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「強い経済、強い日本」のヒーロー待望論 でいいのか(K)

2013-08-02 | 事務局のつぶやき・研究所では
 久しぶりです。民主的自治体を作るためには行動もと、選挙も忙しくて休んでしまいました。自民党の大勝ですが、一方で対抗軸のはっきりしている党も伸びたことで抵抗と建設への足がかりになります。
 さて、「強い経済」「強い日本」を望む声は何を意味するのか。しばらく前の本「イタリア人と日本人、どっちがバカ?」の一部を紹介します。

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イタリアは、明日の日本か?-日本人への警告
 日本の大衆に、だんだんとアメリカ型の「自由主義」と「個人主義」が浸透してきたということです。もっと簡単に言えば、「他人に大きな迷惑をかけなければ何をしたって自由」という考え方です(実際には、他人に何も迷惑をかけていない、というのは本人の勝手な思い上がりだったりするのですが)。これは社会の「秩序」と「調和」を重んじてきた日本人の伝統的なメンタリティーとは、完全に異質のものです。それは外国人の私からすると、まるで黒い髪の日本人が、金髪のかつらをかぶっているようなものに見えます。
 そしてその結果、この社会に何がはびこってきたか。それは、他者に対する「無関心」と、どうせ自分の力では社会を変えることなどできないのだという「ペシミズム=無力感」、そしていつか日本に「ヒーロー」が現れて、この国を覆っている閉塞感を打ち破ってくれるだろうという考え方です。この「ヒーローの出現」を待望するという態度は、この本の第1章でも触れた、現在のイタリア人の傾向と相通ずるものがあります。日本型の「アッテンディズモ」(自ら動かず嵐が過ぎ去るのを待つ)と言っても良いかもしれません。イタリアのそれが危険であるのと同様に、日本型の「アッテンディズモ」も、この国の社会の健康を著しく損なっている、最も危険な「病気」の一つです。
 誰か強いリーダーに、この国を「引っ張って行ってほしい」というのは、民主主義の社会に生きる人間としては、横着すぎる発想なのだという事に、日本人は気が付くべきです。巨大な船「日本丸」は、この本を読んでいるあなた方一人一人の大衆が、オールを握って動かし、皆が協力して舵をとって、針路を決めるべきものです。それを人任せにして、自分は何も考えずにただ乗っかって、どこか「良いところ」に連れて行ってもらおうというのは、甘すぎます。民主主義というものを、ただ「多数決の論理で物事を決める」という「手続き論」に、矮小化してはなりません。民主主義国家の「主権者」になる、というのは、実は、かなり面倒なことでもあります。難しい問題に頭を悩ませることもあるでしょう、果てしない議論に疲れてしまうこともあるでしょう。でも、もしそれがいやならば、北朝鮮や、カダフィ時代のリビアや、アサド政権のシリアのような国に住むことを、甘んじて受け入れなければなりません。あなたは、それを望みますか?
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 自分で考え、自分で行動してこそ民主主義=民衆が主人公になる。日本国憲法にある国民主権ということはこういうことではないでしょうか。

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