今、休んでいるある方からTELがあり、「sakeさん、オレが休む前にしてた仕事あったでしょ。」と言うので、えぇえぇ、ありましたよね、と返事をすると、「あれの出さなきゃならない届出が実はまだあって、それに社長のハンコをもらいたいんだって伝えてほしい。」と言うので、私はう~ん、とうなって、頭ン中グルグルCPUを働かせ、いやそれはヤバイだろ、と判断して、「ちょっとちょっと、待ってください、私が間に入って、何がどうした、それでどうすればいいのよ、みたいな話になった時に、しどろもどろ責められて怒られるのが目に見えてるので、どうかご自身で社長に頼んでください。」と懇願に近い状態で、お断りする。
その後社長が事務所に戻ってきたので、すごく気になったが、まだ何の反応もなく、だいぶ時間が経ってから、社長にTELがあり、彼が社長に例の届出を頼んでいるようであった。
ほんと、断って正解だったと思う。
腫れ物を触るように周りが気にしているのに。。。。
と、思った所で、フツフツと疑念が沸いてきた。
どうしてあの人はあんなにノンキなんだろう?!
本当にノンキだったら、頼み事を自分で普通に最初から社長に言えばいいのに。
あのノンキさが、元夫にかなり似ている、と言う疑念がフツフツ沸いてきたのである。
元夫と言えば、約束の昨年暮れに払えないから4月にって言いながら、払えず、2度催促してやっと払ってもらった半分の残り。
月末までに払うと言った残りの半分がまだ払われていない。
電話をすると、「まだ払ってない」と認めた。
いつ払ってくれるのか、と尋ねると、週明けに払うという。
ウソだとは分かってる。
週明けに払えるぐらいなら、今日、振り込めてるだろう。金曜なんだから。
そして、また週明けに催促する事になる、この繰り返しだ。
4月10日に必ず払うから待ってと言ったのは何だったんだ、その金はよそに回したのか?と尋ねると、「よそって何だ」と言う。
アイツの事を書くとブログが汚れるな。が、事実なのだから仕方ない。
こっちの真剣さがイマイチ伝わってない、と言うか、暮れに払えないものを4月10日に払うと約束したらば、それは普通死守するべきものなのではなかろうか。こっちが狂ったぐらいの電話を入れて初めて半分払う。
そうしないと、払えないのか、って話だ。
あのノンキさが、届出の彼のノンキさと重なる。
社長は「病気だから医者に行け」と言ったそうだが、本当に病気なのかもしれないと言う疑念がフツフツ沸いてきたのである。
元夫ののらりくらりも、普通じゃねぇ。
が、病気であるなら病院へ、そうでなければ働くんだ。
「幾ら私が憎くても、これはkekeへのお金なんだからね。」と捨てセリフ。
毎回毎回、この言葉で「この人がもしも○んでしまったら」と想像する事がある。
でも、やっぱり後悔しない。
私だって、当時は生きた心地がしなかった。それでもし死んでたって、ヤツラは後悔しないだろう。それと同じである。
それでもどうにか生きてきたか、あきらめたかの違いじゃないかと思う。
それは誰のせいでもない。
その後社長が事務所に戻ってきたので、すごく気になったが、まだ何の反応もなく、だいぶ時間が経ってから、社長にTELがあり、彼が社長に例の届出を頼んでいるようであった。
ほんと、断って正解だったと思う。
腫れ物を触るように周りが気にしているのに。。。。
と、思った所で、フツフツと疑念が沸いてきた。
どうしてあの人はあんなにノンキなんだろう?!
本当にノンキだったら、頼み事を自分で普通に最初から社長に言えばいいのに。
あのノンキさが、元夫にかなり似ている、と言う疑念がフツフツ沸いてきたのである。
元夫と言えば、約束の昨年暮れに払えないから4月にって言いながら、払えず、2度催促してやっと払ってもらった半分の残り。
月末までに払うと言った残りの半分がまだ払われていない。
電話をすると、「まだ払ってない」と認めた。
いつ払ってくれるのか、と尋ねると、週明けに払うという。
ウソだとは分かってる。
週明けに払えるぐらいなら、今日、振り込めてるだろう。金曜なんだから。
そして、また週明けに催促する事になる、この繰り返しだ。
4月10日に必ず払うから待ってと言ったのは何だったんだ、その金はよそに回したのか?と尋ねると、「よそって何だ」と言う。
アイツの事を書くとブログが汚れるな。が、事実なのだから仕方ない。
こっちの真剣さがイマイチ伝わってない、と言うか、暮れに払えないものを4月10日に払うと約束したらば、それは普通死守するべきものなのではなかろうか。こっちが狂ったぐらいの電話を入れて初めて半分払う。
そうしないと、払えないのか、って話だ。
あのノンキさが、届出の彼のノンキさと重なる。
社長は「病気だから医者に行け」と言ったそうだが、本当に病気なのかもしれないと言う疑念がフツフツ沸いてきたのである。
元夫ののらりくらりも、普通じゃねぇ。
が、病気であるなら病院へ、そうでなければ働くんだ。
「幾ら私が憎くても、これはkekeへのお金なんだからね。」と捨てセリフ。
毎回毎回、この言葉で「この人がもしも○んでしまったら」と想像する事がある。
でも、やっぱり後悔しない。
私だって、当時は生きた心地がしなかった。それでもし死んでたって、ヤツラは後悔しないだろう。それと同じである。
それでもどうにか生きてきたか、あきらめたかの違いじゃないかと思う。
それは誰のせいでもない。