今日は遅くまで夜遊び・・・・
さっそく映画「アイミタガイ」を見てきました。^^;
ほのぼの・・・というか、しみじみというか・・・じんわり来る映画ですね。派手なアクションとかハラハラはあまり無いのに、じんわりうるっと来る映画でした。映画部屋に私以外の観客がおらず、今から思えばもっと後ろから見ればよかったですが・・・ほかに誰もいないというのも不安なものですね。^^;
ストーリーはネタバレになってしまうので省略して、私は実家でドラマとかほとんど見ていないので、草笛光子さんを拝見たことがなくて、ずっと中尾ミエさんだと勘違いしていて(中尾ミエさんって演技迫力あるなぁ~)とずっと見ていたら、最後に草笛さんの名前があり、(あぁこの方が草笛光子さん!)と思いました。演技がすごいのか、たまたまキャラがはまっていたのか、すごいオーラのある方ですね。この方の存在がなかったら、映画が全然変わってしまったように思います。
そして、映画の景色をいっぱい目に焼き付けて帰ってきました。どなたかが「東京でやったらみんなわざとらしく見える」と書かれていたけど、たしかにそうかも。このロケ地(桑名の町)の雰囲気とかテンポが合っているのかもしれません。さりげなく桑名駅の看板が写っていたり、今は無き桑栄メイトという看板?が復活していたそうで、桑名駅に向かう電車のアナウンスも2回か3回出ていたように思います。それを生で聞くのも楽しみだなぁ~^^;
てらまち広場という所が、たぶん主人公が待ち合わせしている場所っぽいです。(そこのトイレから主人公の彼が出てくる)
今だったら「あ、これがここ!」とワーワーキャーキャーになるんだろうけど、何ヶ月も先だともうたぶんその時はもうその光景を忘れてしまいそう。。。
名古屋もロケ地があるけれど、基本は桑名の町で、地元のプリンとか、食品サンプルのお店のグッズ(アクセサリ?)とかも映画に出てくるのです。あと歴史を語る公園?の橋?も何回か出てきて、いや~考えるだけですごく楽しみ。。。。。。^^;
行きたいところたくさんあり過ぎて困るなぁ~^^
この前のブログで頂いたコメントで「アイミタガイ」という言葉があったので、何だろう?と思って調べてみると映画のタイトルとのことで、(どんな映画なんだろう?)とお返事を書いてから更に調べてみると・・・・
な、な、なんと!
そちらのロケ地が私が来年旅行する予定の三重と名古屋だとは!!@@
偶然と流すよりも、これも何かの縁かもと考えて、近々映画を見に行こうかと思いました
映画の内容も、いかにも私が好きそう~な感じだし、しばらく映画見てないからたまにはいいかも。
息子がアマゾンプライムを解約してしまったので、映画館でないと見れないし、ロードショーって結構早く終わってしまうから、さっそく予定を作るつもりです^^
一度映画を見たくらいで、「そうそう、あのシーンここだ~!」とはならないと思うけど(何しろ忘れるのが早くて)、1か所2か所でも行けるとちょっと楽しいかも。。
またひとつ楽しみが増えました。
あづままさん、ありがとうございます
今週は準備が足りずお弁当も同じものばかりになってしまった。(-_-;)
カレーの残りと共に開封。^^
みかんのお酒は前にも飲んだことがあるけれど、こちらは微炭酸。昔懐かし缶詰のみかんの味がします。
甘くておいしい、お酒が入っている感じがしないので飲みすぎ注意。炭酸は注目しないとほとんど感じない程度。
もったいないから半分はまた後日飲むことにした。(ビールと違ってとっておけるのでコスパよし♪)
今日は朝方涼しくて気持ちいいですね^^これからはまた暑くなりそうだけど。。。
この3連休は彼岸花で忙しいと思いきや、暑すぎてまだ満開になってないところが多いようです。来週は来週で行きたい場所があったので、どっちにするかなぁ・・・・。今年は、今月最初に撮った彼岸花で終わってしまうかもしれません。
花は天気もあるので、その時撮っておかないと撮れない・・・後でいいやと思ってもその「後で」撮れるかどうか分からないものだな、と今回気がつきました。最近昼休みに少しだけ散歩を始めて、足元の花をみながら「明日はカメラ持ってこようかな」と思うのですが、放置したまま金曜日を過ぎてしまいました。たぶん来週は無理でしょう。。。そういうことが多々あるんですね。
そんな今朝読んでいた本です。
「このプリン、いま食べるか?ガマンするか?」/柿内尚文さん著
今、時間が足りない、もっとあれもこれもしなきゃいけないのに・・・そのような方のために時間の使い方を解いた本です。^^
ここでは時間を4つの時間(幸福・投資・役割・浪費)に分けます。
幸福の時間、或いは投資(資格所得など将来のための)の時間にすると満足感が高まるが、一般的に役割の時間(母として妻としてなどやらなきゃならない時間)が多いので満足できない。(浪費はゴロゴロしたり無意味に過ごす時間のこと。←幸せに感じられればそれなりに意味はある。)
役割の時間をいかに減らして、(他人ができることは仕事を振ったり、やらなくていいことはやらない等)、幸福の時間を増やす。
たとえ役割の時間であっても、それが幸福の時間や、投資の時間に変わるように自分の受け止め方を変える。
:
そのようなことが理路整然と書かれているという印象です。(^_^;)
この本の中で(本の本筋とはそれると思うのですが)、長続きする幸せと、長続きしない幸せというのがあると書いてあり、周りの人と地位や名誉、成功とかを比較して得られる幸せは長続きしない、長続きする幸せとは自分が評価できる幸せな状態にいるということだそうです。
そう言えばたしかに、大金持ちで車でも何でもすごく高いものを買う人はそのゲットした幸福は長くは続かず、また次に何かを買い求めないと気がすまない・・・というのがありますね。頑張っている努力屋さんの友人もいたけれど、何かそれと似ているように思います。
私自身がナマケモノだから、そういう頑張り屋さんに共感できないのだろうとずっと思っていました。頑張りすぎる人って「努力してるから評価されるのが当然よ」という雰囲気があって、どこかナマケモノに対して上から目線的なムードを感じてしまうというか・・私が言うのはおこがましいけれど感謝の気持ちが薄いような気がするのです。(私自身が頑張ることができないネタミももちろんあるでしょうが・・・)
比較競争して育ってきた方にありがちなのですが、競争に勝つことが目的になっていて、いつも人と自分を比べている。人生が競争の場になってしまっている。私もそういう風に育ってきたから、人生が競争の場になっていて、いつも周りと比べてはへこんでいました。今でもそれが完全に無くなった訳ではないけれど、あの頃は「とても生きるのが辛かった」です。(byあみん)
自分がそういう部分を持っているので、頑張っている人を見ると(自分も頑張らなきゃいけないのでは)という気持ちがむくむく起きてきて辛くなるんです。
そういうことにだんだん気がついて、インスタもやめようかと思ったことが何度もあり、その理由でフューチャー系のハッシュタグは今はお休みしています。選ばれてうれしいということは、選ばれなきゃいけないというメッセージを自分に無意識に与えてしまうことになり、写真を撮ることがどんどんつまらなくなってしまうからです。私の性格に合わないように思ったのですよね。
それからこの本に「グチが多い人は他人軸で生きている」という内容があり、これもその通りだなと思いました。
この本の例として、例えば電車の中で隣の人のイヤホンの音が気になる場合。
「なんでこんなに音漏れさせるのだ?」と考えるのが、他人軸で生きている人。
「この状況で自分がイヤな思いをしないようにはどうしようか」と考えるのが自分軸で生きている人なのだそうです。
これらは一つにつながっていて、他人軸(他人の評価)で生きている人は、努力が成果として出なければグチになりやすく、努力が成果として出ても(また他人と比べて勝ち上がることを目的とするので)、その勝ち得て得た幸せは長くは続かないように思います。
幸せの青い鳥ではないけれど、案外自分の近くに幸せは転がっているのではないのかなぁ・・・・。
結局、この本でプリンをいま食べるか、ガマンするかの答えは最後になっても出ていません。
今食べて幸福の時間を持つか、ダイエットのためにガマンする(投資の時間)に変えるのかは本人の価値観だからです。
最近、自分は「勘に頼る」ということをよくしています。
今日どこへ行こうか、何をしようか、カーテンを開けて空を見て決めたりしています。
理詰めで、こうだろうああだろうと考えると(その通りにいかなかった場合)グチになりやすいけれど、「勘で決めた」ことならば運任せで、その先にラッキーなことなど起こりでもしたら、神様が味方してくれた!とまで思いが発展します。うまく行かなかったとしても、ただその日は勘が働かなかっただけ。誰のせいでもありません。
例え「やらなきゃなー」と思っていたことができなかったとしても、勘でそうなったのならOKなのです。^^
ということで、今日はまた、うだうだ過ごすことにしましょう。^^
昨日は腹が立って夜の写真もない。
でも作った。昨日は初めてたけのこの代わりに、じゃがいもでチンジャオロースを作った。「おうち中華」という本に「じゃがいもで作ったら孫が喜んだ」と書いてあり、レシピはメモしていなかったが、いつもの水煮のタケノコの代わりにじゃがいもで作ってみると、たしかにこれはいい。じゃがいもはつい買ってしまい冷蔵庫に余りがちなので、その消費にもなる。
何に腹を立てるかというと、会社でことあるごとに「こうすればいいのに」とケチをつけてくる人がいるからだ。それが1日に1回2回とかで的を得た意見なら「これから気をつけなきゃ」と思うのだが、逆にしても、結局はケチをつけてくる。つまり私が気に入らないから、あれもこれもケチをつけてくるのだ。
昨日も契約が保留になってしまった案件があって、私は一度作った請求書のファイルを残しておくと、一度出したものだと間違える可能性があると思って消した。それを「消さなきゃいいのに。」
もう全てこんな感じ。これ、例えそう思ったとしてもわざわざ口に出して言うことだろうか?
そして、それを他の人がいても平気で言うから、他の人からもコバカにされる雰囲気になっている。
「消さなきゃいいのに」というけど、消さないで間違いがが起きたら「そんなの残しておくからだ」と言うのは火を見るより明らか。本人は自分が頭がいいと思っているけれど、頭がいい人がこんな発言をするだろうか。
ほんとにやってらんねーよ、と思ってブログに書こうと思ったが、その前に眠くなってしまった。
今日は土曜日で、寝っ転がりながら「がんばらない、がんばらない」という本を読んでいたら、阿修羅という話が書いてあった。この阿修羅とは、本来は正義の神様だが、あまりに正義にこだわりすぎて魔物と認定されてしまったそうである。そして著者のひろさちやさんによると、阿修羅ではなく人間になる方法は相手に少しだけいたわりの気持ちを持つことだ、と書いてある。
そうだ、相手にいたわりの気持ちがないから、あんな言い方になるのだろう。
そして、私もそれを非難しかしなかったら、彼と同じだ。私はちょっとだけ、いたわりと思いやりの心を持ってみようと思う。
この本には「怒りを消し去ることは所詮不可能」と書いてあり、怒りはあってもいいけれど、ほんのちょっと思いやりをもつことがコツのようだ。
気がつくと、うちの人ってお客様とか上司とか上の人には気遣いするけれど、下の人には横柄なのだ。あれはずっと前からおかしいと密かに思っていた。
上の人を大切にできるのなら下の人にも気配りできるはずだし、例え立場は上下関係でもちょっとした言葉や態度で思いやりを表現できるのに、とずっと思っていた。下の人間に優しくすると「なめられる」と思い込んでいるみたいだ。
男性社会特有の現象かなぁと思っていたけれど、そうでない人もいるみたい。
ま、私はちょっとのいたわりや、思いやりを持ってみようと思う。
怨憎会苦という言葉もあるぐらいなのだから、この程度のこたぁしょうがねぇ・・・・。
あ~~、やっと土曜日になった~\(^o^)/
本当は「やらなきゃならないこと」が考えるとたくさんあるのですが・・・「息をしなきゃ」「食べなきゃ」「トイレいかなきゃ」以外はどうしてもやらなきゃいけないことはない・・・また明日考えよう!
今日は今まで本を読んでいました。
「あなた次第でこの世界は素晴らしい場所になる」/ひすいこたろうさんの本はもう3~4冊目ぐらいになると思います。私は一時期、小林正観さんの本にはまっていましたが、ひすいさんの本には小林正観さんの話が必ずと言っていいほど登場するのです。だから余計同士のような感覚になってしまうのです。
最近、お米のことを始め、総裁選とか鬱々するようなニュースが多いですが、とりあえずこの小さな世界(親子やお友達)の世界で今まで通りに生きてこうと思う私です。kekeいわく、お米不足もだんだん解消ぎみという見方もあるとかで、まだまだ捨てたものではないのかもしれません。
で、こちらのひすいさんの本に「この人はしんどがるのが趣味なのだと思う」というのがあり、つくづく「その通りだな」と思いましたよ。
身近な人で、ここしばらく大変な仕事がなかったのです。そういうプロジェクトが入るとそれこそ、休日も仕事しなければならなかったり、帰るのが遅くなる日が続いたり大変なのだそうです。だから最近は「帰れるうちに早く帰る」とその人は言い、社長がいない時は30分1時間と早めに切り上げて帰っていました。
そして、また大きな仕事をすることになり、「今まで早く帰っていたから、これから頑張るぞ」となるかと思いきや、今まで早く帰っていたのがいつの間にか基準となり、起こること起こること全て不満な態度。。。
「本当は~時に帰るのが当たり前なのに、自分は損してる」みたいな気持ちばかり。(しかも私の居る時間には帰ってくるのに)
そうなってしまうと、始まって目に見えることがみんな不満になってしまうようです。
私自身もそうです。
人と比べて、不満だらけな考え方もしていました。いつも自分は苦労ばかりだと思っていました。
ある日、小林正観さんの本で「ありがとうと何万回(数字はもう忘れた)言うと言うだけで、やがていいことが降ってくる」と言うようなことが書いてあって、当時息子のことで悩んでいた私は「無料でできることだし、やってみよう」と思って、あることあること全て「ありがとう」と思うようにしたのです。
それが功を奏したのかどうかは分かりませんが・・・・・・なぜか息子が気がついたら立派な青年になっていました。親バカかもしれませんが、私よりずっと常識的でマトモな息子です。「ありがとう」と毎日言っていただけなのに、本当にそうなってしまったのでした。
(もっとも今の息子が正しくて昔の息子が間違いだというのも固定概念です。)
私は理屈好きなので考えます。
結局「ありがとう」と常に思うことで、不平不満が消え、私が不平不満の発想をしなくなったこと(頑張って成果を挙げるのではなくその人なりに進めばいいと言う発想)で、息子が生き易くなったのかもしれません。
不平不満ということは、成果主義的発想なのです。
私が思い出しても、不平不満を持つ人は「努力家で優秀な人」が多いです。共通するのが「自分はこんなに努力して優秀なのに報われていない」という気持ちなのです。それが不満につながっていきます。
それはたぶん「ありがとう」と言う感謝の気持ちとは相容れぬものかもしれません。
自分の目の前に起こった出来事を不満に感じるのか、それを裏返してでも「ありがとう」と思うところを見つけるのか。
たったそれだけでも、その後の展開は変わって行くかもしれません。
ひすいさんの本にもありましたが、「不機嫌は(伝染することで)最大の罪になる」すなわち、「自分がご機嫌でいることは人類に最大に貢献している」ことになるそうです。
私が至らないこともありますが、「努力して頑張っていた」結果の賞賛は永遠には続きません。また更に努力をして頑張らないとそのポジションは続かないからです。自分がご機嫌でいることは、無理して頑張ることではなく、自分の内なる声を聞き、それを許し肯定することではないでしょうか。。。
最近はそう思うこともあって、頑張ることや、努力することとも少し距離を置いています。
昨日は肉を焼いていれる。トンテキ弁当である。
「あんな言い方あるのかね」ということがあって、つくづく仕事をするのがイヤになる。
それは「~~~すればいいのに」という言い方である。
これは相手がしたことに対してマウントを取りたくて、言わなくてもいいのに、あえて口にする言葉だと昨日は確信した。それで、Aという行動を取れば「Bをすればいいのに」と言うけれど、Bという行動を取れば「Aにすればいいのに」と言うのが私は見てわかったんだよ。
要するに私がどんな行動をとっても、そういう言い方をするんだよね。
それも相手を選んでそういう言い方をするんだよ。
こういう風にされて、ある日若者は電車に飛び込むんじゃなかろうか、と昨日はつくづく思ったよ。
何をやってもダメだしされれば、それをみんな「自分が悪いから」と思い込んだら、死んでしまうしかないって思うかもしれない。
いったいどうして、そういう言い方になるのかなと思うが、いじめられ体質な自分に原因があるのだろう。
相手の気持ちも考えないで暴言を繰り返す人と付き合っていくのは疲れますな。
図書館に寄ってたまたま見つけた本。
「平気であなたを傷つけてくる人から自分を守る本」/石原加受子さん著
まさに今の自分にピッタリだと思って借りた。たぶん昔読んだと思うけど。
このタイトルを見るだけで「私にも味方がいるんだなぁ」と言う気持ちになる。
パッと開いてみると
「自分中心に生きるスキルが身についてくると、(中略)どんなに支配的高圧的な人であっても、どんなに怒鳴ったり押しつけたりする人であっても、相手に対する認識が変化していきます。」と言う文章が現れる。
私は古くからスポンジのように、そういう相手の暴言を吸収してしまうタイプだった。
「いじめる方がひどい」と思うのは簡単だけど、ここまで関わる人、関わる人がそういう風になっていくのは、やはり自分に原因があると思う。
それは「悪い」のではなく、「自分中心に生きるスキル」が無いからなのではないのか。
常に相手を気にして合わせようとするヘコヘコする態度が、相手がどんどん王様化してしまう原因になっているのだと思う。
そして支配的・威圧的に変わっていく。
見方によっては「いじめ」のようになっていく。
ちょっと見、鈍感そうだし、こいつなら何を言っても平気だと思うのだろう。
私の人生は振り返ると、そういうことばっかりだった。
さてさて、平気で私を傷つけてくる人からどうやって自分の身を守りましょうか。
暑いですねー
今日は朝からおせんべいを食べています。^^;
昨日封を開けてしまって、しけらないうちに食べちゃおうかと思ったんです。
今回は9日間の連休で(社長は内心1日就業にしたかったようですが)、この間はおなかがすいたら食べるようにして、身体の声を聞きながら自然に暮らそうかな、なんて思っているのですが。。。
これ、注ぎたてのビールの泡です。^^
何ともおいしそう~~なクリーミーさですね。
柿の種がもっと見えた方が雰囲気が出るかなーと位置を変えてみました。ちょっと泡がクリーミーでなくなってしまっています。
この日は朝から何も食べずにひまわり畑に向かい、家に帰ってからおなかがすいて、kekeもいないので一人でそうめんをゆでてたらふく食べました。(3時頃)それで夜になってもおなかがすかず、柿の種で済ましてしまったのです。
昨日はすいかの写真を涼しげに撮ってみました。^^
昼はカレーピラフです。使い切りたいソーセージがあったので。
昨日の晩ご飯は、スーパーでお惣菜を買ってしまいました。手前の餃子は手作りです。
スーパーのお惣菜は色が映えますね。^^
昨日は家にいて、グータラグータラしていました。
この夏、部屋だけは片付けよう!!と思ってはいたものの、もうどこからやればいいのかわからない状態。。。やろうとした所で、芯が貧乏性なので、大方捨てられないんですよ。だから結局どこかに押し込めるだけで、見えないものにフタするしかないのです。
今、たまたま、かぜのたみさんの「低コスト生活」という本を半分ぐらい読んだところですが、「仕事×趣味×日常の配分を探りましょう」というのがあり、著者さんはその中で「日常」を優先するようにしたら気持ちも楽になれてお金も使わなくなったそうです。
「日常」とは、お洗濯やお掃除や料理という自分の生活を優先することで、自炊や窓や床を丁寧に磨いてみたり、お風呂にゆっくりつかってみたりすることとのことです。(今はフリーランスでお仕事をされているそう。)
私は今、その真逆で平日は朝から通勤時間も入れると11時間、それで休日に写真を撮りに出かけていたら、そりゃ「日常」は5%ぐらいにしかならず、家もぐじゃぐじゃになる訳です。
その著者さんの場合は「仕事と趣味の二つにバランスが偏っている頃は「キラキラした私」「リア充」のような気持ちになれるのですが、部屋が散らかっていたり浪費が激しくなった」そうで、まさに今の自分のことみたい・・・orz
そういう風に偏りたくは無いと思っていますが、ブログやSNSの世界を歩いていると、どうしても「リア充」にシフトしがちですよね。
「今日はこんなことをしました」というお題がないような日は無駄に過ごしてしまったような気持ちになるし。
家でゆっくり休むという過ごし方も、とても充実した過ごし方なのに。。。
昨日のお弁当。残りご飯が少なかったので、そうめんもゆでました。^^
いなりの皮も4枚しかなかったので、残りはチャーハン・・・色をターメリックで黄色くしてみただけで、味付けはコンソメと塩コショウのみです。
かわいく作ってみました^^
そして晩ご飯は・・・
ピザを焼きながら、パスタのつまみです。
こちらは、なんと!自己流レシピ。
冷凍庫のしめじをそのまま入れ、ツナ缶の残り(ほうれん草とニンジンをあえた残り)を入れ、ピザで使い残したピーマンを入れ、炒め酒蒸し(冷凍したしめじを溶かすために酒で蒸した)にし、みりんで少し甘くした焼き肉のタレを回し入れ、最後に黒コショウを多めにひいてみました。
自分ではおいしいと思ったのですがいかがでしょうか・・・?焼肉のタレの代わりに「めんつゆ」でもいけそうです。
そして焼きあがったピザは・・・・
チーズを伸ばして撮ってみました。(手持ちでないからイマイチ不自然な角度です:汗)
そんな昨日の晩ご飯です。^^
たまには節約でビールは無しです。(お中元で譲ってもらったのは全部飲み切ってしまいました。)
そして私の推し活は・・・・
こちらの本。
サンリオキャラクターが世界の都市を回る絵本です。
これでクロミちゃんとハンギョドンの姿を探すことにしました。^^
最初はただサンリオキャラクターを探すだけの本かと思いましたが・・ノンノンノン。その地の名産物(例えばフランスだったら「マカロンを8個探す」みたいな項目があり)、をその絵の中から探すことになっているのでして、それがなかなか全部見つからず、左から右まで何度も絵本を凝視することになりました。
(こんな数ページしかないからすぐ読み終わっちゃうよ)と思うのは大きな間違いで、今朝は途中で断念です。
年を取ると子供に戻ると言いますが、まさかこの年でこの絵本で何十分もマカロンを探すことになろうとは・・・汗
「keke~~~この絵本借りちった^^クロミも出てるよー」と言ったけれど、フンでもスンでも無いと言うか、昨日は「クロミのC1000タケダがもう出てるかスーパーに行ってくる!」と言った時は、半分怒ってるような感じ。。。(-_-;)
「お盆休みのどこかで一緒にクロミグッズを見に行かない?^^(見るだけでも楽しいよ)」と言ってももうシカト。。。
つまらんのぉ・・・
これが娘だったら、一緒に推し活できたのかもしれんのに。。。つまらんオトコやのぉ。。。
今日は帰ったら、マカロンの続きでも探すかな~~・・・
今日は初めて「黒米」という名前の黒いお米を混ぜて炊いてみました。
この前、道の駅で見つけて買ってみたものです。
今日はそちらをお弁当に。
何となくオシャレな感じ♪
黒米は「アントシアニン」なる栄養も入っているそうです。^^
もっと買ってくればよかった。少し塩も入れて炊くとお赤飯の気分になれそうです。
晩ご飯はチンジャオロースーを炒めてみました。ちょっとオイスターソース入れすぎて、その味しかしていません。。。。(もったいない)
黒米で炊いたご飯があるのに、間違えて白ごはんも炊いてしまいました。。。。そんな間違いする?って自分で自分に言いたいです。でもそういう間違いをしたのでした。(^_^;)
困ったなぁ・・・冷凍庫もいっぱいだし。。。
皮膚科からの帰りは9時半ごろになりました。
最近、皮膚科通いがちょっと楽しくなったのは、皮膚科に置いてあるマンガを楽しみにしてるんです。^^
タイトルは忘れてしまいましたが、「ひよりん」という背が小さい女子高校生がこれまた背が高い「広瀬くん」というモテモテ男子に片思いしていて、ハタからみると、広瀬君もひよりんが好きなんじゃないのー?って感じなのが、幼馴染の美女が現れたり、帰国女子のハツラツGIRLが現れたりして、みんな広瀬君のことが好きっぽくて、ひよりんがハラハラしたり涙したりするマンガなんです。
それで、今日はやっと・・・やっと「ひよりん」が勇気を出して、広瀬君を花火大会に誘い、二人で花火を見ながら、ひよりんが勇気を出して「好きです」と告白した時に、順番が来て名前を呼ばれてしまったのでした。。。。(-_-;)すごくいい場面だったのに・・・また続きは来週に。。。
何しろ忘れっぽいので、1冊の半分ぐらい前から振り返って読まないと、話の流れを忘れているんですね。だからなかなか進まない・・・オバサンは困ったものです。私も気分は高校生です。
早く指、治らないかなー
ピアノももう1ヵ月半も弾いていません。。。(-_-;)3日の休みを取り返すのに3日かかると言われるピアノ・・・まだ包帯が取れないのでお休みしています。
しかし広瀬君・・・・ひよりんが、時に落ち込んでがっかりしていると現れてやさしい言葉をかけてくれたり、はっきり「好きだ」とは言わないものの、いつもひよりんを気にして、時に笑わせてくれたり、励ましてくれたりするのです。それでモテモテでいろんな女子から告白されたり、注目を浴びたりするのに決して傾かないで、いつもひよりんだけを思ってくれている。。。
女の子はそうだよね。好きな男の子ががっかりしていたり、落ち込んでいたりすると、すぐに気がついて優しくするし、他の男子からチヤホヤされても、好きな子がいればその人を一途に思うよね。
でも実際の男の子はそんなに気がつかないし、一途でもないような気がしますね。他においしそうなエサが降りてきたら、そっちをパクって食べちゃうように思います。だからあれはやっぱり少女マンガの世界観なのかも。
もっと高校生ぐらいの頃、ああいうリア充というか、青春を楽しみたかったなぁ。
もう一度生まれ変わったら、片思いとか告白とかにドキドキする高校時代を送りたいです。
昨日は蓮を撮りに行って、午後帰って来ました。遅い時間でもないので帰りは下の道で。途中で道の駅により野菜などを買いながらです。
帰ってくると何となく横になり、うっかり昼寝して・・・昼間時間があったのにしょうがないなぁ~・・と思いながら夜スーパーで買い物。
ネギトロ巻きや、春巻き、トルティーヤ?
それから冷蔵庫にはハマチの刺身もあります。
買い物袋をぶら下げて、(何だか楽しい・・・^^)と微笑む自分がいました。
「たまには一緒に食べよう」と言うと、kekeが付き合ってくれました。
4月の奈良旅行があんなに楽しかったのは、桜が満開だったからだと思っていたけれど、もしかしたら好きなもん買って、ビール買って好きに食べていたのも楽しかったのかも・・・というと、kekeもそうかもね、と言いました。
たまには違うものも食べたいよね、自分で作らないで、食べたいものをポンポンかごに入れて・・・それって楽しいことだな、と気がついたのです。
そしてビールでも氷で薄めながらちょっと飲んでって、楽しい。。。^^
朝ごはん。
フライパンや包丁を使うのが面倒だったので(朝は食べないつもりだったし)、冷蔵庫にあるものだけで済ませました。
今日はいろいろ片付け物やらするつもりが、いつものごとくです。
本当はすべてを済ませて、明日は快く出かけたかったのですが。。。。
「今日、誰のために生きる?」ひすいこたろうさんと、SHOGENさんが書かれた本です。
SHOGENさんが絵を学びに向かったアフリカでの体験、それを日本人に広めたいと思う時に出会ったひすいさん、そしてこの本が作られたそうです。
あらすじはこちらにあります。
この中のエピソードのひとつで、SHOGENさんが絵がうまくなりたいと、朝から暗くなるまで絵を描いているシーンがあります。それを村長が知り「あきらめる時間が来ることの幸せって分るかい?」というのです。頑張ることばかりがいいことじゃない、いい作品が生まれるには心に余裕があることが大切、それには時間が来たらあきらめて、心をゆっくりさせるのが大切だ、と諭すのです。
日本では24時間電気がついているから(止めることができずに)頑張りすぎてしまうのだろうね、(それは心が潰れてしまうよ)とも。
今日も休日の1日でしたが、あれもできなかった、これもできなかった、と言う思いがあります。
でも、今日は「自分の勘で、やりたいようにしたじゃん」と思い直そう。
できなかったことも色々あるけど、やりたいことをやった(たとえそれが昼寝だとしても)。残り少ない時間を少しでもやりたいことをして、自分の本心にやさしくしてあげたいです。
頑張ることは悪いことではないけれど、頑張っている人を見ていると、心にゆとりがない人が多いように見えます。(私自身もそういう部分があります。)何か一緒にいると居心地良くないなぁ・・と感じてしまうのは、自分自身にそういう芽があるので、そういう「頑張らなきゃ」波動を敏感に感じるのかもしれません。
自分は陰では頑張りながら、人様に対してはゆとりを持って暖かい目で見守れる・・・そこまでに域に達することができれば良いのですが、まだまだな私はとりあえず、頑張る方をお休みさせることにします。
頑張らないことを頑張るというか。
自分が楽しいように本心のまま過ごせたら、愚痴もそうそう出ないですね。人が何をしてようと関係ないですから。
晩ご飯はカツを揚げました。
おいしそうだよ~~とそれを伝えたくて撮ってみました。(どうかな?)