趣味の日記

観劇・歴史・小説・漫画などなど、思いつくままの語り日記

レポの前に

2009-04-19 23:58:13 | Weblog
昨日のウォーキング・レポを書こうかと思ってたんですが、今日はついつい横道の調べ物をしていて、書きそびれました(苦笑)。

昨日いただいた資料の地図に、‘赤尾城跡’と‘外鎌山城跡’と書いてあるのが気になり、中世の山城ならどこの勢力範囲?と検索してみたところ、なんと開住西阿(三輪西阿とか楠将監西阿などとも呼ばれる)の城砦群のひとつだということが判明。
この西阿さん、南朝方の勇将として「太平記」にも出てくる人物。
そうと知っていれば、もうちょっと感慨深くあの山々を見上げたのに~!と、事前にちゃんと下調べをしなかったことをちょっと後悔してます(爆)。

最近、歩く場所歩く場所で何かしらの中世情報が出てきたりするので、ぼけら~っと飛鳥時代にばかり気を取られていると、あとできゃあ~!?ってことが多い(苦笑)。
今回も、ちゃんと調べれば桜井市が西阿さんの勢力範囲ということもわかったし、前回の冬野だって、多武峰と吉野をつなぐ重要拠点のひとつだったんだし。

さらさらっとネット検索で漁ってみたところ、南朝方である長谷寺と多武峰勢力にとって、西阿さんの位置はちょうど西北の守りにあたります。
でもって、‘楠将監’と名の付くところからして、楠木一族とも何らかの関わりがあると思われます。
正行が四条畷で敗死した時、一緒に討死した将の中に、この西阿の息子とされる開住良円という人物がいます。
これだけネタがそろえば、この西阿さんという人物が、いかに南朝方にとってキーポイントかということが想像できるというものです。
その西阿さんが駆け回っていた桜井・忍坂地域。これからはもっと慎重に、中世情報も拾い集めないといけませんね。

次回の定例会は、御所・葛城方面。この地域は楢原氏の勢力範囲。途中で立ち寄る九品寺にも、ゆかりの事物があるらしいとのことですし、今度こそ、下調べはしっかりやりたいと思います。

コメント
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