滋賀の事件の理由の一つに『孤立感』があったそうだ。
とは言え、子供に危害を与えるなんて、もちろん論外なのだけど、私も母親同士のつきあいが苦手だった口なので、気持は何となく判るような気がする。誰が悪いとか嫌いと言う訳でないのだが、とにかく毎日群れるのが苦手なのだ。
例えばこんな事があった。
あるお母さん友達が「今日、下着メーカーで働いている私の友達が来るの。いろんな下着を持ってきてくれるから誰か来ない?」と言う。そうすると、私も私もと言うことになる。そうなると、「私は行かないわ」とは言えない雰囲気になるのである。(ここで最初から「私は行かないわ」と言える人は元々この集団においてリーダーシップを取っており、このようなジレンマで悩むことはないのである。)
1つの方法として、「私は○○で行けないわ」と言う手がある。しかし、本当にたまたま行けない理由があって行かない場合は問題がないのだが、行きたくないあまりにこう言う手を使うと、かえって孤立感を負うことになるのである。自分が居ない後で何か言われてやしないかとか、次回は行かねばならないだろうな、とか。
その結果、しかたなくそこに行く。すると、その下着メーカーで働いている友達とやらは、いろいろな下着を見せながら、あーだこーだと言いながら、宣伝してたりする(つまりはこうやって口コミで売るのが彼女のビジネスなのだ)。
私のような性格だとこの時点でドンビキしてしまうのだが、なぜか周りのお母さん方は「あら、これいいわね」等と言って、手にとり品物を買っていき、買いたく無い私はさらに孤立感を強めていくのである。(しかし、私のこの場合買っても後で後悔するであろう)
これは、その人の性格なのである。
最初から「私、下着は間に合っているから要らないわ」「見るだけなら行くけど」とか言えば、誰も食ってかかってはこないのに、わざわざ心配事をウイルスのようにどんどん増やしていってしまうのである。
「こう言ったら何て思われるかしら」と思っているうちに、手足が自由に動かなくなるのである。これが結構苦痛だ。
女同士の付き合いと言うのは、こう言うパターンがよくあるような気がする。
私は学生時代も勤め先も男ばかりの所に常に居たので、この手のせめぎ合いがかなり苦手なのだ。相手が男だとこのような悩みはない。「私は女だから」「主婦だから」「子供が待っているから」と言ってしまえば、プライベートは逃げられるのである。
私も離婚した時、まだ子供が幼稚園児だったら何をどう感じたか。離婚した時「このままこの地域で暮らすのは辛すぎる」と強く思った。それはもちろん、元旦那と暮らしたこの部屋でと言う意味もあったが、この(母親同士の目がある)地域で、と言う意味も含まれていたと思う。
今のように開き直っていけるとまた違うのだが。
とは言え、子供に危害を与えるなんて、もちろん論外なのだけど、私も母親同士のつきあいが苦手だった口なので、気持は何となく判るような気がする。誰が悪いとか嫌いと言う訳でないのだが、とにかく毎日群れるのが苦手なのだ。
例えばこんな事があった。
あるお母さん友達が「今日、下着メーカーで働いている私の友達が来るの。いろんな下着を持ってきてくれるから誰か来ない?」と言う。そうすると、私も私もと言うことになる。そうなると、「私は行かないわ」とは言えない雰囲気になるのである。(ここで最初から「私は行かないわ」と言える人は元々この集団においてリーダーシップを取っており、このようなジレンマで悩むことはないのである。)
1つの方法として、「私は○○で行けないわ」と言う手がある。しかし、本当にたまたま行けない理由があって行かない場合は問題がないのだが、行きたくないあまりにこう言う手を使うと、かえって孤立感を負うことになるのである。自分が居ない後で何か言われてやしないかとか、次回は行かねばならないだろうな、とか。
その結果、しかたなくそこに行く。すると、その下着メーカーで働いている友達とやらは、いろいろな下着を見せながら、あーだこーだと言いながら、宣伝してたりする(つまりはこうやって口コミで売るのが彼女のビジネスなのだ)。
私のような性格だとこの時点でドンビキしてしまうのだが、なぜか周りのお母さん方は「あら、これいいわね」等と言って、手にとり品物を買っていき、買いたく無い私はさらに孤立感を強めていくのである。(しかし、私のこの場合買っても後で後悔するであろう)
これは、その人の性格なのである。
最初から「私、下着は間に合っているから要らないわ」「見るだけなら行くけど」とか言えば、誰も食ってかかってはこないのに、わざわざ心配事をウイルスのようにどんどん増やしていってしまうのである。
「こう言ったら何て思われるかしら」と思っているうちに、手足が自由に動かなくなるのである。これが結構苦痛だ。
女同士の付き合いと言うのは、こう言うパターンがよくあるような気がする。
私は学生時代も勤め先も男ばかりの所に常に居たので、この手のせめぎ合いがかなり苦手なのだ。相手が男だとこのような悩みはない。「私は女だから」「主婦だから」「子供が待っているから」と言ってしまえば、プライベートは逃げられるのである。
私も離婚した時、まだ子供が幼稚園児だったら何をどう感じたか。離婚した時「このままこの地域で暮らすのは辛すぎる」と強く思った。それはもちろん、元旦那と暮らしたこの部屋でと言う意味もあったが、この(母親同士の目がある)地域で、と言う意味も含まれていたと思う。
今のように開き直っていけるとまた違うのだが。
幼稚園はお迎えに行くと園庭で1時間遊べるのよね(母親はその間おしゃべりしながら子供を見てる)
その後、誰かの家で遊んだり(母親もお茶飲みながら遊んでる)
私は自営だったからそうそう園庭で遊んでられないし、よそのお宅に遊びにも行けないし。
でも、みんなが気を使ってくれてうちの子をよく遊びに連れて行ってくれたけどね。
やっぱり中国・・ってことで疎外感も余計に感じたのかもね。
日本名があるのにわざわざ中国名で報道しなくても・・って思うのよね。
日本人と結婚してこっちで暮らしてるのに何でかな??って思っちゃったの。
わたしもこういう付き合いが、すごく苦手なほうです。
公園で仲間に入れてくれようとしない人たちでも、ひとりきりの時は何かとこちらに声をかけて来るのに、仲間がくると、さっと知らんぷり~
あるグループの人に誘われたので出かけたら、他の人は「何でこんな人が来たの?」という態度、、、、、子どもを育てる以前に、親が人付き合いの基本や思いやりを学習すべきだと思いました。
そんな人達なら、付き合いたくないのでこちらから避けましたが、冷たい扱いが、とても悲しかったのは確かです。
でもかといって、その人達の子どもを殺そうとは思いもしませんが、憎しみに変わるとそうなるのかなーと想像はできます。
別にみんないい人で楽しかったんだけど、時々「1人で行動したい~」と思ったこともあったんですよ。
ほんとよね、私もなんで日本名じゃなくて、中国名なのかしら?と思ったよ。
中には他の幼稚園に入れたお母さんがいて、送り迎えの時間が重なったりすると、すごく気まずいみたいでした。
私は1対1で話すのは全然躊躇なかったのですが、グループのみんなが居る所で、その方に話し掛けることは(雰囲気的に)できなかったです。自分だけ浮いたことすると、変に思われるのもイヤだったし、Obanoさんと逆の立場だったのかも~
でも、私はほんとにこう言う付き合いが苦手なんですよ。文句ばかり言っているけど、今の会社はそれがないから楽です。
あの中国のお母さんは「自分が中国人だから」特別こうなのだと思い込んでいたのかもしれませんね。
でも、そこから危害に及ぶのは根本的に間違っているんですけどね。
私を排除したつもりの人達(こっちがお断りなんだけど)は、「群れ」になると他人の噂話や悪口ばかりで、、、「部外者」が入れない構造を作らないと「大事な秘密」が守れないということらしかったんです。のちのち「部内」でトラブルを起こしてる様子でした。
なんだか、とっても狭い世界だけで生きていて、お友達にはなれない人達でした。
もちろん、「思いやり」を当たり前にもっている方もいるので、そういう人とお友達になりました。
女の世界が分かりやすいです。
私も「一緒にトイレ」ができない人間です。
このような事があれば「私は下着は決まってるから」と逃げるかな。でも、反対にリーダー的に「この洋服いいのよ。見に行かない?」とやってしまう気がするんですよ。強く言ってるつもりはないけど、嫌と言えない人には辛いかもしれないと思うので、どうやんわり誘うかで、育児休暇中のママ友では気を使いました。が、気のいい人たちが多かったので、良かったのですが。やはり、仕事を持っていると、言い訳としても楽だったりしますよね。
女は人との距離を図るのが上手くないと思います。人は人、自分は自分と思えないんですよね。
私の幼稚園のおつきあいはウワサ・悪口って言うのがなかったから、それでも楽なお付き合いだったんですよね。
そう言えば、女性ばかりの職場のパートに出た友達が「ウワサと悪口ばかり」って言っているのを聞きましたよ~他人事のように思っていたけれど、そう言うことって当たり前にあるのかも。。。。
大事な秘密を集団で共有って・・・傍から見ると、ちょっと怖いですね。^^;
そうそう、人と距離を図るのに考えすぎちゃうのかもしれないですね。ある程度自分のポリシーをもって「私はこうなのよ」って開き直れば、「あぁそうなのか~」って周りも思ってくれるのに、それがないから、どうしようこうしようって悩んじゃう。
仕事があると楽ですね、私もそう思いますよ。^^
前の職場の友達で同じように学生時代男子ばかりの所にいた友人も同じように言ってました。彼女とは研修中に一緒に通勤していたのだけど、別々の事したいから、わざと違う座席に座って通った記憶があります。
今思うと不思議だけど、いつもべったりしていると疲れてしまうんですよね。