さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

さっちゃんにとっての言語リハビリの意味やあり方を考え直すころになったのでしょうか?

2019-11-14 23:53:45 | 言語リハビリ
昨日は水曜日で言語リハビリの日でした。
さっちゃんは朝から何故だか気分が沈み気味で、表情も生気がなくて、駅へ向かう道すがらも会話なく無言が続きました。

それはSTの先生とのリハビリ中も続きました。
リハビリも後半になっていつものように『第九』のラストの合唱を聞いているときに顕著に現れました。
さっちゃんは若いころ合唱団に入っていて、年末には『第九』を歌うのが恒例だったんです。
そんな思い出深い合唱曲を聞くと、指でリズムを取ったり、口ずさんだりするのがいつもでした。
合唱が終わると、小さく拍手して、にっこり笑ったりもします。
でも、昨日はリズムも取らず、口ずさみもしません。
合唱が終わっても拍手せず、笑顔も浮かべません。
笑顔どころか、しくしくと泣き出してしまいました。

「自分はもう何もできない」との想いで哀しくなってしまっているのでは、とSTの先生はおっしゃいます。
そうかもしれません。

本当はこの後、もっと歌を歌ったりして声をたくさん出す予定だったのですが、そんな雰囲気ではありません。
こんな様子ですから、STの先生がここのところ行っているリハビリ方針に対する判断を少し語ってくださいました。
1年前に録音しながら行った検査についても少し教えてくださいました。

さっちゃんの言語リハビリは、例えば脳梗塞の後遺症として現れる失語症などとは違うと思います。
どう違うのかと言えば、脳梗塞患者さんの場合は徐々に言葉を話せるようになるケースがあるのですが、
さっちゃんは認知症ですから、失語症の改善は望めません。

STの先生もそのあたりの点に関しては悩むだろうと思います。
今後のリハビリの方向性についても考えましょうね、といったニュアンスも感じられました。

僕自身は、STの先生にさっちゃんの言語状況をいつも見ておいてもらうこと、それで十分だと思っています。
さっちゃんにとっては社会との貴重な接点のひとつですから、何もしないよりは明瞭にプラスだと思っています。
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2015年の忘事録/今ではTVに無関心だったり、TVの映像をすぐ眼の前のリアルと思い込んだりします

2019-11-13 23:37:54 | 2015年の忘事録
忘事録とは忘れた事の記録です
また思い出すこともあるでしょうが
忘れるよりも もっと
新しい思い出を
作ればいいのです


(この忘事録カテゴリーの文章はほぼその日付当時メモした文章のままこのブログに載せています)

2015年11月18日

TV番組を観ていて、例えば富山県が舞台だとすると、番組中で何度も「ここはどこにあるの?」と聞く。そのたびに「富山県だよ」と同じ答えをする。
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デイサービスのスタッフさんを4回もお見送りしました

2019-11-12 23:50:25 | デイサービスや介護
前回のデイサービスのスタッフさんお見送りの件で、さっちゃんはお見送りしたことを忘れているようだと推測されました。
今日もその推測がより確かになるような出来事がありました。

さっちゃんがスタッフさんに連れられてデイサービスから帰って来ると、さっちゃんは玄関の中に入ろうとしません。
ザックだけ受け取って中に置くと、さっちゃんと僕とでスタッフさんを車まで見送ります。
そして、車を見送ります。
これが1回目のお見送り。

その後、さっちゃんと階段を上って部屋まで戻って来ます。
僕がさっさとサンダルを脱いで部屋の中に入っても、さっちゃんはまだ玄関の外。
ソワソワというか、早く行きたそうな様子です。
「いま僕とさっちゃんとでちゃんと見送って来たよ」と言っても、その感じは変わりません。
さっちゃんの好きなようにさせよう、僕はそう思って、さっちゃんと一緒に階段を降りて行きます。
車がいたところまで行って、「僕とさっちゃんとでちゃんとお見送りしたんだよ。安心しな」と言いました。
さっちゃんは不思議そうな心持ちなんでしょうが、車が見えないのではどうしようもありません。
渋々なんでしょうね、僕と再び階段を上って部屋まで帰ります。
これが2回目のお見送り。

僕はすぐに部屋の中に入りますが、さっちゃんは玄関までは入りましたが、やっぱり納得がいかないよう。
どうしようもなく、「お見送りしなくちゃ」という衝動がこみ上げて来るんでしょうね。
僕もさっちゃんのそんな様子を見て、また一緒に階段を降りて行くことにしました。
こうなると、何回でも付き合ってやるぞ! そんな気持ちですね。
車がいないことを確認して、「ちゃんとお見送りしたから大丈夫だよ」と言い、階段を上って戻って来ました。
これが3回目のお見送り。

さっちゃんは玄関に入り、靴を脱ぎました。
でも、板の間には上がらず、やっぱりお見送りのことが気になる様子。
また靴を履き直して、玄関の外へ出ます。
僕も一緒に車の居たところまで。
「さっちゃんとここでお見送りをしたよ。車はあっちへ行って、あそこを左へ曲がっていったよね」
「じゃあ、車の通った道路をちょっとだけ歩いてみようか」と僕は言って、さっちゃんと歩き始めました。
車が僕たちの住む棟から離れるあたりまで歩いて、一周回るような感じで戻って来ました。
これが4回目のお見送り。

さっちゃんも納得がいったのか、あるいはお見送りのこと自体を忘れ関心が無くなったのか、普通に部屋へ入りました。
階段の上り降りを4往復半もしたんですね。
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さっちゃん、珍しく夜中に目を覚まして僕のところへ来て、ひと言「あ、よかった」

2019-11-11 23:50:36 | 生活の一場面
僕がこのブログを書くのは夜中、さっちゃんが寝ている時間がほとんど。
本当は今日の出来事、さっちゃんの便秘にまつわることを書くつもりでした。
実際に一行、書き始めていました。

そんな時です。
さっちゃんが目を覚まして布団から出て来て、僕がパソコンと向かい合ってるダイニングに出て来たのです。
さっちゃんがこんな夜中に目を覚ますのは実に珍しいこと。
1ヶ月に1度もないでしょう。

僕と顔を合わせたさっちゃん。
嬉しそうな表情を見せて、「あ、よかった」と言いました。
ホッとしたという様子です。
どうやら、目覚めたものの隣りで寝ているはずの僕の姿が見えないので心配、不安になったんでしょう。

僕は再びさっちゃんを布団へ連れて行き、寝かせつけ、タオルケットと毛布を掛けます。
すると、さっちゃんが「ありがと」と言ってくれました。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

冒頭に記した便秘の話ですけれど、簡潔に書いておこうと思います。

さっちゃんは小食で便秘です。
記録しているわけではありませんが、平均すると週に1回くらいの便通でしょうか。
それが今回は今日で10日目でしたから、そろそろ心配になっていたんです。

で、今日便通があったんですが、それがなかなか大変でした。
1回目は力んでも力んでもまったく出ずの空振り。
2回目は苦労した挙句のたったのひと粒。
3回目もどこで諦めようかと悩んだ末の空振り。
4回目はさっちゃんが僕に文句を言い続け、2、3粒で終了。

さっちゃんの目の前に座ってトイレ介助しているのですが、顔と顔を突き合わせた場所で
文句を言われ続けたり、「あんたもうあっち行け!」と言われたりするのは堪えますね。
さっちゃんの苦痛もちょっとは想像できますし、実際この場から離れるわけにもいきませんから、
我慢しましたけれど、放り出して「勝手にしろ!」って叫びたくなりますよね。

あれあれ、こっちの話題の方が文字量が多くなっちゃいましたね。
4回目以降はいつも通りのさっちゃんでした。
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2015年の忘事録/料理のワンパターン化だけでなく、料理の仕方も次々に忘れていってるようです

2019-11-09 22:51:22 | 2015年の忘事録
忘事録とは忘れた事の記録です
また思い出すこともあるでしょうが
忘れるよりも もっと
新しい思い出を
作ればいいのです


(この忘事録カテゴリーの文章はほぼその日付当時メモした文章のままこのブログに載せています)

2015年11月18日

最近、料理の仕方の多くを忘れているようで、料理のパターンが少なくなってきている。この日は、ナスともやしと豚肉を別々に炒めたり焼いたりしたのだが、フライパンにを入れるか否かを迷っていた。
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さっちゃんの強い思いが分かったような気がしました。あくまでも想像でしかありませんが・・・・

2019-11-08 23:45:27 | デイサービスや介護
ひとつ前のブログでも書きましたけれど、さっちゃんはデイサービスから帰って来ると、必ずスタッフさんを見送りに行きます。
スタッフさんが送ってくれた階段をまた降りて行き、車のところまで行くのです。
僕も必ず同行します、と言うか、僕がお礼の気持ちを込めてスタッフさんを送ってくることがさっちゃんにとっては重要なのです。

ところが前回同様、今日も見送ったにもかかわらず部屋に戻って来てからさっちゃんはブツブツと僕に向かって何やら不満をぶつけます。
でも、前回の経験と予測がありますから、今日の僕は方針を決めて対応します。

その方針とは、・・・・
さっちゃんが不満をブツブツ言うのは「見送って来たことを忘れたから」に違いないとの予測・仮定です。
ですから、僕は「大丈夫だよ。さっき僕とさっちゃんで見送って来たからね」と繰り返します。
僕のこの言葉はさっちゃんの不満な思いとリンクしているのでしょう。
さっちゃんから発せられる言葉や感情も同じレベルの繰り返し、エスカレートしないようです。
「安心しな。僕とさっちゃんでちゃんと見送ったからね」
僕は「お見送りをしなかったんでは?」と不安に思ってるさっちゃんを安心してもらう言葉を繰り返します。

最初のころはブツブツ言いながら、窓の外を見たり、玄関から出て車のところまで行こうとする雰囲気すらありましたが、
だんだんとそんな様子が薄れて行き、結局今日は静かに収まりました。

さっちゃんの「スタッフさんへの感謝も込めて、きちんとお見送りしたい」そんな強い思いが引き起こしたのでしょうね。
その思いばかりが強すぎて、実際にお見送りしたことは忘れてしまったんでしょうね。
似たようなことは僕にも誰にでも起きるような気もします。
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さっちゃんはすぐに忘れて気分もコロコロと変わってしまいますけど、僕は忘れられずに気持ちをずうっと引きずってしまいます

2019-11-05 23:50:10 | 気分や思い
お昼過ぎにデイサービスから帰ってきたさっちゃんは、玄関まで送ってくれたスタッフさんをそのまま今度は送迎車まで見送ります。
もちろん、僕も一緒です。
雨の日など、一階の棟の入り口までしか見送りが出来なかったんですが、そんな時は部屋に戻ってからもずうっと不機嫌なんです。
雨の日でも傘を持って送迎車まで行かないと、その後大変なのは僕ですから、次からはそうしようと考えています。

今日は快晴で送迎車まで一緒に見送りをして、部屋に戻って来ました。
僕はお昼御飯がまだでしたから、インスタントのちゃんぽんを作り始めます。
ところが、何故だか分からないのですが、さっちゃんが不機嫌。
何やら僕に対して喋りまくっています。
言葉は意味不明で、何を言ってるのかさっぱり分かりませんが、ときおり理解できる単語から類推すると、
僕が見送りをしなかったことに腹を立てているようなのです。
僕も一緒に見送りをしたことを忘れてしまったんでしょうか?

確認しようもありませんし、だんだんとそれ以外のことに対しても僕を非難したり、怒ったりしているみたいです。
「本当にあんたは何もしないんだから」というような内容を喋ってるように聞こえることもあります。
さっちゃんの怒りや苛立ちや非難の心情などは言葉が意味不明でも伝わってくるものです。

ちゃんぽんを作っている間じゅう、さっちゃんの僕への口撃は続きます。
原因も理由も分かりませんから、僕は何もするすべはありません。
黙っているしかありません。
昔から口喧嘩になると、僕は黙るしかありませんでした。
理性的に論理だてて反論すると対立がますます激しくなってしまうことが分かったからです。
何も言わず、視線すら合わさない僕に対して、さっちゃんは更に怒りを増すようです。
でも僕は、適当な返事をしたり、普段通りの態度を取ることが出来るほど立派で強い人間なんかじゃあありません。
腹立たしさを噛み殺しながら、寂しい気持ちを押し殺しながら、じい~っと耐えることしかできない人間です。

テーブルに向かい合って座って、僕はちゃんぽんをすすります。
先ほどのスタッフさんが「今日はほとんど昼食を食べなかったんですよ」と聞いていたので、
途中でさっちゃんにちゃんぽんを食べるように声を掛けました。
さっちゃんはブツブツ何やら僕に対して喋りながらも、お腹は空いていたようで、僕のちゃんぽんを少し食べてくれました。
食べ終わると、リンゴを1個むいて二人で食べました。
さっちゃんはまだ僕に厳しい目線を向けています。

さっちゃんがデイサービスに行っている間に干した洗濯物を取り込むことにしました。
敷布団のシーツも洗ったので、まずはシーツに付着している髪の毛などを探して手で取り除きます。
いつもなら、必ずベランダを覗きに来るさっちゃんが今日は全く姿を現しません。

洗濯ものの取り込みが終わると、僕は布団に寝っ転びながら朝刊を読みました。
さっちゃんは読み終わるまで姿を見せません。
歩き回る足音もしません。
ずうっと椅子に座ったままのようです。
新聞も読み終わると、僕はそのまま布団の上で眠ります。
さっちゃんの方へ行くのも嫌ですし、僕の気分は落ち込んだままなんです。

眠るつもりはなかったんですが、どうやらほんの一瞬眠りに落ちてしまったようです。
目覚めると、時刻は4時直前。
買い物へ行く準備をします。
さっちゃんを無視して、僕は外出着に着替えたり、買い物リストをメモしたり、いろいろ準備します。
そんな僕にさっちゃんは付き纏って、何やら喋りかけ続けます。
ところが、先ほどまでの怒りや非難の口調ではありません。
何やら悲しげで涙口調の喋り方です。
僕が布団の上で過ごした1時間ほどの間にさっちゃんの気分が変わってしまったようなのです。

でも、僕はさっちゃんから酷く口撃されて落ち込んだ沈み込んだ気分のまま。
今のさっちゃんに対してなら、優しくハグをしてあげれば、言うことをしっかりと聞いてあげればいいのでしょうが、
そんなに急に変わりようがない僕の気分ではさっちゃんに対して器用に対応できるはずもありません。
さっちゃんは必ず僕に付いて来ますから、薄手のジャンパーを着せてあげ、念のためにトイレでおしっこをさせてあげ、
ザックを背負わせてあげ、靴を履かせてあげ、いろいろ細かな準備をしてあげます。

「おしっこしな」とか「靴履きな」とか、ずうっと無口だった僕も最低限の言葉は発します。
玄関を出て、階段を降りる段になると、「手なんかつないでやるものか」と思っていて、1段だけ僕は降りました。
でも、さすがにそこまでは出来ず、1段下からさっちゃんの手を取りました。

スーパーまでも手はつないで歩きましたが、基本無言。
犬や猫がいた時やカラスが飛んだ時、飛行機が飛んでる時、そして、綺麗な半月が浮かんでいましたから、そんな時だけ言葉を発しました。
「あれ、見た?半月。綺麗だね」
スーパーでも無言。

しかし、僕はさっちゃんの変化に気づきました。
すでに暗くなってる帰路、さっちゃんは僕に話しかけ続けています。
もちろん、意味不明ですが、さっちゃんの様子はいつもと同じ、普段のさっちゃんです。
そんなさっちゃんに押されるようにして、僕も少しずつさっちゃんと話すようになりました。
話すといっても、さっちゃんの話しに相槌を打つ程度ですけど。
「うん」とか「そうだね」とか。

暗い中を歩きながら僕は思います。
さっちゃんはずるい。
僕を怒ったり非難したりする気分、悲しげな気分はすっかり跡形もなく忘れて、普段のさっちゃんに戻ってる。
僕はさっちゃんから酷く言われ続けて打ちひしがれた気分のままなのに。
僕は忘れることが出来ずに苦しんでるのに、さっちゃんはいとも簡単に忘れてしまう。
さっちゃんはずるい。

こんなこと言っても詮無き事だとは分かっています。
今日のようなことがあると、一方的に僕だけが被害を被った気持ちになってしまいます。
そんな考え方感じ方は正しくないことくらいは理性で分かりますが、やっぱり僕だけ損した気分。
デイサービスのスタッフさんたちみたいに優しく、四六時中さっちゃんに対応できればいいのでしょうけれど、
僕にとってさっちゃんはサービス利用者ではありません。
僕の妻です。
愛する妻です。

冷たい言葉を浴びせられると、悲しみの衝撃は大きいんです。

とはいえ、強くならなければなりません。
僕がさっちゃんの気分の転変に動揺させられてはなりません。
無感覚になってはいけませんが、さっちゃんの気分の変化に出来る限り早く寄り添うことが出来るようになりたいと思いました。
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2015年の忘事録/行き先を忘れる症状はこの頃にもあったんですね。今ではどこに行くかなんて気にもしていませんが・・・・

2019-11-02 23:13:19 | 2015年の忘事録
忘事録とは忘れた事の記録です
また思い出すこともあるでしょうが
忘れるよりも もっと
新しい思い出を
作ればいいのです


(この忘事録カテゴリーの文章はほぼその日付当時メモした文章のままこのブログに載せています)

2015年11月13日

奥多摩へ山登りに行く途中、電車がどこへ向かっているのかが、分からなかったようす。どの山、どのコースを登るのかは言ってあるのだが、そのことは忘れているよう。
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いろいろ調べてみると、さっちゃんのお漏らしは認知症による典型例のようですね

2019-11-01 23:49:42 | トイレ・排泄
排尿機能自体は正常でも、認知機能の低下による「お漏らし」を機能性尿失禁と言うのだそうです。
もちろん運動機能の低下(歩行困難とか)による機能性尿失禁もあるのですが、とりあえず認知症に関係する側面だけを考えます。
ネットで探せば、説明してくれるHPはたくさんあるのですが、例えば 認知症ねっと を引用してみます。

認知症の人の場合の症状の現れ方は
1.トイレに行きたくても、人にうまく伝えられない
2.トイレの場所や、使い方がわからない
3.トイレへ行くことを忘れてしまう
4.膀胱がいっぱいでも、その感覚が認識できない
5.排泄行為自体がわからなくなり、トイレではないところで排泄してしまう

など、あるようですね。

さっちゃんも
1と2は今では日常になっています。
3は確認しようがないので、分かりません。
4は確実にそんな状況もあると思われます。
5も少しずつですがそんな症状も現れ始めていますね。


今日も(毎日ですけれど)該当する症状(行動)がありました。

まずは今朝の寝起きでのこと。
寝惚けているわけではないのでしょうが、朝起きたばかりの時はいろいろと分からないことが多いようです。
トイレの場所、灯りのスウィッチの場所、その点け方、
ドアの取っ手の開け方、便座への座り方、ズボンとパンツを脱ぐこと、等々。

もちろん、おしっこしたいという明確な意思表示はありません。
さっちゃんの様子を見て、僕がトイレに連れて行ってるだけです。
それも、もしおしっこをしたがってるんなら連れて行っとかないと大変なことになる、と考えるので、ひとまず連れて行ってるに過ぎません。
ですから、空振りに終わるときもけっこうあります。
上記で言えば、1と2ですね。

さっちゃんは今日はデイサービスでした。
お昼に帰って来て、それから掛かり付けのお医者さん(Hクリニック)へ行きました。
薬(アリセプト)を処方してもらって、一ヶ月に一遍、様子を診てもらっているんです。
そのクリニックや直後の薬局でトイレに行ってもよかったんですが、
その後向かったいつもとは別のスーパーへ行く方向にすぐ公園の多機能トイレがあるんです。

公園が近づくと、僕はさっちゃんに「おしっこ行く?」と聞きます。
さっちゃんは「行かなくていい」ようなことを喋ってます。
でも、僕はさっちゃんのそんな返事をあまり信用しません。
僕は念のため公園の多機能トイレに向かいました。
このトイレは何度も使っていますから、さっちゃんは少しは記憶に残ってるみたいです。
扉を開ける手前で、おしっこをしたそうな様子が現れました。
中に入ったら、慌て始めました。
僕は急いでズボンのボタンを外し、チャックを下げます。
でも、「出ちゃった」と、さっちゃん。
僕はそれでも急いでズボンとパンツを下ろして、便座に座らせます。
残りのおしっこでパンツをさらに濡らしたくありませんから。
案の定、便座に座るとたくさんおしっこが出たようです。

この公園での出来事は上記で言えばでしょうね。
膀胱はいっぱいだったのに、トイレ直前まで気付かなかったんですから。

ここのトレぺは運悪くなくなっていました。
いつも持ち歩いている、トレぺを出して、濡れたパンツをトレぺで挟み込むようにしておしっこを吸い取ります。
2度3度ではありません、5度6度、それ以上何度も吸い取ります。
ズボンも2、3度吸い取りました。
さっちゃんは途中で何度もパンツを上げようとしたり、立ち上がろうとしたり、動きます。
僕は「動いちゃダメ!」「じっとしててね!」と繰り返します。
今日は割と従ってくれたので(と言ってもすぐに忘れて繰り返すんですけどね)、僕もあまり大声にならず、怒気も含まずに済みました。

それからさっちゃん自身を拭いてあげて、パンツの内側に分厚くトレぺを置いてあげて、パンツとズボンを上げました。
先日、尿失禁に悩む主婦が買い物へ行く日常の外出でさえ、着替え用ズボンとパンツを持って行く、
そんな内容をテレビでやってました。
さっちゃんも同じようにした方がいいなあと、思いましたね。
まあ、何とか大丈夫だろうと、予定通りスーパーに向かいましたけれど、何となくおしっこの臭いがしていたような・・・・

家を2時半に出て、戻って来たのは5時半でした。
すぐにさっちゃんをお風呂に入れて、シャワーを浴びさせます。
何故シャワーを浴びているのか、その理由をさっちゃんは忘れているでしょうね。

この日はいつも以上に僕のそばに居たがって、夕食準備の最中も、邪魔で邪魔でしょうがありませんでした。
歯磨きには非協力的で、布団に寝かせつけても、何度も何度も起きて来ました。
結局、小1時間僕はさっちゃんの隣りで一緒に横になって、さっちゃんが寝付いてから再び僕は起き出した次第。
それで、このブログを書いています。
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