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落合順平 作品集

現代小説の部屋。

つわものたちの夢の跡・Ⅱ (67)武士の血 

2015-06-27 11:34:57 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(67)武士の血 





 武家は自分たちの土地を守るために、いのちを賭けてたたかう。
官軍と賊軍の違いに、特別の意味はない。
竹ノ下の戦いは、結集した武家たちが、どちらに着くかを決めるいくさになった。
今回のいくさに勝利した者が、天下に号令を出せる大将軍になれる。


 だが武家たちはまだ、多少のためらいを残している。
すい星のごと現れ、不可能と思われた鎌倉をわずか2週間で、いとも簡単に
攻め滅ぼした新田義貞のインパクトは大きい。
その一方で、全国に領地と一門を持つ、名家の足利尊氏の存在も捨てがたい。
どちらも、魅力的な頭領としての風格をそなえている。
それゆえ、戦況の局面が変わるたびに、寝返りの多発を引き起こす。



 敗走する新田軍が、天竜川へさしかかる。
冬の12月。天竜川の流れは早く、深い水は人を寄せ付けない。
まして厳寒の時期。騎馬や徒歩での渡河は困難をきわめる。
大軍を船で渡していたのでは、追撃してくる足利軍に追いつかれてしまう。


 義貞は逃げ隠れている、渡し守たちをかき集める。
舟橋を架ける様に命じる。
急いで架けなければ殺すと命じられ、渡し守たちは3日で舟橋を天竜川へ架ける。
義貞は5昼夜をかけて敗軍を渡し、最後に自身もその橋を渡る。



 全軍が渡り終わったら、橋を破壊するのが軍略だ。
しかし義貞は、舟橋を壊さない。
壊すのを禁じたばかりか、足利軍が来るまで橋を守るよう渡し守たちに命じる。
命令として次のように語ったと、古文の中に残っている。


 「敗軍のわたしたちでさえ、架けて渡る橋である。
 勝ちに乗った足利軍なら、もっと早く架けるであろう。
 小勢が川を背にして大敵にあたるならば、一歩も引かぬ決意を固めるために舟を焼く。
 橋を壊すことも武略のひとつであるが、いまはその時ではない。
 義貞としては簡単に架けられる橋を壊して、あわてふためいて逃げたことよ、
 などと敵に笑られるのは、末代までの恥である」



 追撃してきた足利軍が、川の様子に眼を見張る。
舟橋が架かっており、渡し守たちが舟橋を守っている。
渡し守から貞義の言葉を聞いた将士は、みな涙を流した。
『弓矢の家に生まれた者なら、だれもがかくありたいもの。
 まさに義貞公はうたがいなき名将だ』と、深く感銘したという。

 いくさの中の、美談は多い。
人柄や生き方をあらわす美談は、古今東西、数限りなくある。
だが日本を揺るがす激しい戦いは、たったいま、本格的な口火を切ったばかりだ。
義貞が敗軍のしんがりを守りながら、西へ向っている頃。
足利直義が出した新田義貞追討の催促書が、全国の武将たちに届いている。


 後醍醐天皇の親政に嫌気を覚えていた武将たちは、足利の催促書に呼応する。
四国・讃岐の細川氏。備後備中の飽浦と田井の一族。越中守護や安芸の守護職。
九州の大友や島津たちが、相次いで兵をあげる。
武家政治の再興の願う豪族たちの挙兵が、続々と連鎖していく。
こうして騒乱は野火のように、わずかなうちに、日本全国へひろがっていく。



 尊氏は敗走する官軍を追い、伊豆国府まで兵をすすめていた。
20万を越える軍勢が、尊氏に従っている。
いずれも建武の新政に反発して、武家政権の復活を願う者たちばかりだ。


 イデオロギーで固まった集団は、強い。
まして武士は、命を懸けてたたかう戦いのプロ集団だ。
指揮を取る尊氏の人柄にも、魅力がある。
降伏してきた武家を暖かく迎えいれる、大きな心が有る。


 国府に着いた尊氏が、各地から結集してきた武将たちを一堂に集める。
官軍を追跡し、このまま上洛するとたからかに宣言する。
足利尊氏がはじめて、武家政権樹立の野望を口にした瞬間だ。
戦争は人を狂気にさせる。
その一方で、個人が果たすべき役割を鮮明にする。


 もう決して、引き返すことは出来ない。
おおくの武士たちのために、絶対に勝利しなければならないたたかいが、
ここからはじまる事になる。

(68)へつづく



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