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落合順平 作品集

現代小説の部屋。

つわものたちの夢の跡・Ⅱ (57)三木一草(さんぼくいっそう)

2015-06-14 11:18:22 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(57)三木一草(さんぼくいっそう)



 
 「天皇の輿は、俗界と聖地の境界を象徴する銅鳥居(かねのとりい)を通り、
 仁王門から境内に入ります。
 輿が蔵王堂の正面で止まると、吉水宗信は天皇を堂内に導きます。
 蔵王堂には本尊として、三体の蔵王権現が祀られています。
 後醍醐天皇は蔵王権現に前に跪くと、これから起こす新しい朝廷の安全を願い、
 敬虔な祈りを捧げますなぁ。
 蔵王権現は、インドに起源を持たない日本独自の仏さんどす。
 釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊が合体したものとされています。
 蔵王堂では不動明王を中心に、蔵王菩薩、金剛童子が脇侍として配置されています。
 中尊のひときわおっきい不動明王は、青鬼みたいに忿怒の形相で、礼拝者を見下ろします。
 鋭い眼力は、見る者を圧倒しますなぁ。祈りを終えて三尊の仏像を見上げた時。
 後醍醐天皇は何や底知れぬ新しい力が与えられたような気がします。
 この仏の加護があるならば武家の代表、足利尊氏を倒して、もういっぺん、
 公家政権を復活させることが、でけるように思えたんどす」



 注いでくださいと、恵子が空になった冷酒のグラスを持ち上げる。
『おう、気が付かなかった。喉が渇いたろう。潤滑油が必要だ。たっぷり潤してくれ』
いくらでも注いでやるぞと、勇作が2本目の冷酒の封を切る。


 「不動明王と言えば、目をかっと見開き、右手に宝剣を持ち、
 左手に縄を持ち、青黒色の全身に火炎を背負っている、恐ろしい姿の仏像だ。
 なるほど。後醍醐天皇でなくても、俺でも力をもらったような気分になる」



 「そうどす。
 怖い顔をしておりますが、内面は厳しいものの、慈悲に満ちた真言宗の教主どす。
 なにしろ、『大日如来』の使者どすからなぁ。
 祈りを終えた天皇の一行は、蔵王堂の南正面にあたる二天門(現在は存在しない)
 を出て、ねぎの吉水院へ導かれていきます。
 現在は、吉水神社(よしみずじんじゃ)と呼ばれています。
 吉水院は、吉野山を統率する修験宗の僧坊どす。
 吉水宗信はその場所を天皇の行宮、臨時の居所として提供したのどす。
 南朝4代57年にわたる歴史は、ここから、この吉野の吉水院から始まります。
 やけどすでに49歳に達しとった後醍醐天皇の余命は、残り、あとわずか3年たらずどす」


 「建武の新政からわずか3年後に、都を追われることになったのか、後醍醐天皇は。
 吉野へ移り南朝を立ち上げてから、その3年にはこの世を去る。
 波乱万丈だな・・・南朝最初の天皇の人生も」



 「吉水神社に、南朝の皇居が置かれた証(あかし)として『皇居跡』の石柱が
 境内に建っておりますなぁ。
 けど別の伝承によれば、後醍醐天皇はまず吉水院に滞在し、最初の行在所としたそうどす。
 手狭どしたため、金峯山寺蔵王堂の西にあった実城寺を改造します。
 金輪王寺と名前を改めてここを皇居とし、そこから諸国へ向かった皇子や配下の武将に
 様々な指令や檄を飛ばしたと有ります。
 金輪王寺は廃仏の嵐にあい、廃寺になってしまいました。
 現在の地には金峯山寺の塔頭の1つで、脳天大神を祭る龍王院が建っております。
 境内の参道脇に、『吉野朝宮跡』と書かれた標識が残っています」



 「なるほど。吉野入りした後醍醐天皇が、南朝を置くまでのいきさつは良く分かった。
 東国武将のもうひとりの長、新田義貞の足跡はどうなんだ。
 当然。側近の一人として吉野まで、天皇を警護してきたんだろう?。
 そのあたりの事が分かれば、詳しく聞きたい」


 「新田義貞が吉野までやって来たという記録は、残っておりませんなぁ。
 鎌倉幕府を滅ぼした功労者の一人どすが、朝廷には優遇されんかったようどす。
 天皇の周辺を固めとったのは、朝廷と親交のあった近畿一帯の武将たちどす。
 天皇から寵愛を受け、高い官職を占めたのは、三木一草(はんぼくいっそう)と呼ばれた
 4人の武将たちどす」



 「なんだ。新田義貞は鎌倉を滅ぼした功労者だというのに、冷遇扱いの蚊帳の外か?。
 そういえば、建武の新政の中では、あまり重用されていない。
 たしか武者所(むしゃどころ)の、頭人(責任者のこと)に指名されただけだ。」

 
 「新田義貞は朝廷から、位と肩書をもらいます。
 けど、正四位下左近衛中将 新田朝臣源義貞 という下位の官職どす。
 30段階に分けられとる官職のうち、上から9番目にあたります。
 無位無官で、没落寸前だった新田義貞にしてみれば、それでもたいした出世どす。
 村会議員が、いきなり国会議員に指名されたようなモンどすからなぁ。
 けど新田義貞の上に、天皇の寵愛を受ける人物たちが、たくはん居はります。
 後醍醐天皇の新政権を支えた主要幹部は、4人。
 巷で、『三木一草』と呼ばれた、4人の武将たちどす。
 結城親光・楠木正成・名和長年(伯耆守、ほうきのかみ)・千草忠顕の4人。
 天皇からあつい信頼を受けた『三木一草』の、栄達と羽振りのよさは、
 京都の人たちの目を、見晴らせたそうどす」



 (58)へつづく


 

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