どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

ポエム228 『天城ベニウツギは何処に』

2019-03-09 01:50:23 | ポエム

 

      天城紅空木

    (城跡ほっつき歩記)より

 

 

 

  湯ヶ島の温泉宿に泊まり

  しし鍋をつついたのはいつだったろう

  川端康成にあこがれて

  踊り子の舞台に立ってみたかったのだ

 

  天城ベニウツギよ

  いまもそこにいますか

  踊り子の少女のように

  伏し目がちに俯いていますか

 

  旧制一高の学生さんは

  なぜ踊り子の後を追ったのだろう

  女になる途中のおんな

  謎を持て余す少女への憧れだったのだろうか

 

  天城紅空木の好む天城の土地は

  澄んだ水と湿った空気とともに

  踊り子一座の姦しい峠越えを見送ったのだろう

  女たちの下卑た笑いが一高生の鼻孔を擽ったとしても

 

  天城ベニウツギよ男を上目遣いに見るな

  自分を追うらしい学生を意識するな

  姐さんたちの意味ありげな目交ぜに同調するな

  男の揺れるこころの正体を自由に泳がせろ

 

  川端康成が逗留した宿に旅装を解き

  伊豆の踊子を執筆した部屋をのぞいたあの日

  よく糊のきいたシーツに身を横たえ

  地酒の酔いに誘われて一夜の夢を見た


  そうか天城は青春の香りそのものだったのか

  岩から染み出る滴りのかすかな匂いのように

  天城紅空木の好む固陋な土地をめぐり

  貧しさと因習を生きぬく集落の表情に出会いもした


  姐さんかぶりに横顔をのぞかせ

  踊り子一座は次の宿をめざすだろうが

  限られたお座敷を経めぐる当て所なさに

  ふと眉根を寄せるしぐさも男は見たのだろうか


  

  

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4 コメント

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デコラの思い出 (塚越和夫)
2019-03-09 23:00:53
 この画像は都内文京区にある「小石川植物園」の標本園で撮影したものです。学名の形容詞である「デコラ」には懐かしい思い出があります。
 もう60年ほど前のことになりますが、当時、小学校の同級生の父親がメラミン系合成樹脂を製造販売していた会社に勤めていた関係で、綺麗なメラミン樹脂の販促用サンプルを持っていた子がいました。その色合いは幾分パステルカラーに近く、大理石にも似た模様をともなうもので十数種類ほどが一つにまとめられた色見本のようなものであったと記憶しています。その当時の小学生にとっては、その色合いと質感が非日常的であまりに美しく特別なものに見えたらしく、一時はクラス中の関心の的になっていました。もっともこのあとそうした珍しいものを教室内にもとこむことが際限なく流行りはじめてしまい、終いには学校には授業に関係しないものは持ち込まないように指導されたという記憶もあります。
 さて、その後デコラは高度経済成長の波に乗ったようで、家庭用や店舗用などのテーブルの天板などとして多用されるようにもなり、時は流れ1970年代頃になると、その軽さと耐久性から住宅建設などの資材として建材用の合板などにも重用されるようになり、いささか当時の自分の仕事にも関係が発生したりと意外な繋がりのあったことを思い出したりいたします。
 ところで、その「合成樹脂のデコラ」ですが、これはあくまでも「Decorative Laminated」から「Deco」と「La」を抜き出して合成した「造語」であるようです。
 
 植物の「アマギベウツギ」とは無縁の話題となり、誠に失礼をいたしました。
 今回も画像のご利用、ご紹介をいただき有難うございました。
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デコラの思い出 (tadaox)
2019-03-10 09:14:09
(塚越和夫)様おはようございます。
デコラを初めて目にした時の驚きの様子が、手に取るように伝わってきました。
小学時代の友人に見せてもらった色見本、その当時の目になじんだ日用品とは異質の魅力が感じられたことと思います。
当方、デコラといえばこたつ板が真っ先に浮かぶ始末、色見本の美しさなど思いもしませんでした。

ところで、天城紅空木にデコラという学名をつけたのは日本人だったのですね。
天城地方だけに生育する固有種ということでしょうか。
いろいろ興味が深まる植物に出会って、胸をときめかせております。

若い時に訪れた湯ヶ島、土肥温泉などが懐かしく思い出されます。
いつも画像を使わせていただき、ありがとうございます。
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川端康成と三島由紀夫 (ウォーク更家)
2019-04-07 13:48:32
川端康成の伊豆の踊り子の小説の淡いトーンが好きで、天城峠越えのイメージにずっと憧れていました。

先日、三島由紀夫の遺品の中から、川端が三島に宛てた手紙が発見されたというTV番組をやっていました。

その手紙の内容は、「私にはノーベル文学賞はラストチャンスだが、君はまだ若いから今回は私に譲って欲しい、そのためにノーベル賞委員会宛てに、私を推薦する旨の手紙を書いて欲しい。」という内容でした。

これを受けて、三島は川端の推薦状をノーベル賞委員会に出したそうです。

このTV番組の趣旨は、もし三島がノーベル文学賞を受賞していれば、市ヶ谷での三島の自決はなかったのではないか、というものでした。

この文学界のドロドロした話に、私は、天城峠越えの淡いトーンのイメージが消えてしまいました・・・

詰まらない話をお聞かせしてしまいスミマセン。m(__)m
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カワバタ落選? (tadaox)
2019-04-07 22:57:18
(ウォーク更家)様オモシロイ情報をありがとうございます。三島由紀夫の遺品の中から川端康成のノーベル賞推薦依頼の手紙が出てきたとの話、興味深く伺いました。(TV観てなかったので)
更家さんのガッカリする気持ちよくわかります。

それにしてもねえ、カワバタさん評判がた落ちでしょう。太宰治の芥川賞受賞を阻んだ張本人ですから。
佐藤春夫が受賞第一候補に挙げたにもかかわらず、太宰の生活態度を非難して受賞させなかった んでしょう?
太宰が川端に芥川賞をくださいと頼んだとか女々しい出来事として伝わっていますが、同じノーベル賞を確実視されていた三島に推薦してくれという手紙を書くとはねえ。
(自決)の件は別にして、要は作家・小説家は清廉ではないんですよ。自分の醜い部分をどこまで見届けられるか・・・・川端が逗子のマンションで自殺した本当の理由も、もしかしたら・・・・。
というわけで、これからも作品は独立したものとして読んでいこうと思っています。「雪国」も「斜陽」も「金閣寺」もすばらしいですから。
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