落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (27)2度目の『南岸低気圧』がやってくる

2014-06-19 11:00:12 | 現代小説
東京電力集金人 (27)2度目の『南岸低気圧』がやってくる


 
 南岸低気圧とは、日本列島南岸を発達しながら東に進んでいく低気圧のことだ。
冬から春にかけて毎年発生し、実に厄介な気候を太平洋側にもたらす。
こいつは暖気を運んでくる日本海側の低気圧と対照的に、東日本全体に寒気を運ぶ。


 日本列島の太平洋側に、大雪や大雨を降らせる。
東京を含む関東地方南部に降る大雪のほとんどが、この南岸低気圧の影響によるものだ。
南岸低気圧が接近するとき、中心部分が陸地に近いほど関東は雨になりやすい。
逆に、遠くの洋上を通過する場合は、雪が降りやすくなる。
伊豆諸島の八丈島付近を境に、これより南を通ると雪の確率のほうが断然高くなる。
北を通ると、逆に雨になる確率が高いと言われている。
陸地から遠すぎると低気圧が雨域から外れるため、降水がない場合もなる。

 14日の昼過ぎから、接近中の南岸低気圧が陸地側に進路を変えた。
首都圏と関東の全域にふたたび雨か大雪を降らせる可能性が、時間とともに高まってきた。
だが、14日から大量の雨か雪がやってくることは周知済みだから、町はいたって静かだ。
悪天候を予測して在宅していた客が多く、予想外なほど順調に集金業務が進んだ。

 
 昼飯をパスし、1時過ぎまで頑張った頃なんと集金率が、90%を超えた。
最近にない、快挙と言える達成率だ。
これも接近中の南岸低気圧のおかげだとおおいに感謝しつつ、集金業務を切り上げた。
俺たちの仕事は、時間に拘束されているわけではない。
拘束されているのは一日のノルマで、集金の達成率に追われているだけだ。
業務を早々と切り上げ、風対策で大わらわに走り回っている先輩のビニールハウスへ
ひよこっと顔を出してみた。



 「どうしたの、太一。集金のほうは?」


 ビニールハウスのフレームにしがみつき、補強用のビニール紐を操っているるみが、
怪訝な顔で、高い場所から俺の姿を振り返る。
3メートル近い高さを持つ、ビニールハウスの頂点付近で作業しているるみの形の良いお尻が、
強風にあおられて、くっきりと色っぽい形で浮かび上がっている。
「大丈夫か、飛ばされるなよ。気を付けろ」と下から声をかけると、
「私のお尻ばかりに見とれてないで、反対側に回ってビニール紐を受け取ってよ」と
るみが、大きな声でいきなり怒鳴る。

 「先輩は、どうした?。姿が見えないが・・・」


 「他のハウスの点検で、さっき出かけたばかりです。
 ここは私と奥さんの2人で補強中なの。いいから手伝ってよ。
 猫の手も借りたいほど忙しいんだから!」


 ビニールハウスは、たった1枚の無垢のビニール生地で覆われている。
強風にあおられ内部にわずかな空気が入っただけで、簡単に破れてしまう構造をもっている。
そのために通常の倍以上の量のビニール紐で、屋根全体を補強することになる。
るみはまさにそのための仕事に追われ、なりふり構わず作業に没頭中だ。
反対側へ回ると、先端に重りを付けたビニール紐が、強風の中をふらふらと飛んでくる。
それをアンカー部分にしっかりと百姓結びで繋いだあと、ふたたび反対側へ投げ返す。


 農家は独特な方法で、ビニール紐を結ぶ。
いちいち結び目を作り、蝶々縛りなんかをしていたのでは、数が多すぎて埒があかない。
くるくると結わえた後、ひとまわりくくっただけで固定をする。
こうしておくことで、後になってからいち方向へ引っ張るだけで、紐は
スルリと抜ける構造になる。
丈夫に結ぶことも大切だが、簡単に解けるようにしておくことはもっと重要だ。
なぜならこうした結び目は、ハウス内での作業で、それこそ無限にちかい回数で
際限なく繰り返されるからだ。

 数千本の苗が並ぶビニールハウスの内部では、隣同士がからみあわないように、
苗を一本ずつ、天井に通されたワイヤーに順序良く吊り下げる。
ナイロンの紐で苗を支えるわけだが、用済みになれば、最後は廃棄物として片づける。
1本1本を手で解いていたのでは、日が暮れてもビニールを片付ける作業は終わらない。
同じ段取りで片側だけを引っ張れば、簡単に外れるというのが、「百姓縛り」の神髄だ。
代表的な百姓縛りの縛り方は、2種類ある。
だが独特な方法で緩まない縛りかたをするスペシャリストは、この近隣だけでも何人も居る。


 30メートルのビニールハウスを、小一時間ほどの時間をかけ補強し終えた時、
パラパラと大きな音を立てて、雨粒が落ちてきた。
やばいと慌ててビニールハウス内へ逃げ込んだとき、反対側で作業をしていたるみが、
頭を覆ったまま、前もろくに見ずに全速力でハウスの中へ駈け込んできた。

 動物の様に飛び込んできたるみが、俺が真正面に居ることに気付き、
あわてて急ブレーキをかけたが、もうすでに間に合わない。
「あっ!」と言う大きな声とともに、折り重なったままハウスの狭い通路へ倒れこんだ。
俺の胸にのしかかったるみが、「ごめん」としどろもどろの小声で謝る。
「あ・・・いや、突然の雨だから不測の事態だ。通路の真ん中に立っていた俺が悪かった」
と、俺も神妙に謝った。
だが・・・・すぐそばに、他人の目があった。


 「あらぁ~。仲がいいのねぇ、2人とも。
 バレンタインの夜が来るまで待ちきれず、早くも本番とは、妬けるわねぇ。
 いいわねぇ、若い人たちは自由奔放に愛し合えて。
 あたしんところなんか、半年以上もご無沙汰のままよ。あら、主人には内緒にしてね。
 存分に楽しんで頂戴。夕飯用のトマトを採り終えたから、あたしはこれで失礼します。
 後は若い者2人だけだもの。遠慮しないで、気が済むまで楽しんで頂戴」


 うふふと笑った先輩の奥さんが、「ちょっとごめんね、狭いから」と、
抱きあった形のまま倒れこんでいる俺たちを、ひょいと身軽に飛び越えた。
「いいのよ。遠慮しなくても。邪魔者はさっさと消えるから」と軽い笑い声を残し、
ハウスの入口へ、『いいわねぇ、若さって!』とお尻を振りながら消えていく。


(28)へつづく

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