藤原新也の犬にたじろいだのはいつのことだったか
ほんとうに『メメントモリ』のなかだろうか
人間は犬に食われるほど自由だと呟いた男の
年老いた今をNHKのドキュメンタリーで再確認した
しかしニコンの望遠レンズを手動でブラしながら
鉄砲百合を撮っていたのは藤原新也の幻だ
黄色い息をはきながら死にゆくものの気配を嗅ぐ犬
それを己が食われるが如く表現した新也が本物だ
メメントモリは確かに詠みました『鉄輪』も読みました
麻原彰晃の兄のことも知ってます水俣病のことも
でも真実はいつか靄に包まれ雲霧仁左衛門になるようだ
老いるとはそういうことなのか新也さん
あなたに生と死のすべてを教えられたかつての若者は
全著作を愛撫しながら涙を流したでしょう 犬はズドン
初めて『アサヒグラフ』誌で藤原さんの写真を目にした時うけた、何とも言えない異様な、それでいて眠りこけていた自分自身も気づかなかった我が奥深くに潜む感覚が目覚めてくるような瞬間は、今でもくっきり(頭ではなく)体に残っています。
”メメントモリ”後にその言葉とともに納得させられることになるあの感覚です。
この詩が久しぶりにあの瞬間を思い起こさせてくれました。
ありがとうございました。
そうですか、北九州市で藤原新也の生涯展が開かれているのですか。
道理で過去の業績に一つ一つにスポットライトを当てなぞって見せているわけですね。
写真家の最高峰の木村伊兵衛賞を辞退した硬骨漢も、日曜美術館とうでおとなしく生涯にわたる業績を披露したというわけか。
学生運動に挫折し、目標を失った若者が新バイブルとした朝日グラフのあの写真が、信奉者の勝手としても社会を席巻した藤原新也には、いつまでも現役であってほしい。
切なる願いを吐露した詩でした。
<あの瞬間>思い起こしていただいたことに感謝します。