大国主の誕生103 ―巫王としての大国主―
本題に入る前に、前回の、讃岐の神サヌキヒコに求婚された丹波のヒカミ
トミが、播磨の神タテイワノミコトにサヌキヒコを追い返してもらう話です
が、これの補足しておきます。
タテイワノミコト(建石命)は、『播磨国風土記』の神前郡の項で、
神前と名づけられた由来は、伊和の大神の子建石敷命(タテイワシキノミ
コト)が、(山埼の村)神前山に坐したことによる。それで神前郡という。
と、ある、タテイワシキノミコトの同神とされています。ここにあるように、
伊和大神の御子神です。
さて。
ここまで、長々と製鉄に関わる神話や伝承をお話ししてきましたが、少し
まとめてみましょう。
○アメノヒボコの神話に見られるように、朝鮮半島から製鉄技術を持つ
人々が移住してきて、それが『古事記』、『日本書紀』、『風土記』などに
神話、伝承として残された。
○この製鉄集団は太陽信仰を持っていたと思われる。
これは、高句麗を含む古代朝鮮に太陽信仰があり、日本に渡って来た後も
それは続いていたと考えるのが自然でしょう。
日本に来た後、渡来人たちは土地を開拓し、農業を営むようになると、田
植えの時期などを知る必要が生じました。そのベースとなるのが、春分と秋
分、夏至と冬至でした。太陽がそれぞれの季節において、いつ、どの位置か
ら昇るのか、それを知る手立てとして太陽の動き、つまり日読みとしての太
陽信仰が用いられたものと考えられます。
そして、古代日本人の中からも、海人たちは海の道を通って朝鮮の人々と
交流を持ち、製鉄技術や太陽信仰を吸収していったと思われます。
『播磨国風土記』では、オオナムチやアシハラシコオ、それにオオナムチ
と同神ではないかと言われる伊和大神の信仰圏に製鉄集団がいた、そして在
地の人々と土地争いをしたことが神話になったものと思われる記事が少なく
ありません。
また、播磨には安曇氏がいたことが『播磨国風土記』に記されていますが、
海人である安曇氏は、近江にも拠点を持ち、さらに近江の丸邇氏や息長氏も
播磨に関わりがあったことがうかがえます。
それから、播磨と近江の間に位置する摂津の旧三島郡も、播磨や近江と関
係性をもっていました。
こうした製鉄集団の分布と大和政権との結びつきの結果、一般に純粋な日
本の神話と思われがちなエピソード、たとえば天の石屋戸神話やスサノオの
神話なども、製鉄集団の信仰が入り込んでいることも、これまで検証してき
ました。
と、いったところで大国主ですが。
『古事記』に見える大国主=オオナムチの神話のひとつに稲羽のしろうさ
ぎがあります。
前に、これを太陽の再生とお話ししました。すなわち、アマテラスの天の
石屋戸神話と同じものです。
また、スクナビコナが常世の国へと去っていった後、海を照らしながらやっ
て来る神があり、自分を祭祀してくれるなら国作りは完成する、と大国主に
言います。
この神は、海を照らしながらやって来たことから、太陽神の性格を持って
いるのですが、『古事記』には御諸山に坐す神とあり、御諸山は大物主の坐
す三輪山のことで、『日本書紀』には、この神が大物主であると明記してい
ます。
天の石屋戸でアマテラス(太陽)を復活させるアメノウズメは海の神話を
持ち、その夫神のサルタヒコも海の神話を持っていましたが、大国主もまた
海の神話を有していました。
大国主は太陽の復活を行い、かつ御諸山に坐す太陽神を祭祀する、巫王の
性格をも持っていたことになるのです。
稲羽のしろうさぎの神話が太陽神の復活の神話である、という問題点です
が、以前に、ウサギは朝鮮語で「トキ」であり、日の出もまた朝鮮語で「トキ」
である、という点を挙げ、赤裸のうさぎに毛が生え白いうさぎに戻ることが、
赤い朝陽が天空で白い太陽になることをイメージしている、という点を挙げま
した。
日の出を意味する「トキ」については、それに関係する地名が日読みの地に
残っていることからも、トキ=日読みであることが推測されます。
補足でもありませんが、稲羽のしろうさぎに製鉄の要素があることも付け加
えたいと思います。
・・・つづく
本題に入る前に、前回の、讃岐の神サヌキヒコに求婚された丹波のヒカミ
トミが、播磨の神タテイワノミコトにサヌキヒコを追い返してもらう話です
が、これの補足しておきます。
タテイワノミコト(建石命)は、『播磨国風土記』の神前郡の項で、
神前と名づけられた由来は、伊和の大神の子建石敷命(タテイワシキノミ
コト)が、(山埼の村)神前山に坐したことによる。それで神前郡という。
と、ある、タテイワシキノミコトの同神とされています。ここにあるように、
伊和大神の御子神です。
さて。
ここまで、長々と製鉄に関わる神話や伝承をお話ししてきましたが、少し
まとめてみましょう。
○アメノヒボコの神話に見られるように、朝鮮半島から製鉄技術を持つ
人々が移住してきて、それが『古事記』、『日本書紀』、『風土記』などに
神話、伝承として残された。
○この製鉄集団は太陽信仰を持っていたと思われる。
これは、高句麗を含む古代朝鮮に太陽信仰があり、日本に渡って来た後も
それは続いていたと考えるのが自然でしょう。
日本に来た後、渡来人たちは土地を開拓し、農業を営むようになると、田
植えの時期などを知る必要が生じました。そのベースとなるのが、春分と秋
分、夏至と冬至でした。太陽がそれぞれの季節において、いつ、どの位置か
ら昇るのか、それを知る手立てとして太陽の動き、つまり日読みとしての太
陽信仰が用いられたものと考えられます。
そして、古代日本人の中からも、海人たちは海の道を通って朝鮮の人々と
交流を持ち、製鉄技術や太陽信仰を吸収していったと思われます。
『播磨国風土記』では、オオナムチやアシハラシコオ、それにオオナムチ
と同神ではないかと言われる伊和大神の信仰圏に製鉄集団がいた、そして在
地の人々と土地争いをしたことが神話になったものと思われる記事が少なく
ありません。
また、播磨には安曇氏がいたことが『播磨国風土記』に記されていますが、
海人である安曇氏は、近江にも拠点を持ち、さらに近江の丸邇氏や息長氏も
播磨に関わりがあったことがうかがえます。
それから、播磨と近江の間に位置する摂津の旧三島郡も、播磨や近江と関
係性をもっていました。
こうした製鉄集団の分布と大和政権との結びつきの結果、一般に純粋な日
本の神話と思われがちなエピソード、たとえば天の石屋戸神話やスサノオの
神話なども、製鉄集団の信仰が入り込んでいることも、これまで検証してき
ました。
と、いったところで大国主ですが。
『古事記』に見える大国主=オオナムチの神話のひとつに稲羽のしろうさ
ぎがあります。
前に、これを太陽の再生とお話ししました。すなわち、アマテラスの天の
石屋戸神話と同じものです。
また、スクナビコナが常世の国へと去っていった後、海を照らしながらやっ
て来る神があり、自分を祭祀してくれるなら国作りは完成する、と大国主に
言います。
この神は、海を照らしながらやって来たことから、太陽神の性格を持って
いるのですが、『古事記』には御諸山に坐す神とあり、御諸山は大物主の坐
す三輪山のことで、『日本書紀』には、この神が大物主であると明記してい
ます。
天の石屋戸でアマテラス(太陽)を復活させるアメノウズメは海の神話を
持ち、その夫神のサルタヒコも海の神話を持っていましたが、大国主もまた
海の神話を有していました。
大国主は太陽の復活を行い、かつ御諸山に坐す太陽神を祭祀する、巫王の
性格をも持っていたことになるのです。
稲羽のしろうさぎの神話が太陽神の復活の神話である、という問題点です
が、以前に、ウサギは朝鮮語で「トキ」であり、日の出もまた朝鮮語で「トキ」
である、という点を挙げ、赤裸のうさぎに毛が生え白いうさぎに戻ることが、
赤い朝陽が天空で白い太陽になることをイメージしている、という点を挙げま
した。
日の出を意味する「トキ」については、それに関係する地名が日読みの地に
残っていることからも、トキ=日読みであることが推測されます。
補足でもありませんが、稲羽のしろうさぎに製鉄の要素があることも付け加
えたいと思います。
・・・つづく
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