1995年1月17日5時46分、神戸市民として忘れられない日となりました。
阪神淡路大震災が発生。あれから24年が経ちました。あの地震が起こるまでは
全国各地で地震が起る度に「神戸は地震がない町(だから安心)」といつも信じて
いました。その神戸で突然大地震が発生したのです。
いつも思い出すのは前日の1月16日午後6時半過ぎ、自宅の玄関でお客様と
「神戸は地震がないところですから」という話をしていました。
それから11時間後に大地震が発生したのです。
朝寝坊の私たちは5時台はまだぐっすり眠っていた時間でした。
突然頭上に轟音と共にブルトーザーが被さって来たかのように感じました。
頭の所にあった大型のタンスが幾つか上下したようですが、倒れたりは
しませんでした。
「地震だ!!!」と言うことはわかりましたが、すぐに布団から飛び出せず、
どうしたら良いのか全くわかりませんでした。つづいて第2弾の地震が来て、
起き上がりました。そして暗い中で何故か家中の写真を撮って歩きました。
洗面所の台に置いてあったガラスのコップが1個割れていました。また1階の
ショウケースに飾ってあったベネチアドールが倒れ掛かっていましたが、割れ
てはいませんでした。地下室にあったワインセラーのラックにあったワインが
数本落ちて割れていました。被害はそのくらいでしょうか。
1月半ばの寒い時期でしたがリビングルームにはストーブがあったので、
電気・ガスが止まっても暖房と炊事には困りませんでした。
幸いにも自宅は無傷に近い状態でした。もうこのハウスメーカーはないようですが、
神戸市内の「ウベハウス」の住宅は1棟も倒壊や破損もなかったと聞いています。
地震発生後数か月間はいつまた大きな地震が来るのか余震の度に怯えていました。
道路は交通渋滞で出かけられず、3週間後にやっと兵庫と長田区に片道4時間
(普段は40分位)かけて友人・知人と共に炊き出しボランティアに出かけました。
その間全国の友人・知人から救援物資が次々と自宅に送られてきて10畳の和室は
いっぱいになりました。それを直接現地に運びました。特にマスクは助かりました。
倒壊した建物からの粉塵が凄かったからです。
あの当時の様子が走馬灯のように次々と頭の中を駆け廻って行きます。
阪神淡路大震災が発生。あれから24年が経ちました。あの地震が起こるまでは
全国各地で地震が起る度に「神戸は地震がない町(だから安心)」といつも信じて
いました。その神戸で突然大地震が発生したのです。
いつも思い出すのは前日の1月16日午後6時半過ぎ、自宅の玄関でお客様と
「神戸は地震がないところですから」という話をしていました。
それから11時間後に大地震が発生したのです。
朝寝坊の私たちは5時台はまだぐっすり眠っていた時間でした。
突然頭上に轟音と共にブルトーザーが被さって来たかのように感じました。
頭の所にあった大型のタンスが幾つか上下したようですが、倒れたりは
しませんでした。
「地震だ!!!」と言うことはわかりましたが、すぐに布団から飛び出せず、
どうしたら良いのか全くわかりませんでした。つづいて第2弾の地震が来て、
起き上がりました。そして暗い中で何故か家中の写真を撮って歩きました。
洗面所の台に置いてあったガラスのコップが1個割れていました。また1階の
ショウケースに飾ってあったベネチアドールが倒れ掛かっていましたが、割れ
てはいませんでした。地下室にあったワインセラーのラックにあったワインが
数本落ちて割れていました。被害はそのくらいでしょうか。
1月半ばの寒い時期でしたがリビングルームにはストーブがあったので、
電気・ガスが止まっても暖房と炊事には困りませんでした。
幸いにも自宅は無傷に近い状態でした。もうこのハウスメーカーはないようですが、
神戸市内の「ウベハウス」の住宅は1棟も倒壊や破損もなかったと聞いています。
地震発生後数か月間はいつまた大きな地震が来るのか余震の度に怯えていました。
道路は交通渋滞で出かけられず、3週間後にやっと兵庫と長田区に片道4時間
(普段は40分位)かけて友人・知人と共に炊き出しボランティアに出かけました。
その間全国の友人・知人から救援物資が次々と自宅に送られてきて10畳の和室は
いっぱいになりました。それを直接現地に運びました。特にマスクは助かりました。
倒壊した建物からの粉塵が凄かったからです。
あの当時の様子が走馬灯のように次々と頭の中を駆け廻って行きます。
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