<さくら貝の歌>
美わしきさくら貝一つ
去りゆけるきみに捧げん
この貝は去年の浜辺に
われ一人ひろいし貝よ
その子の名は、キララといった。
入学式の日に、小学四年生として編入してきた。
担任の先生は、キララが福島からの転入者であることを告げた。
この町へ避難してきたのは、キララとお祖母ちゃんの二人だけだった。
福島で海産物店をやっていた両親が津波に攫われ、行き場をなくして能登半島の親戚を頼ってきたのだ。
親戚といっても、キララのお母さんの妹の嫁ぎ先だから受け入れの余裕がなかった。
それで、町の施設がキララとお祖母ちゃんを受け入れたのだった。
地域の人々は、キララたちをこぞって歓迎した。
昔から日本海の漁業で生きてきた町に、真反対の太平洋岸から二人がやってきたことで注目を集めたのだ。
先生は、震災の後始末が付くまで二人は志賀町に滞在するのだと説明した。
しかし避難の原因が、震災だけでなく放射能汚染であることは誰でも知っていた。
「先生、後始末ってどのくらいかかるんですか」
お調子者の健太が、普段通りにあっけらかんと訊いた。
「それは、震災からの復旧ができるまでだ」
先生が怖い顔をして、健太の方を見た。
健太は、自分のもの言いが先生の機嫌を損ねてしまったことに気づいた。
おとなは、放射能のことはなるべく口にしないようにしていたのだ。
みんなでキララたちを励まそうと、なんとなく気を遣っていることがわかった。
キララは、最初お調子者の健太をあまり好きではなかった。
しかし、積極的に話しかけてくるのが健太だけなので、否応なしに相手になるしかなかった。
健太はクラスで一番脚が速かった。
体育の時間には、どんな種目でも目立とうと張り切っていた。
慣れない町で戸惑っているキララを、なんとしても振り向かせようと懸命だったのだ。
「おまえ、辻が森の化け物に後をつけられたらどうする?」
健太は、ちょっとだけ脅かすつもりでキララの顔を覗きこんだ。
「辻が森って、なに?」
キララは怯えて首を横に振った。
「学校の裏門から、東の方向へちょっと行ったところの屋敷跡だ」
「誰か住んでいたの?」
「この地方を治めていた代官だよ」
健太は、江戸時代に幕府から咎めを受けて切腹させられた領主の話をキララに教えた。
「殺されたの?」
「二人の使者が死ねという命令を持ってきたんだから、殺されたのと一緒だな」
健太は首をすくめる仕種をして、キララの方を見た。
「わあ、こわい」
「ところが、使者が江戸へ戻ろうとして村はずれに差し掛かった時、突然つむじ風が追いかけてきて二人を襲ったんだ」
「どういうこと・・・・」
何かに怯えた侍が二人とも刀を抜いて斬り合いがはじまり、互いに相手を突き殺してしまったという。
村人は、つむじ風が代官の化身だったと今でも信じている。
カマイタチの仕業だとか、龍が潜んでいるのだとかいろいろ言われているが、この地では代官の怨念が旋風を引き起こしたのだと伝えられている。
「つむじ風は、見なれない人間を追いかけて襲うんだと・・・・」
「いや、こわい、こわい・・・・」
キララは本当に怖がって、顔を覆った。
「大丈夫だよ。おれが逃げかたを教えてやるから」
「・・・・」
キララは、健太の申し出を聞いていなかった。
「おまえ、この町の住民になるつもりあるのか。町民になってしまえば襲われないぞ」
健太は、キララが福島に戻ってしまうことを阻止したいのかも知れなかった。
キララは初め健太のいうことを疑っていたが、転入から三カ月ほどたって少しずつ健太のことを見直す気になっていた。
七月に入ると、健太は海へ泳ぎに行かないかとキララを誘った。
キララは顔色を変えて断わった。
だが、キララを町に馴染ませようとする健太の熱意は伝わった。
そして八月に入ると、能登の祭りの中でも異色の西海祭りに行こうと誘ってきた。
「この町に住みゃあ、いつか祭りに出られるぞ。女がキリコや神輿を担いで夜おそくまで踊り狂うんだ。おまえら女のやりたい放題だ」
健太は、キララの姿を思い描いているかのように眼をしばたたかせた。
お祖母ちゃんも連れていったらいいと、健太の父ちゃんが言っているらしい。
いつも通り健太の話には、一生懸命に何かを伝えようとする真剣さがあふれていた。
「ケンちゃん、わたし海は大嫌いよ・・・・」
津波の渦に巻き込まれて、海の底に引きずり込まれた両親の苦しさを想像してしまうのだ。
床柱のように腕を突きだしてキララに合図する父の姿が、目の前に浮かんでくる。
恨めしげに黒い防波堤を見つめる母のまなざしが、波の下に透き通って見えるのだ。
「そのお祭り、海へは近づかないよね」
キララが確かめるように訊いた。
「おお、神社の境内で舞うんだから、関係ないよ」
実は西海祭りは、西海神社と松ケ下神社の双方から出発した神輿とキリコ(切子灯篭)が、海岸で合流することになっている。
両者入り乱れての舞を見届けられないのは残念だが、キララのために今年は我慢するつもりであった。
(キララは本当に海が怖いのだ・・・・)
考える間もなく、能登は祭り一色の季節になった。
旧盆を中心に夏から秋にかけて、神輿と巨大な切子灯篭が氏子たちによって担ぎ出され、威勢のよい鳴り物と舞いを伴いながら道中を練り歩くのだ。
八月十四日の夕方、キララと祖母は健太の父親が運転するワゴン車で祭りの会場に出向いた。
松ケ下神社の手前で、道路は通行止めになっていた。
警察官の指示で、用意された駐車場に誘導され、そこから先は全員歩くことになった。
境内では、すでに太鼓の音が響いていた。
浴衣の下から深紅の蹴出しを覗かせた女たちが、小ぶりのキリコを担いでぐるぐると回りはじめた。
真っ白なエプロンと赤い腰巻の対比も鮮やかな衣装が、浮き字を透した行燈の明かりを受けて艶めかしく躍動する。
髪飾りで頭を装った女たちは、年に一度の晴れ舞台で観光客を煽りたてる。
健太は子供ながらうっとりと見惚れ、キララが驚きの表情を浮かべているのを満足げに盗み見た。
その夜、キララは興奮のためになかなか寝付かれなかった。
祖母は疲れが出たのか、きちんとタオルケットをかけて眠りに落ちていた。
自分も早く眠りに就こうと眼をつぶるのだが、かえって眼裏にキリコの武者絵が甦ってくる。
夏前に健太から聞いた、辻が森で刺し違えた侍の話が武者絵と交錯する。
西海祭りから引き揚げる際、逃げるように引き上げて来た気まずさも、輪をかけて神経を高ぶらせた。
(ケンちゃんのお父さん、本当は帰りたくなかったんだ・・・・)
海辺での神様の出会いとキリコ・神輿の合流、女たちが入り乱れて乱舞する佳境を前にして、引き上げてきたのだ。
健太の頼みでワゴン車に戻ったものの、父親の無念そうな表情を一瞬見てしまった後悔が、いつまでも尾を引いていた。
ひとたびこじれると、眠れないまま悶々と時間が経過する。
カーテンもない施設の窓に、能登の星空が貼りついていた。
キララは、この町に来て以来、福島とは違った星の輝きを感じていた。
星に限らず、月も太陽も、キララの見知った故郷の空とは異なって見えるのだ。
意識としては知覚できないが、空の一角でこちらを見守る眼差しに似た存在が感じられる。
眼を凝らしていると、星のひとつが今にも動き出しそうな緊迫感をもたらしていた。
「おまえ、羽咋に行ったことあるか」
志賀町の隣り羽咋市には、UFOに関する様々な資料を収めたミュージアムがあるのだという。
「夏休みの内に、そこへ見学に連れて行ってやる」と、またも健太が計画を口にした。
もともと羽咋郡一帯には昔から空飛ぶ円盤の目撃例が多く、口にこそ出さないがその存在を信じる者も少なくないらしい。
キララは、窓越しに山の端を視ていた。
・・・・それとも、それは夢の中のことだったのか。
北側に見える山なみの右肩に、金星よりも輝度の高い星が停まっている。
キララはむっくり起き上がり、寝床から窓際に移動した。
手を伸ばせば、キララの指先で星々を指揮できそうな、期待に満ちた夜だった。
星が呼吸をする。
キララが息を吐く。
山が息を吸いもどす。
明星がチカチカと合図する。
息をする。
夢見心地で深い呼吸を繰り返していると、遠くの星がとつぜん動きだし、キララの方へ吸い寄せられてきた。
「ああっ」
キララの立つ窓のあたりが、急に真昼のように明るくなった。
(お母さん、やっと来てくれたのね?)
いつもどこかで見守っていてくれた、母の気配が感じられた。
「お父さんも来ているわよ」
眼を凝らすと、施設の裏庭を覆い尽くすような大きな円盤が空に浮かんでいた。
円盤は音もなくくるくると回っていて、眩い光の背後に幾つもの窓が視えた。
「お父さん!」
父の青白い笑顔が、フラッシュを浴びたように残像をつくった。
パラパラ漫画のコマ送りを見るように、円盤の窓はゆっくりと回っていた。
「キララ、元気にやるんだぞ。・・・・これは、おまえのお守りだ」
声にはならない声がして、円盤の窓から小さな物体が地上に降ろされた。
細い糸に吊るされたキララへの贈り物が、やわらかい光を受けて地面に横たわっていた。
(ありがとう、いま取りに行くわ)
答えた拍子に、キララの意識は遠のいた。
翌朝、キララのもとへ健太がやってきた。
昨夜の祭りをキララが気に入ってくれたかどうか、確かめに来たのだ。
「これ、おまえにやるよ」
健太が、紙包を差し出した。
なに?
「去年、砂浜で拾った桜貝だ。これを持っていると、かならず幸運に恵まれるんだって・・・・」
薄いピンク色の貝を、健太はキララの手の上に載せた。
星型に透ける血潮のときめきが、貝殻に宿っている。
放射能が消えれば、キララは福島へ帰ってしまうのだろうか。
(そんな日が、ほんとうにやって来たら、うれしいの? かなしいの?)
ほのぼのとうす紅染むるは
我が燃ゆるさみし血潮よ
はろばろと通う香りは
きみ恋うる胸のさざなみ
キララは昨夜の記憶を思い出した。
UFОが届けてくれたお守りは、庭の片隅でキララが拾いに来るのを待っているはずだ。
メッセージは、必ず見つけられる。
能登の空は、今もいにしえの慈愛に満ちているはずだ。
どの星も、命を宿して瞬いていたのだから・・・・。
(おわり)
(2012/02/22より再掲)
福島の復興はなかなか難しいです。
転校先でのお祭りや星物語、UFOの話がイイですね。
幸運に恵まれて欲しいです・・・
一目置かれたい、好意を寄せられたいと思う健太の心理がとてもよく分かります。
そして、海がこわい転校生キララの『父親の無念そうな表情を一瞬見てしまった後悔が・・・』そんな大人びた思い・・・。
震災から12年、二人とも思いやりのある素敵な大人になっていることでしょう。
福島から避難してきて、なかなか郷里に帰れないたくさんいます。
復興は道半ばですね。
キララに寄り添う評言に感謝申し上げます。
震災・津波に遭遇し、直接の被害者だけでなく周りの人びとも考え方が大人びていきますよね。
健太の場合も。
と同時に子供らしい感情も抑えきれず、そこをくみ取っていただきました。
感謝です。