小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

549 製鉄の人々の伝承と出雲の神 その4

2016年11月25日 01時32分32秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生549 ―製鉄の人々の伝承と出雲の神 その4―
 
 
 大和岩雄はその著『神社と古代王権祭祀』の中で、諏訪大社に伝わる薙鎌の神事に
ついて記しています。
 それによれば、諏訪大社では、春秋の遷座祭の行列の先頭に薙鎌を持つ者がふたり
立ち、六年に一度の御柱祭の時には御柱用材(神木)に薙鎌を打ち込む儀式があること。
 また、古くは御柱祭の前年に、信濃国中の末社に鉄製の薙鎌を贈る神事があった、と
いいます。
 この神事は何も諏訪大社にかぎったことではなく、諏訪地方ではかつて民間の間でも
木に薙鎌を打ち込む風習があったといいます。
 この薙鎌(金属)を木に打ち込むことは、「金剋木」であり、風を鎮める意味があったと
大和岩雄は考察します。
 
 ひとつ言い忘れていましたが、『日本書紀』持統天皇五年の、「竜田風神、信濃の須波
(諏訪)、水内等の神を祭らしむ」という記事で、竜田風神が奈良県生駒郡三郷町の龍田
大社のことであることは説明しましたが、諏訪と水内の神については説明を忘れておりま
した。
 諏訪の神は言うまでもなく諏訪大社のことですが、水内の神とは、信濃国水内郡に鎮座
する健御名方富命彦神別神社のことと考えて間違いないでしょう。つまり、この記事は、
竜田の風神とタケミナカタをともに祀った、ということになるわけです。
 
 タケミナカタと重なる伊勢津彦も、伊勢国を立ち去る際に大風を吹かせて波を立てた、
とあり風神を思わせる性格を持ちます。
 タケミナカタと伊勢津彦はともに外来の神に国譲りをして信濃に遷ったわけですが、ところが、
『諏訪大明神画詞』やその他諏訪地方に伝わる民間伝承などでは、タケミナカタが他所から
やって来て、洩矢神(モリヤ神)など諏訪の土着神を打ち負かし、その結果土着神から
この地を献上された、とあるのです。
 諏訪に伝わるタケミナカタの姿は、『古事記』や伊勢津彦とは真逆なのです。
 
 洩矢神は諏訪大社の神長官である守矢氏が奉斎する神ですが、御左口神(ミシャグチ神)の
こととも言われています。
 また、その他の土着神というのは、手長神社や足長神社の神のこととされています。
 両社はともに諏訪市に鎮座する神社なのですが、手長神社の祭神が手名椎(テナヅチ)
またの名を手長彦、足長神社の祭神が足名椎(アシナヅチ)またの名を足長彦といいます。
 この名は『古事記』に登場する櫛名田比売(クシナダヒメ)の父母の名と同じです。
 高天の原を追放されたスサノオが出雲に降り立った時、老人と老女と童女が泣いていました。
スサノオが、汝らは何者でどうして泣いているのか、と尋ねると、
 「僕(あ)は大山津見神の子、足名椎といい、妻の名は手名椎、娘の名は櫛名田比売といい
ます。高志のヤマタノオロチがやって来てその生贄にこの娘を差し出さねばならないので
泣いていたのでございます・
と、答えます。
 この後スサノオはヤマタノオロチを討ち、クシナダヒメを妻にするというのがこの神話の骨子
ですが、諏訪における手名椎と足名椎の場合は、スサノオがタケミナカタと入れ替わったような
形になっています。
 
 しかし、諏訪の手長神社と足長神社の祭神は、スサノオ神話における手名椎、足名椎とは
本来別の神であったようです。
 両社の祭神はやはり土着神であり、大和岩雄(『神社と古代民間祭祀』)は古代中国の地理書
『山海経』の中に、長臂国には手長人、長股国には足長人が住む、とあることにそのルーツを
求めています。
 さらに『山海経』には、長臂の国の民(手長人)は魚を捕らえる、とも記されており、京都御所
所蔵の内裏の手長足長図には、足長が手長を担いで海に入り、手長が長い腕で魚を捕らえ
ようとしている光景が描かれています。
 これらの伝承により、諏訪湖の漁民の神として手長彦が祀られ、そのペアとして足長彦も祀られ
るようになった、それがさらに変化してスサノオ神話に登場する手名椎、足名椎に変化した、と
考えられるわけです。
 
 しかし、問題となるのは、征服者であったタケミナカタがどうして『古事記』では被征服者に逆転
してしまった、ということです。
 そこには太氏の一族と出雲臣一族の影響が考えられるのです。
 
 諏訪大社の下社の大祝は太氏と同族の金刺氏ですが、上社の大祝は神氏(じん氏)です。
 神氏は『神氏系譜』によると、建御名方富神(タケミナカタ)直系の子孫を称しています。
 しかし、オオタタネコの子孫で、大物主を祀る大神神社の祭祀氏族である三輪氏が神氏(みわ氏)
とも表記されることから、諏訪の神氏を三輪氏の同族と見る研究者も少なくはありません。
 ただ、もしも神氏が三輪氏の同族であったとするならば、上社の大祝はオオタタネコ系の氏族、
下社の大祝は神八井耳系の氏族で、ともに大物主の子孫ということになります。

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