酒好き文化風俗研究者

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現在の外交では平和への決意が感じられない。

2014-11-12 | 日記
外交には力が必要ならば、その力は正義であり、正義は悪魔でもあります。

外交の目的が平和活動ならば国旗はいらないが、各国の利益の為なら応援団が必要だ。

かつては、戦争も外交手段の一つであったように、いっそ隠し事なしで公開してみては外交の意味が代わって良いのではなかろうか。

うその無い、すがすがしい外交には面白味が欠けるかもしれないが、各国に偽りが無いと自信になる。

私達の人間性は二千年前から何も変わっていないと言われるように、つまり不完全なのだから、人は間違ったことしかしないものです。

正しさが解らないから、力が正義になるわけで、そこに問題がある。
実際、過ちから逃れれば、過ちを追い、過ちを認めれば、さらに過ちを繰り返すように、悪いものが良いものの数を上回っているのも現実です。

だから、ハッキリ言えばいいのです。
「この世に正義も無ければ悪もない」と。
「世界は一部の者が支配するのであって、市民は善き犠牲者である」と。
そして「平和の実現は不可能なのだ」と。

外交に信念は無い。あるのは利権だ。
だから、外交に責任は与えられない。行う事は敗者の創出だからです。
私達の考えとは裏腹な外交です。

本来は、問題解決能力の高い外交が理想ですが、世界では正しい事を行えば殺さるように、
また、民主主義では多数派に力があれば、中国やインドの未来は明るいものとなるはずが、そうではないように、人は争うことが大好きです。

この世が楽園ならば、争いを利用する事も出来ますが、事実は悪徳の方に勝敗が明確です。
事実は良ければ良いほど、悪くなりますから。
外交で世界が平和になるのであれば、二千年前にすでに平和になってはずですから、大事な事は目的の明確さの統一だと考えます。