kekeが怒った。
たぶん、こんなに怒ったのは生まれて初めてだと思う。
弁当が染み出して、プリントが全部汚れたと言う。
「そんなに言うなら先生に謝ってあげるわよ。」
「これが一枚しかない大学の書類だったらどうするんだよ!!」
「これから気をつけるよ。。。」
「前にもそう言ったのに!」
と言う訳で、しばらくはおにぎりしか作らない事になった。
私の事は二度と信用しないのだそうだ。
おにぎりも「高菜のおにぎりの汁が原因ではないか?」とkekeは疑ったが、毎日昼食代400円渡していたら20日で8千円にもなってしまう。それはやはり現実的ではないのでおにぎりは持って行ってもらおうと思う。
毎日「もう生きていくのがイヤだ」と言う割りに、大学の受験書類で怒り狂うkeke。
本当はアンタは大学も行きたいし、未来も夢があるんではないかい?
まあ、染み出したのが今日でよかった。。。。
おにぎりと言えば、前の前の会社で定年過ぎたじいさんが再雇用で雇われていた。
最初は総務を取りまとめる・・と言う任務だったそうなのだが、動きが鈍く(20代30代がほとんどのあの会社でその年で働き始めるのに既にムリもあったのかもしれない)、どんどん期待は落ちていき、私が入社した頃は、朝は掃除、午後はセンパイの事務員さんに雑用を言いつけられるか読書、の程度にまで落ちていた。
そして、センパイの事務員さんは私に仕事を引き継いで辞めていったわけなのだが、私は曲がりにも目上であり入社も早いこのじいさんに雑用を言いつけるようなキャラではなかったので、それなりに仲良くしていた。
(でも、じいさんはみんなからバカにされていたので、人前では必要以上に相手にせず、居ない所でたまにじいさんの愚痴を聞くという微妙な距離を保っていた)
それで一体何が・・・・と言うと、そのじいさんの毎日の弁当が手作りのおにぎり二つだったのだ。
中身は分からない。あれは本人が作って持ってきたのか、奥さんが作っていたのか。。。
ほとんど同じ形の何の変化も無いおにぎり二つを毎日じいさんは食べていた。
一度Aさんとじいさんの話になって、私は「あれはわびしいですね」と言った事がある。
でも考えてみれば、私も週末家で焼いたバターロール3つだけ、と言う弁当が週に一度はある。大きなお世話だったなと思う。
じいさんは年金だけでは暮らしていけなかったのかもしれない。
会社もそのうち厳しくなっていき、何度か辞めてくれないかという話はあり、やがてじいさんは辞めた。
最後の年、源泉徴収を渡す時に「年金ももらっているなら確定申告した方がいいかもしれないので税務署で相談してみてください」とじいさんに言った。でも、じいさんはあーだこーだと言って、たぶん行かなかったと思う。(さらに税金を取られてしまうと思ったのだろう)
私も詳しい事はよく分からなかった。
会社では給料分だけ源泉徴収を出せば用は済んだから。
辞めて数ヶ月後、私はじいさんのしていた仕事は前のファイルを見ながら、同じようにやっていたのだが、どうしても分からない事があったので、久しぶりにじいさんの家に電話してみた。
すると奥さんが出て、彼はもう亡くなったと言う。
仕事を辞めてある日、夕飯を普通に食べて、普通に眠ったままそのまま息を引き取ったと言う。
その話は、2日くらい社内で「えっ。。。」と言う感じには語られていたが、それ以上の話題にはならず忘れ去られていった。
でも、私はおにぎりと言うと、あのじいさんを思い出す。
そして、私もあの年齢で、あんな風に若者にバカにされながら、朝残り飯であんな風におにぎりを作って働く日が来るんだろうな、とぼんやり覚悟する。
K女史が「(年寄りになると)何が生きてて楽しいんでしょうね」といつか言ったことがある。
毎日楽しそうに過す老人がいる一方で、あのじいさんは何を励みに何を楽しみに生きていたのか。(孫とかなのかな)
もっとそのあたりの話をよく聞いておけばよかった、と後悔する。
私はさらに1人で何を楽しみにしてることだか。
たぶん、こんなに怒ったのは生まれて初めてだと思う。
弁当が染み出して、プリントが全部汚れたと言う。
「そんなに言うなら先生に謝ってあげるわよ。」
「これが一枚しかない大学の書類だったらどうするんだよ!!」
「これから気をつけるよ。。。」
「前にもそう言ったのに!」
と言う訳で、しばらくはおにぎりしか作らない事になった。
私の事は二度と信用しないのだそうだ。
おにぎりも「高菜のおにぎりの汁が原因ではないか?」とkekeは疑ったが、毎日昼食代400円渡していたら20日で8千円にもなってしまう。それはやはり現実的ではないのでおにぎりは持って行ってもらおうと思う。
毎日「もう生きていくのがイヤだ」と言う割りに、大学の受験書類で怒り狂うkeke。
本当はアンタは大学も行きたいし、未来も夢があるんではないかい?
まあ、染み出したのが今日でよかった。。。。
おにぎりと言えば、前の前の会社で定年過ぎたじいさんが再雇用で雇われていた。
最初は総務を取りまとめる・・と言う任務だったそうなのだが、動きが鈍く(20代30代がほとんどのあの会社でその年で働き始めるのに既にムリもあったのかもしれない)、どんどん期待は落ちていき、私が入社した頃は、朝は掃除、午後はセンパイの事務員さんに雑用を言いつけられるか読書、の程度にまで落ちていた。
そして、センパイの事務員さんは私に仕事を引き継いで辞めていったわけなのだが、私は曲がりにも目上であり入社も早いこのじいさんに雑用を言いつけるようなキャラではなかったので、それなりに仲良くしていた。
(でも、じいさんはみんなからバカにされていたので、人前では必要以上に相手にせず、居ない所でたまにじいさんの愚痴を聞くという微妙な距離を保っていた)
それで一体何が・・・・と言うと、そのじいさんの毎日の弁当が手作りのおにぎり二つだったのだ。
中身は分からない。あれは本人が作って持ってきたのか、奥さんが作っていたのか。。。
ほとんど同じ形の何の変化も無いおにぎり二つを毎日じいさんは食べていた。
一度Aさんとじいさんの話になって、私は「あれはわびしいですね」と言った事がある。
でも考えてみれば、私も週末家で焼いたバターロール3つだけ、と言う弁当が週に一度はある。大きなお世話だったなと思う。
じいさんは年金だけでは暮らしていけなかったのかもしれない。
会社もそのうち厳しくなっていき、何度か辞めてくれないかという話はあり、やがてじいさんは辞めた。
最後の年、源泉徴収を渡す時に「年金ももらっているなら確定申告した方がいいかもしれないので税務署で相談してみてください」とじいさんに言った。でも、じいさんはあーだこーだと言って、たぶん行かなかったと思う。(さらに税金を取られてしまうと思ったのだろう)
私も詳しい事はよく分からなかった。
会社では給料分だけ源泉徴収を出せば用は済んだから。
辞めて数ヶ月後、私はじいさんのしていた仕事は前のファイルを見ながら、同じようにやっていたのだが、どうしても分からない事があったので、久しぶりにじいさんの家に電話してみた。
すると奥さんが出て、彼はもう亡くなったと言う。
仕事を辞めてある日、夕飯を普通に食べて、普通に眠ったままそのまま息を引き取ったと言う。
その話は、2日くらい社内で「えっ。。。」と言う感じには語られていたが、それ以上の話題にはならず忘れ去られていった。
でも、私はおにぎりと言うと、あのじいさんを思い出す。
そして、私もあの年齢で、あんな風に若者にバカにされながら、朝残り飯であんな風におにぎりを作って働く日が来るんだろうな、とぼんやり覚悟する。
K女史が「(年寄りになると)何が生きてて楽しいんでしょうね」といつか言ったことがある。
毎日楽しそうに過す老人がいる一方で、あのじいさんは何を励みに何を楽しみに生きていたのか。(孫とかなのかな)
もっとそのあたりの話をよく聞いておけばよかった、と後悔する。
私はさらに1人で何を楽しみにしてることだか。