今日の朝、TVを見ていたら、原発のどこかが熱があったとか、何とか言っていたような気がするが、もうほどんと日常茶飯事と言いますか、何を言われても驚かなくなった。
もうなるようにしかならない、と思っているし、そうなったらなったでしょうがない。
知らないうちに原発は爆発だか何だかよく分からないけど、放射能は飛んでいたようだし、それももう2ヶ月以上前の話だ。
ある意味大パニックにはならなかったし、今言われても、「もうしょうがないわね」と言う感じである。だってそれ以外、どうしようもないもの。
うちの近くにスーパーが2軒あるのだが、どちらかと言うと、こっちの方が野菜の生産地が安全っぽいかな、みたいな方で買うようにしていたのだが、今では野菜はもう関東近辺のものしかない。
キャベツはちょっと前は愛知産もあったが、今は千葉産か神奈川産だ。
先々週辺りは「神奈川産など」と書いてあった。
大根は埼玉産だし、青梗菜は茨城産。
ゴボウは青森だったかな。
魚もチリ産のサーモン、ネギトロはたまに買うけど、もう小魚は買っていない。
あさりも、愛知産だけど、何となく食べなくなってしまった。
(もともと、kekeは食べないし。)
ミネラルウォーターが買えないと言う事はもうないが、台風の去った後は棚にあったのは外国産のものばかりだった。
安全性で言えば外国産の方が良いのだろうが、値段が高い。
国内産のミネラルウォーターも水道水に比べて大差が無いような気がしないでもないのだが、何となく買っている次第である。
今になると何のためらいもなく買い物カゴに入れられると言う事がありがたい事だったのだと分かる。
今でも、気にしなければいいだけの話なのかもしれないが。。。
父の所に行くと、昼食時で、シアワセばあさんに父はご飯を食べさせてもらっていた、あーんと口を開けると、ばあさんがスプーンで入れてくれる。「これが最後の一口だよ、ほら」と言われている。
それを食べ終わると、ばあさんは父が胸にこぼしたご飯粒を拾っている。
父は相変わらず、眠い眠いとそればかりだった。
その瞬間に生き、今は眠い、食べている、寝ている、それを繰り返しているようだった。
私が来ようが去ろうが、目が悪いのであまり分からないと言おうか。
父や母が元気で一番楽しかったのは、今から20~25年前ぐらいだろうか。
あの頃はみんな元気でよく笑ってた。
今、私とkekeが丁度その頃の親子なのだが、ケンカばかりしている。
あの頃、父がこんな風に私と行動を共にしたかったのなら、もっと一緒に居ればよかった。
でも、そう言う状況でもなかったし、父は父でそうでなくても、いつも楽しそうだった。
kekeもいつか、こんな風に思い出すことがあるのだろうか。
今年は2011年。
地震と原発は、この先ずっと歴史に刻まれ語り継がれていくだろう。
過去にはこんな事もありました、的な感じか。
もうなるようにしかならない、と思っているし、そうなったらなったでしょうがない。
知らないうちに原発は爆発だか何だかよく分からないけど、放射能は飛んでいたようだし、それももう2ヶ月以上前の話だ。
ある意味大パニックにはならなかったし、今言われても、「もうしょうがないわね」と言う感じである。だってそれ以外、どうしようもないもの。
うちの近くにスーパーが2軒あるのだが、どちらかと言うと、こっちの方が野菜の生産地が安全っぽいかな、みたいな方で買うようにしていたのだが、今では野菜はもう関東近辺のものしかない。
キャベツはちょっと前は愛知産もあったが、今は千葉産か神奈川産だ。
先々週辺りは「神奈川産など」と書いてあった。
大根は埼玉産だし、青梗菜は茨城産。
ゴボウは青森だったかな。
魚もチリ産のサーモン、ネギトロはたまに買うけど、もう小魚は買っていない。
あさりも、愛知産だけど、何となく食べなくなってしまった。
(もともと、kekeは食べないし。)
ミネラルウォーターが買えないと言う事はもうないが、台風の去った後は棚にあったのは外国産のものばかりだった。
安全性で言えば外国産の方が良いのだろうが、値段が高い。
国内産のミネラルウォーターも水道水に比べて大差が無いような気がしないでもないのだが、何となく買っている次第である。
今になると何のためらいもなく買い物カゴに入れられると言う事がありがたい事だったのだと分かる。
今でも、気にしなければいいだけの話なのかもしれないが。。。
父の所に行くと、昼食時で、シアワセばあさんに父はご飯を食べさせてもらっていた、あーんと口を開けると、ばあさんがスプーンで入れてくれる。「これが最後の一口だよ、ほら」と言われている。
それを食べ終わると、ばあさんは父が胸にこぼしたご飯粒を拾っている。
父は相変わらず、眠い眠いとそればかりだった。
その瞬間に生き、今は眠い、食べている、寝ている、それを繰り返しているようだった。
私が来ようが去ろうが、目が悪いのであまり分からないと言おうか。
父や母が元気で一番楽しかったのは、今から20~25年前ぐらいだろうか。
あの頃はみんな元気でよく笑ってた。
今、私とkekeが丁度その頃の親子なのだが、ケンカばかりしている。
あの頃、父がこんな風に私と行動を共にしたかったのなら、もっと一緒に居ればよかった。
でも、そう言う状況でもなかったし、父は父でそうでなくても、いつも楽しそうだった。
kekeもいつか、こんな風に思い出すことがあるのだろうか。
今年は2011年。
地震と原発は、この先ずっと歴史に刻まれ語り継がれていくだろう。
過去にはこんな事もありました、的な感じか。