さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

改めて言われてみると、確かにそうではあるけれど・・・・

2019-12-27 23:51:37 | 些細なことだけど
一昨日のことですが、さっちゃんのすぐ下の妹さんからお歳暮が届いていました。
どういう風の吹き回しなんでしょうか? お歳暮なんて初めてのことです。
早速、お礼の電話を入れました。
2回ほど繋がらなかったので、彼女の方から電話がかかって来ました。
さっちゃんは寝てしまっていたので、僕と妹さんとで少しだけ話しました。

彼女も、もう何年前になるでしょうか? 十何年前だったでしょうか?
ご主人が脳梗塞で倒れ、後遺症が残ったものですから、それ以降ご主人を介護する生活が続いているのです。

「さっちゃんはどう? 元気?」
「元気ですよ。でも、こういう病気ですからね。少~しずつ出来ないことが増えて来ますよね」
「そうよね。貴方も大変でしょ。体は大丈夫?」
「ええ、元気ですよ」
「でもね、ずうっと束縛されているから大変よね」


彼女が“束縛”という言葉を発した時、僕はちょっとドキッとしました。
電話が終わって、心の中で反芻しました。
・・・・束縛ね~ぇ・・・・確かに束縛ではあるけれど・・・・
彼女も献身的にご主人を介護している方ですから、その“束縛”という言葉には色々な意味合いが含まれているはずです。

でも、僕はちょっと違うイメージを抱きました。
そもそも結婚生活自体が“束縛”だもんなぁ。
相手の人格を貶めるような“束縛”でなければ、こんな“束縛”は悪いけど、別の“束縛”ならいい、なんてことはないはず。
確かに今は時間的、肉体的、行動的、いろんな面で“束縛”されているのは確か。
デイサービスやショートステイも僕自身を“束縛”から解放する、そんな側面があることも確か。
ただ、今のこの“束縛”も長~い結婚生活の中のひとつの時期に過ぎないと思うんですよね。
夫婦は互いに“束縛”しあっていて、今の僕の介護生活もその“束縛”のひとつの形に過ぎない、と。
恐らく、僕はさっちゃんに言われたことはないけれど、僕がさっちゃんを“束縛”していたこともたくさんあるはず。

長~い目で見れば、今のこの瞬間振り子が僕の方に振れて来ているだけ、そんな気がするんです。
それに、さっちゃんに僕からしてあげること、こんな体験は滅多に出来ることではありません。
辛かったり、きつかったりすることもありますけれど、僕の心は確実に成長していると感じますしね。
ある意味、僕にとっては非常に豊かな時間が流れているのです。
この年齢になって、初めて「大人になりつつある」ような気もします。

さっちゃんの妹さんが発した“束縛”という言葉で、いろいろと考えさせられたこの三日間でした。
ちなみに、お歳暮はイタリアの赤ワイン2本でした。
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