社長が駅まで乗せてってくれ、と言うので車を出した。
掛けているCDを矢沢永吉のに変えた。
「たしか社長、矢沢永吉が好きなんですよね?」と言うと「そうよ」と言い、「オレが聴いてたのは現役の頃だけどな」と言う。
そして「その頃はクールスキャロルというグループだった頃よ。ジョニー大倉と一緒にな。」と言う。
私はその頃の矢沢さんは知らない。
かろうじて記憶のすみっこの方にある事柄を引っ張り出してくると、私は中学に入って「必須クラブ」と言うのにどこか入らねばならなかった。(部活とはまた別にそういう時間が授業内にあったのだ。)
そして私は「音楽鑑賞クラブ」と言うのがあったので、そこにお友達と入ることにした。入る前に入会希望票みたいな紙があり、「クラブでどんな活動をしたいですか?」みたいな抱負を書く欄があったので、「サンサーンスの白鳥を聴いてみたいです。」と書いた記憶がある。
私は当時ピアノを習っていて、ピアノピースと言う楽譜シリーズを練習していた。そのバックナンバーを見るといろんなクラシックの音楽が連なっていて、その中にサンサーンスの「白鳥」もあったのである。それはどんな曲なのだろう、と胸をときめかせていたのだ。
そして、いざ第一回音楽鑑賞クラブの時間がやってきた。
その音楽室に向かい、さぁ何の曲が出て来るのかな?と思いきや、かなり高ボリュームの訳の分からんロックが次から次へと流れている。
そして周りの先輩とみると、男子はリーゼントや女子は引きずるようなロングスカート。要するにこのクラブは不良のような方々がロックを聴くと言う集まりだったのだ。(ちなみに一緒に入った友達はそれを知っていたようで、彼女もややそちら系であった。)
そしてこの流れている曲がどうやら「クールス」「キャロル」と言うバンドの曲のようである。(このクラブは主に「キャロル」「クールス」「アリス」の曲を鑑賞するクラブだとのちに気がつく。)
その大きな勘違いが私とクールスキャロルの唯一のかすかなつながりである。
そして、私がかけている父が歌っていた矢沢さんの歌は、つまり社長のいう所の「現役」後の曲であり、私は気を遣いながらこの曲をかけ、社長はそれ以上に気を遣いながらそれを聴いている、と言うかなりシーンとしたぎこちないムードになるのだった。
しかたなく私は「父がよく歌っていたんです。こうして時々偲んでいるつもりです。」と言うと、社長は「お前のオヤジの年だと若けぇな。」と言う。
そして駅近くは思った以上に渋滞がひどく、お待ち合わせ相手からも電話がきているようで、だいぶ手前で社長は「じゃ、サンキュウ」と言って降りて行った。
掛けているCDを矢沢永吉のに変えた。
「たしか社長、矢沢永吉が好きなんですよね?」と言うと「そうよ」と言い、「オレが聴いてたのは現役の頃だけどな」と言う。
そして「その頃は
私はその頃の矢沢さんは知らない。
かろうじて記憶のすみっこの方にある事柄を引っ張り出してくると、私は中学に入って「必須クラブ」と言うのにどこか入らねばならなかった。(部活とはまた別にそういう時間が授業内にあったのだ。)
そして私は「音楽鑑賞クラブ」と言うのがあったので、そこにお友達と入ることにした。入る前に入会希望票みたいな紙があり、「クラブでどんな活動をしたいですか?」みたいな抱負を書く欄があったので、「サンサーンスの白鳥を聴いてみたいです。」と書いた記憶がある。
私は当時ピアノを習っていて、ピアノピースと言う楽譜シリーズを練習していた。そのバックナンバーを見るといろんなクラシックの音楽が連なっていて、その中にサンサーンスの「白鳥」もあったのである。それはどんな曲なのだろう、と胸をときめかせていたのだ。
そして、いざ第一回音楽鑑賞クラブの時間がやってきた。
その音楽室に向かい、さぁ何の曲が出て来るのかな?と思いきや、かなり高ボリュームの訳の分からんロックが次から次へと流れている。
そして周りの先輩とみると、男子はリーゼントや女子は引きずるようなロングスカート。要するにこのクラブは不良のような方々がロックを聴くと言う集まりだったのだ。(ちなみに一緒に入った友達はそれを知っていたようで、彼女もややそちら系であった。)
そしてこの流れている曲がどうやら
その大きな勘違いが私と
そして、私がかけている父が歌っていた矢沢さんの歌は、つまり社長のいう所の「現役」後の曲であり、私は気を遣いながらこの曲をかけ、社長はそれ以上に気を遣いながらそれを聴いている、と言うかなりシーンとしたぎこちないムードになるのだった。
しかたなく私は「父がよく歌っていたんです。こうして時々偲んでいるつもりです。」と言うと、社長は「お前のオヤジの年だと若けぇな。」と言う。
そして駅近くは思った以上に渋滞がひどく、お待ち合わせ相手からも電話がきているようで、だいぶ手前で社長は「じゃ、サンキュウ」と言って降りて行った。
\(^o^)/見た目同じようなものだけどネ
またやってしまいましたか。
早く訂正しなくては!!
人付き合いはこれだから難しいですね
でも気を使ってくれる社長さんで良かったですね^^
気を使いあいながらの道中、大変お疲れ様でした。
でも気づかいがし合える優しい関係で?
良かったですよね。
あと、そのクラブでその後sakeさんが
先輩方に絡まれなかったかが心配ですが・・・。
大丈夫でしたか?いえ、これは偏見かも。l
不良さんに対して。すみませんでした。
キャロルとは、・・・・・授業内のクラブ活動でやるには
ちょっと勇気が逸りますね。
不良、実際に不良行為をしていたかどうかは知りませんが
全国の不良っぽい少年少女をファンと想定していたことは
ほぼたしか、んhkで、このバンドの翼賛PR番組を作ったのも、きっと在日韓国人の、Directar だったのでしょうか?
矢沢さんって、大いに稼いでそれはそれは大成功された方だと思いますが・・・
最近、大借金がどうしたとか、いいや、全部返済したとかのニュースもちらほら。
芸能界ってほんとにわかりませんね。
サンサーンスの白鳥は、きっとそういう揉め事とは縁がないように思いますが、さてどうなんでしょう。
矢沢さんのCDがあって良かったですね
それ以上に社長もsakeさんに気を使われて...
どんな雰囲気だったのか、だいたい想像できました
私は車に載せたことはありませんが
私が出勤する時、ついでに
無人販売所で弥彦娘(新潟県の美味しい枝豆)をありったけ買ってくるように社長に頼まれたことが時々ありました
断りきれなかったですね
中学のクラブではその後何事もありませんでした。
たぶん、私があまりに天然なので、まったく眼中に止まるようなタイプではなかったのだと思います。
その後もツッパリのようなお友達が何人かでき、母親に付き合いを止められたりすることもあったのですが、少し意思が芽生えてきた時期だったので、親に内緒でつきあいました。でもあまりに私の姿が天然でヤボったいところがあったので、仲間に誘われることはありませんでした。
本格的なそのような方とはあまり面識はありませんが、ちょっとだけかじったようなお友達はみんないい人でしたね。^^人間関係に恵まれたのかもしれません。
うっ!私だけ異色の音楽を書いてしまった・・・・と思ったら、隅っこに小さく「その他の意見」と言う欄に、本当に小さく「サンサーンスの白鳥」と書いてありました。
「これ誰よ?」とも言われることもなく、平和に終わりましたが、1年間サンサーンスが流れることは一度もありませんでした。^^;
矢沢さんは一人で這い上がってビックになった感があり、それが若者の心をつかんだのでしょうね。
最初の3曲ぐらいはまだ70年代だったので、社長もたぶん知っている曲だったと思います。^^
社長を乗せる時はいつもこうして、何も誰もしゃべらず、異様な空気が流れます。
おいしい枝豆をありったけ買ってこさせる社長さんもお茶目ですね。^^
そういうのは言われると断れませんよね。