ただいま騒がれている年金の話題である。
どうやら私も他人事ではなくなってきた。
父はボケる前「sakeの学生の時の分もちゃんと払ってあるよ」と言うのを何度か聞いていた。が、問い合わせてみた所によると、私が勤めてからはきちんと履歴が残っているが、それ以前(ハタチから23歳)の分は記録がないと言うのである。
そうなる可能性は高い。
仮に父が払った私のハタチ~23歳の国民年金番号があったとして、私は仕事を辞めて専業主婦になった時点でまた新たに国民年金の番号をもらってしまっているはずだ。(当時このような知識はなかったから、なすがままの状態である)そして、年金番号を統一した時に、この学生時代の番号が宙に浮いた可能性があるのである。
私は年金手帳を持ってもう一度社会保険事務所に訪れて、事情を説明した。それは先方もわかってくれて、生年月日やら名前で検索を掛けてくれた。が、結局それらしきデータを引っ張り出す事はできなかった。
先方は「万が一名前や生年月日が間違って登録されていれば埋もれている可能性がありますが、そうでない限りは払われた可能性がないだろう」と言う。それに当時は任意加入なので、払っている人の方が少ないんですよ、とも言う。
まぁね。父の性格だとそれでも払っていた、と言う可能性もなきにしもあらずなのだが。。。
ここで領収書やその当時の年金番号が分かれば証拠になりえるが、父もいまやボケていて証言にすらならない。もしかしたら父の勘違いだったのかもしれない、と思う事にする。
いろいろ親切に検索掛けてもらったし、もういいのだ。
隣では、すごい剣幕で50代後半の婦人が怒っている。先ほどチラッと話をしたが、滞納していた年金を一括で払った時の記録が消えていたそうだ。それは5年分に当たるらしい。。。(そんなこんなですごく社会保険事務所は混んでいた、私は国民年金だったのですいていたが厚生年金の方の混み方はハンパではなかった、1時間半待ちとか。)
社会保険事務所を出た所で、某TV局がカメラマンを従えて、ぜひインタビューに応じて欲しいと言うが、この上記の内容をどうやって簡単に説明すればよいのか分からないし、この顔が全国に流れると思うと、とてもとてもイヤだったので辞退させていただいた。ごめんなさい。
でも、この後出てくるあの50代後半の人なら応じてくれるかも。。。
それでも諦めきれない私は実家によって、妹に事情を説明。「当時の領収書が残っているとは思ってないが、その年金手帳は残ってないかね~」と言う。
妹は「あれから家、建て替えてるからね」と言った。
そうなのだ、その時何もかもオシャカになってしまったのだ。
なんせ、家族みんながそう言う所に無頓着な一家なのだ。私と亡き祖母だけは唯一執念深い面も持っていたが、あの時kekeが1歳になったかどうかでアップアップだった。今思えば、あの古い家は宝の山だった。かえすがえすも残念だ。。。
妹は「この家を自由に探すのは構わないけど、もうジイサンに余計な面倒を掛けないでくれ」と言う。
それもその通りだと思う。
父はもうそんな事を覚えてないし、覚えていたつもりでも記憶が正しいかどうかさえ怪しいし、言った所でただむやみに心配が残るだけなのだ。分かってる。
と言うことで、私はそのあるかないか判断できない3年間はもう忘れる事にした。
金は天下の回り物。
もし私の所に来るはずのお金なら、形を変えてどこかで巡り合えるだろう。。。。
きっと・・・・・。
そのあと妹は、父の検便の苦労を語った。
それは長くなるので、次回にしようと思う。
どうやら私も他人事ではなくなってきた。
父はボケる前「sakeの学生の時の分もちゃんと払ってあるよ」と言うのを何度か聞いていた。が、問い合わせてみた所によると、私が勤めてからはきちんと履歴が残っているが、それ以前(ハタチから23歳)の分は記録がないと言うのである。
そうなる可能性は高い。
仮に父が払った私のハタチ~23歳の国民年金番号があったとして、私は仕事を辞めて専業主婦になった時点でまた新たに国民年金の番号をもらってしまっているはずだ。(当時このような知識はなかったから、なすがままの状態である)そして、年金番号を統一した時に、この学生時代の番号が宙に浮いた可能性があるのである。
私は年金手帳を持ってもう一度社会保険事務所に訪れて、事情を説明した。それは先方もわかってくれて、生年月日やら名前で検索を掛けてくれた。が、結局それらしきデータを引っ張り出す事はできなかった。
先方は「万が一名前や生年月日が間違って登録されていれば埋もれている可能性がありますが、そうでない限りは払われた可能性がないだろう」と言う。それに当時は任意加入なので、払っている人の方が少ないんですよ、とも言う。
まぁね。父の性格だとそれでも払っていた、と言う可能性もなきにしもあらずなのだが。。。
ここで領収書やその当時の年金番号が分かれば証拠になりえるが、父もいまやボケていて証言にすらならない。もしかしたら父の勘違いだったのかもしれない、と思う事にする。
いろいろ親切に検索掛けてもらったし、もういいのだ。
隣では、すごい剣幕で50代後半の婦人が怒っている。先ほどチラッと話をしたが、滞納していた年金を一括で払った時の記録が消えていたそうだ。それは5年分に当たるらしい。。。(そんなこんなですごく社会保険事務所は混んでいた、私は国民年金だったのですいていたが厚生年金の方の混み方はハンパではなかった、1時間半待ちとか。)
社会保険事務所を出た所で、某TV局がカメラマンを従えて、ぜひインタビューに応じて欲しいと言うが、この上記の内容をどうやって簡単に説明すればよいのか分からないし、この顔が全国に流れると思うと、とてもとてもイヤだったので辞退させていただいた。ごめんなさい。
でも、この後出てくるあの50代後半の人なら応じてくれるかも。。。
それでも諦めきれない私は実家によって、妹に事情を説明。「当時の領収書が残っているとは思ってないが、その年金手帳は残ってないかね~」と言う。
妹は「あれから家、建て替えてるからね」と言った。
そうなのだ、その時何もかもオシャカになってしまったのだ。
なんせ、家族みんながそう言う所に無頓着な一家なのだ。私と亡き祖母だけは唯一執念深い面も持っていたが、あの時kekeが1歳になったかどうかでアップアップだった。今思えば、あの古い家は宝の山だった。かえすがえすも残念だ。。。
妹は「この家を自由に探すのは構わないけど、もうジイサンに余計な面倒を掛けないでくれ」と言う。
それもその通りだと思う。
父はもうそんな事を覚えてないし、覚えていたつもりでも記憶が正しいかどうかさえ怪しいし、言った所でただむやみに心配が残るだけなのだ。分かってる。
と言うことで、私はそのあるかないか判断できない3年間はもう忘れる事にした。
金は天下の回り物。
もし私の所に来るはずのお金なら、形を変えてどこかで巡り合えるだろう。。。。
きっと・・・・・。
そのあと妹は、父の検便の苦労を語った。
それは長くなるので、次回にしようと思う。