁ。天は2物を与えずでぇ、顔はええんやけど料理の腕がいまいちや。
いろいろ作ってくれんやけど、どれを食ってもいまいちでぇ、
まるっきし美味くなぁ。
ほんでワレの腕を見込んだ、ちゅうわけや」
「たかがスナックだろう。料理にそこまで、こだわることもないだろう。
適当に乾きものを並べて、それで充分だろう」
「たまに食うのやったら我慢は出来る。やけど毎日食わされる俺はたまらん。
へたくそくそにも限度がある。
盛り付けも工夫しとるし、上品や。使う素材にも神経を使っとる。
センスは有るって思おんやけど、味付けのほうがいまいちや。
ワレの腕でぇなんとかしてくれ。
コツさえ覚えれば料理の腕も、ひと皮むけるって、俺は信じとる」
「料理はあきらめて、ママさんの綺麗な顔だけ眺めていればいいだろう。
どうせ遊びなんだろう、いつものように」
「遊びやなぁぞ、今回だけは!。
ここだけぇの話、実は本気でぇ、ママにぞっこん惚れちまった。
正式に申し込んでぇ、しゅーげんあげるつもりでぇおる。
そないなってみろ。毎日、ママが作るメシを食わされることになる。
上手ぇに味付けがでぇきるようになれば、ワイの食生活もそれだけぇ豊かになる。
店にやって来る客たちも、それなりによろこぶ。
どや一石二鳥やろ。ワイも幸せになるし、みんなもおおいに喜ぶ。
それに例の一件も、いっきに解決するから万々歳や」
安岡の、魂胆のすべてがようやく見えてきた。
惚れた女が、美味い肉じゃがを作れるようになれば、すべてが順調にかたずく。
幸作の前にベンツを止めたあの日。安岡は、困り果てていた。
「なぁに、ことのはじまりは、大しいたことはなぁ。
若いもんが、美人に料理がうまい奴は居なぁって言い張るから、カチンて来た。
そんなことは無い、おれの女は美人やけど、料理も旨いって大見栄を張った。
そいつが作る肉じゃがは絶品やって、思わず、自慢しちまった。
そいつがワイのつまづきのはじまりや・・・」
「つまづきのはじまり?。
若い者に、見栄を張っただけだろう。
俺が言い過ぎたとひとこと謝れば、それで終わるはずだろう?」
「あかんことに、外泊許可をもろて会長が帰って来とった。
そないに美味いのやったら、この世の名残にワイにも食わせろって、
隣の部屋から出てきよった。
相手ぇがあかん。すみません、嘘やったっとは、口が裂けても言えなぁ。
はい分かりました、会長にはのちほど届けますからって、話を誤魔化した。
ちゅうわけで、第一関門は若い衆たちの味見だ。
そのあとの第二関門は、会長の試食や。
そないな訳やから是が非にでもママはんに、絶品の肉じゃがの作り方を
教えてやってくれ!」
(40)へつづく
新田さらだ館は、こちら
第四話 肉じゃが美人 ②

つぎの定休日。幸作は午後6時に、駅裏にある雑居ビルの前に立って居た。
北関東大前田組の若頭、安岡と約束した待ち合わせ場所だ。
時計の針が6時を指したとき、見覚えのある黒いベンツが目の前に停まった。
「待たせたな」後部座席から、スキンヘッドの安岡が降りてくる。
今日は何故かサングラスをかけていない。
それどころか、いつもの黒のスーツも着ていない。
何処から見てもこの近所に住んでいる、ただの中年男だ。
暇つぶしに、普段着でふらりと町へ出て来た。そんな雰囲気を漂わせている。
「どうした、その恰好は?。どう見ても、大前田組の若頭には見えないな。
どこかの勤め人か、暇を持て余している40ジジィの格好だ」
「このくらいでぇ、ちょうどええんや。
今日は若頭として来よったわけやない、ただの常連客のひとりとしてやって来た。
場所はここの3階や。準備中やけど、あいつはもう来とるはずや」
「常連客?。
ということは3階で待っているのは、ここで営業しているママさんか?」
「おう。とびっきり上玉のママさんやぞ。
やっ、失敬した。今日は若頭やない、普通のジジィとして来よったんや。
このあたりにゃ珍しい、とびっきりの美人や。
やけどなぁ。天は2物を与えずでぇ、顔はええんやけど料理の腕がいまいちや。
いろいろ作ってくれんやけど、どれを食ってもいまいちでぇ、
まるっきし美味くなぁ。
ほんでワレの腕を見込んだ、ちゅうわけや」
「たかがスナックだろう。料理にそこまで、こだわることもないだろう。
適当に乾きものを並べて、それで充分だろう」
「たまに食うのやったら我慢は出来る。やけど毎日食わされる俺はたまらん。
へたくそくそにも限度がある。
盛り付けも工夫しとるし、上品や。使う素材にも神経を使っとる。
センスは有るって思おんやけど、味付けのほうがいまいちや。
ワレの腕でぇなんとかしてくれ。
コツさえ覚えれば料理の腕も、ひと皮むけるって、俺は信じとる」
「料理はあきらめて、ママさんの綺麗な顔だけ眺めていればいいだろう。
どうせ遊びなんだろう、いつものように」
「遊びやなぁぞ、今回だけは!。
ここだけぇの話、実は本気でぇ、ママにぞっこん惚れちまった。
正式に申し込んでぇ、しゅーげんあげるつもりでぇおる。
そないなってみろ。毎日、ママが作るメシを食わされることになる。
上手ぇに味付けがでぇきるようになれば、ワイの食生活もそれだけぇ豊かになる。
店にやって来る客たちも、それなりによろこぶ。
どや一石二鳥やろ。ワイも幸せになるし、みんなもおおいに喜ぶ。
それに例の一件も、いっきに解決するから万々歳や」
安岡の、魂胆のすべてがようやく見えてきた。
惚れた女が、美味い肉じゃがを作れるようになれば、すべてが順調にかたずく。
幸作の前にベンツを止めたあの日。安岡は、困り果てていた。
「なぁに、ことのはじまりは、大しいたことはなぁ。
若いもんが、美人に料理がうまい奴は居なぁって言い張るから、カチンて来た。
そんなことは無い、おれの女は美人やけど、料理も旨いって大見栄を張った。
そいつが作る肉じゃがは絶品やって、思わず、自慢しちまった。
そいつがワイのつまづきのはじまりや・・・」
「つまづきのはじまり?。
若い者に、見栄を張っただけだろう。
俺が言い過ぎたとひとこと謝れば、それで終わるはずだろう?」
「あかんことに、外泊許可をもろて会長が帰って来とった。
そないに美味いのやったら、この世の名残にワイにも食わせろって、
隣の部屋から出てきよった。
相手ぇがあかん。すみません、嘘やったっとは、口が裂けても言えなぁ。
はい分かりました、会長にはのちほど届けますからって、話を誤魔化した。
ちゅうわけで、第一関門は若い衆たちの味見だ。
そのあとの第二関門は、会長の試食や。
そないな訳やから是が非にでもママはんに、絶品の肉じゃがの作り方を
教えてやってくれ!」
(40)へつづく
新田さらだ館は、こちら