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斉藤うめ子ブログ

新しいニセコの街づくりにとりくみます

The zookeeper’s wife

2018-01-11 23:29:47 | 歴史
「ユダヤ人を救った動物園 ヤンとアントニーナの物語」を観てきました。
ユダヤ人300名を動物園の地下に匿い、その命を救った女性の実話です。
これはダイアン・アッカーマン作のノンフィクション作品です。
多くのユダヤ人を救った、オスカー・シンドラー、杉原千畝と同じように
自らの命の危険を冒しながら、ナチス・ドイツに立ち向かった
アントニーナ・ジャビンスキの実話です。

第二次世界大戦からおよそ20年後、イスラエル政府から杉原千畝、
オスカー・シンドラーと同じく命をかけてユダヤ人を救ったことを称え、
「諸国民の中の正義の人」の称号が授与されました。

1939年、ポーランド・ワルシャワでヤンとアントニーナが営んでいた動物園は
ヨーロッパ最大の規模を誇る動物園で、今年80周年を迎え、動物園内の一部は、
博物館として運営され、当時の地下室やアントニーナが弾いていたピアノが
今も残されているとあります。

1994年1月にロンドンから帰国後、数年して中学生の娘と小学生の息子と
一緒にロンドンを再び訪れ1か月間友人宅にお世話になりました。
その時に友人が誘ってくれたパーティーでオーストラリアから来たという、
今はロンドンの病院に勤務しているという若いハンサムな医師から話かけ
られました。私が神戸から来たと友人が紹介してくれたこともあって、
その人から「私の両親は戦時中(はっきりと名前は言いませんでしたが、
杉原千畝によってビザを発行され)神戸に着き、しばらく滞在して
オーストラリアに行きました」と話してくれました。
杉原千畝の話はよく聞いていたので、ここで日本人に救われたユダヤ人の
お子さんと出会ったことに何か歴史の運命のようなものを感じたことを
覚えています。もしビザが無かったら、彼は今ここにいるはずがない!

【人類は歴史から学び未来を切り拓く】
決して忘れてはならない歴史の一齣です。

札幌市狸小路6丁目シアターキノで上映中です。
ぜひご覧ください。

歴史はくり返す ~英国のEU離脱~

2016-06-25 14:48:40 | 歴史
昨日の英国のEU離脱のニュースは私にとっても少しショックでした。
国民投票で離脱派が約52%と残留派を上回る結果になりました。
最後まで拮抗し最終的には僅差でも残留派が勝利すると信じていたので
結果は意外でした。
英国国民の半数以上が離脱を選択した理由には専門家があらゆる角度から
分析・研究・意見を発表しているので、それはそれとして、私なりに
感じている思いを少しだけ述べたいと思います。

もう20年以上前になってしまいましたが、1989年から1994年まで
ロンドンに約5年間滞在して英国民の友人・知人から感じてきたことが
今回の結果に現れているように思います。

英国はまだまだ大きな格差社会であり、現実の社会に不満を抱いている
英国民の心底にはかっての「大英帝国」=偉大な国=英国の意識が消える
ことなく根付いているように思います。
しかし現実に成功して今の生活に満足している国民もいれば、ますます
苦しい生活を余儀なくされて不満を抱えながら暮らしている国民もいて、
歴史の変動の中で、自国だけでも経済的に大変なのに流入する難民の問題等
でその不満がEU連合に向けられ、英国がEUから独立することで、
EUからの束縛・影響から解放され、英国は英国民の意思で国の運営を
進めていくことが可能になり、かっての大英帝国の再来を期待できると
考える国民もいます。
一方でもっと広いグローバルな視点からEU連合に残留して改善を
図って行くべきだと考える国民もいると思います。

アンケート調査による「残留」か「離脱」かに投票した国民の層をみると
根本は「格差」社会が生み出した現実からの当然の帰結と私は考えています。
現在の英国の現状に不満をもっている国民の方が多いと言うことです。
英国のEU離脱はEU連合に不満を抱えている加盟国に影響を与え、「離脱」
する国々がつづく可能性もあります。そうなると、EUを設立した意義が
弱まり、機能しなくなることも考えられます。
歴史を振り返ると周期的な離合集散は必然的な流れなのかもしれませんが、しかし・・・

今回の英国「離脱」の問題と相まって、アメリカ大統領選共和党候補
トランプ氏の発言がとても気になります。
「偉大な国アメリカ」を公言しています。
この英国民の離脱派の中にもまたアメリカ国民の中にもこれと共通した
意識を持っている国民が少なからずいるように思います。
「偉大な国」とは何か?何を持って「偉大な国」として差別するのか。
権力を持って、全世界をアメリカの支配下に置くことを意味するのか。

歴史は常に行きつ戻りつ、くり返すことを感じます。
しかし「戦争」だけは絶対に繰り返してはならないことです。

卒業50周年記念同期会

2015-10-24 10:05:16 | 歴史
“もう”あれから半世紀?!?!?! なんて信じられない思いですが、
卒業を記念する同期会が去る10月17日札幌の懐かしい老舗ホテルに
於いて開かれ久しぶりに出席しました。
卒業時は確か366人だったと記憶していますが、参加者は43人でした。
先生も4人招待され、中には一度も授業を受けたことの無い先生も
おりました。50年という年月の経過で、お亡くなりになった先生方も
たくさんおられ、また同期生の中にもお亡くなりになった方々もおり、
会場でご冥福をお祈りしました。
参加者の内10人程の顔はすぐにわかりましたが、初めは誰が誰だか
さっぱりわかりませんでした。団塊の世代は人数も多く6クラスあり、
6年間の内一度も同じクラスにならなかった人もおりますが、50年
たっても変わらない人、昔の面影と全く重ならない人もおりました。
また女性は結婚すると姓が変わってしまうので、ますます大変です。
元の姓で紹介されてやっと思い出す人もいました。
今回は卒業50周年記念同期会ということもあり、この機会が最後になる
かもしれないと道外からたくさんの方々が参加されたと伺いました。
最近は着物姿が目立ちます。落ち着いた清楚な感じがして、やはり
日本人には着物がよく似合うように思いました。
参加者のほとんどは各方面で現役で活躍をしている方々のようでした。
同期会は毎年開催されていますが、次の記念同期会は古稀の祝いになる
ようです。その時には何人参加されるでしょうか。
今から楽しみにしたいと思います。

宮山登山会

2013-03-23 01:50:15 | 歴史
恒例の宮山登山が3月16日に行われました。
2007年、2008年と今年で3回目の参加になりました。
参加者は20人ほどでした。
この日は曇っていましたが、穏やかな日和に恵まれ、快適な
登山でした。頂上からは残念ながら何も見えず山を下る頃には
雪が降ってきました。

宮山は標高218mの小高い山で、国道5号線からよく見えます。
毎年3月に登山会が行われるのはこれまで雑木林に覆われた
道なき道を登るには雪が解ける前の3月頃が登りやすいという
理由のようです。今では頂上までの路が整備され、季節を問わず
登れるようになりました。

【ニセコ千本桜運動】
2007年からこの宮山を【狩太八景】の中にある【宮山の桜】の
ように山を桜色に染めようと勇気ある一人の人の行動で
「北海道千本桜運動」への応募をきっかけに桜の苗木が
5年間で500本提供されることが決まり、地元の有島地区の方々を
中心にたくさんのボランティアの協力で植樹活動が始まりました。
わずか5年で小さな宮山に1,000本の桜の苗木が植えられました。
小さかった苗木も順調に育ち、年々5月頃にはぽつぽつと桜が咲き
始め、少しながらピンク色に染まっているのが遠くからでも見られます。

今年の植樹祭は6月2日(日)に行われます。
どなたでも参加できますので、有島の宮山のふもとにお集まり下さい。

【狩太八景】とは
「1907(明治40)年8月、有島親子が農場を訪れた折に、
有島武郎の父、武が八景の題を選び、母の幸(ゆき)、保子夫人、管理人
関係者たちが協力して絵と漢詩、和歌をそれぞれ書き記したもの。」です。

有島記念館ではこの「狩太八景」の掛け軸が現在展示されており、
その中に「宮山の桜」が描かれています。ぜひご覧下さい。

【宮山の桜】 
         此神の恵みの露に咲きいづる 
           花は手向となるべかりける