昨日は水曜日で言語リハビリの日でした。
さっちゃんは朝から何故だか気分が沈み気味で、表情も生気がなくて、駅へ向かう道すがらも会話なく無言が続きました。
それはSTの先生とのリハビリ中も続きました。
リハビリも後半になっていつものように『第九』のラストの合唱を聞いているときに顕著に現れました。
さっちゃんは若いころ合唱団に入っていて、年末には『第九』を歌うのが恒例だったんです。
そんな思い出深い合唱曲を聞くと、指でリズムを取ったり、口ずさんだりするのがいつもでした。
合唱が終わると、小さく拍手して、にっこり笑ったりもします。
でも、昨日はリズムも取らず、口ずさみもしません。
合唱が終わっても拍手せず、笑顔も浮かべません。
笑顔どころか、しくしくと泣き出してしまいました。
「自分はもう何もできない」との想いで哀しくなってしまっているのでは、とSTの先生はおっしゃいます。
そうかもしれません。
本当はこの後、もっと歌を歌ったりして声をたくさん出す予定だったのですが、そんな雰囲気ではありません。
こんな様子ですから、STの先生がここのところ行っているリハビリ方針に対する判断を少し語ってくださいました。
1年前に録音しながら行った検査についても少し教えてくださいました。
さっちゃんの言語リハビリは、例えば脳梗塞の後遺症として現れる失語症などとは違うと思います。
どう違うのかと言えば、脳梗塞患者さんの場合は徐々に言葉を話せるようになるケースがあるのですが、
さっちゃんは認知症ですから、失語症の改善は望めません。
STの先生もそのあたりの点に関しては悩むだろうと思います。
今後のリハビリの方向性についても考えましょうね、といったニュアンスも感じられました。
僕自身は、STの先生にさっちゃんの言語状況をいつも見ておいてもらうこと、それで十分だと思っています。
さっちゃんにとっては社会との貴重な接点のひとつですから、何もしないよりは明瞭にプラスだと思っています。
さっちゃんは朝から何故だか気分が沈み気味で、表情も生気がなくて、駅へ向かう道すがらも会話なく無言が続きました。
それはSTの先生とのリハビリ中も続きました。
リハビリも後半になっていつものように『第九』のラストの合唱を聞いているときに顕著に現れました。
さっちゃんは若いころ合唱団に入っていて、年末には『第九』を歌うのが恒例だったんです。
そんな思い出深い合唱曲を聞くと、指でリズムを取ったり、口ずさんだりするのがいつもでした。
合唱が終わると、小さく拍手して、にっこり笑ったりもします。
でも、昨日はリズムも取らず、口ずさみもしません。
合唱が終わっても拍手せず、笑顔も浮かべません。
笑顔どころか、しくしくと泣き出してしまいました。
「自分はもう何もできない」との想いで哀しくなってしまっているのでは、とSTの先生はおっしゃいます。
そうかもしれません。
本当はこの後、もっと歌を歌ったりして声をたくさん出す予定だったのですが、そんな雰囲気ではありません。
こんな様子ですから、STの先生がここのところ行っているリハビリ方針に対する判断を少し語ってくださいました。
1年前に録音しながら行った検査についても少し教えてくださいました。
さっちゃんの言語リハビリは、例えば脳梗塞の後遺症として現れる失語症などとは違うと思います。
どう違うのかと言えば、脳梗塞患者さんの場合は徐々に言葉を話せるようになるケースがあるのですが、
さっちゃんは認知症ですから、失語症の改善は望めません。
STの先生もそのあたりの点に関しては悩むだろうと思います。
今後のリハビリの方向性についても考えましょうね、といったニュアンスも感じられました。
僕自身は、STの先生にさっちゃんの言語状況をいつも見ておいてもらうこと、それで十分だと思っています。
さっちゃんにとっては社会との貴重な接点のひとつですから、何もしないよりは明瞭にプラスだと思っています。