今日は会社を出ると、大型のショッピングセンターに向った。
kekeには「冷蔵庫にあるもので適当に食べてて」と言い残して、ぶらっと買い物。
まだ夕日が落ちる前。走る車が西日で包まれている。
帰り道にこれが見れるのはこの時期だけ。
日が長いのがうれしい。
そう言えばニュースで読んだ。
アメリカで認知症の薬が出たのだとか。
きっと助かる家族の人もたくさんいることだろう。
今はガンも治る病気になったと、どこかで聞いたような気がする。
それはそれで喜ばしいことだけど。。。
認知症が治り、がんも治る。
私はどうやって人生の終わりを迎えることになるのだろうか。
認知症が治るとしても、体も心もだんだんボロボロになっていくことには変わりが無いような気がする。
医療でさらに寿命が延びたり、世の中が便利になるのはありがたいことだけど、その反面「医療技術ばかりが進んでしまっても・・・」と思う自分もいる。
高級な治療はお金を持っている人でないと受けられなくなり、それが可能か不可能かによって寿命も変わってくるだろう。今までだったら「病気も天命か」と諦めがついたことも、「お金があれば」と悔やみに変わるかもしれない。
(つまり寿命さえも勝ち組と負け組に分かれていくのでは。)
そう思うと、技術だけ進んでも、また格差に変わるだけなのでは。
ガンが治って、認知症が治る。
それだけを取れば喜ばしいことだけど・・・寿命が伸びれば伸びるほど、年金制度も~、社会保険制度も~、どうなっていくのだろうか。
そう思ってしまう私は、悲観論者なのかなぁ。
今現時点の段階なので、この先60代、70代になると考えが変わるかもしれないけれど、今のところガン検診は受けなくていいかなと思っている。
治療もすごくお金が掛かると聞いているし、保険も安い医療保険のみしか入ってない。もちろん高額医療の対応はしていない。
子供も一応ここまで育った。
カッコよく言えば、執着したくない。当たり前に言えば、「金がない」。
なけなしだけど、とりあえず添加物の少ない食材を意識して取るようにしている。それから週末にできれば散歩ぐらいは。これから寝る時間は多めに取ろう。
こうして軽く気持ちいい程度の努力をして、その先の寿命は天命に任せたい。
・・・・もっとも60代70代になったら、また考えが変わるかもしれないから、これが「正しい」とは思っていない。
そんな私の今日のお弁当。
鶏のつくねは昨夜に焼いておいて、今朝味付けをした。
(酒・砂糖・みりん・醤油を同じ分量でたれにした)