『資料集 原爆投下と京都の文化財』
立命館大学産業社会部鈴木良ゼミナール編/
図書出版 文理閣1988年
京都は「文化と宗教の中心地」だったから、原爆投下されなかったという……。それは古い、このような本です。でも、これは間違いだとボクも思います。
京都に原爆を投下せよ ウォーナー伝説の真実
京都は「文化と宗教の中心地」だったという意見の人たちの本。
これは誰も一緒だけど、はじめは京都は有力な目標地(AA目標京都)だった。下「」引用。
「五月一○・一一日、目標地選定委員会会議要約
-略-
1. 京都 都市工業地域で、人口は百万人。日本の古都で、戦災を受けた他の地域から住民と工業が移転してきている。
心理的観点からは、京都が日本の知的中心地であり、住民はこうした兵器の意義を理解するという利点がある。」
盆地だし、人口も多いし、軍需工場もある。
あのノーベル賞をとられた方の工場も当時は軍需工場でした。
かなり原爆を投下して、効果があったと思えます。
その効果が何かということは、大量虐殺ができたということですね。
……そもそも、文化的な人たちがいうことではないでしょう……。
はじめは皇居も原爆の目標地としての可能性はあった。上の資料と同。下「」引用。
「6. 皇居爆撃の可能性も話し合われた。それは勧告しないことにしたが、この爆撃に関する決定は軍事政策当局から来るべきことで一致。またこの目標に対する原爆の有効性を判断するため情報を得るべきであると一致した。」
スチムソンの言葉が大きかったというのが、この説の人たちはとりますね。下「」引用。
「資料5-(2)
六月一二日、京都の目標をめぐるスチムソンとグローブスの意見
-略-京都は日本の古代の首都であり、歴史的な由緒のある都市であり、かつ日本人にとっては偉大な宗教的な重要性を持った故郷である、というのが陸軍長官の反対の理由だった。彼はかつてフィリピン総督時代に京都を訪れたことがあり、その古代文化にひどく打たれたことがあったのである。」
また、他の資料にも。
しかし、この説をこの本の著者たちも100%は認めていない。下「」引用。
「この説は説くにオーティース・ケーリ氏の著作にみられる考え方であるが、彼は著作のかなでスチムソンが戦前、日本に来て京都を訪れて感銘を受けたことや、従弟の影響などを京都案反対の要因としている。しかし、これらははっきりとした確証がなく、ケーリ氏の推論にすぎないと考えれる。」
京都新聞はこの説を裏付けるための記事を。下「」引用。
「入洛のデッカー少将(第六軍参謀長)
-略-爆撃しなかったのは、「京都は神社、仏閣を始め学校、図書館、美術館、博物館その他の名所史蹟が多く、この中に我々の文化的にも相当の参考資料になるものもある。つまり京都の施設は殆どが非戦闘的なもので取り立てて爆撃目標にするものはなかつたと自分は思ふ。」(『京都新聞』一九四五年九月二七日付)」
「ようこそ“我らの恩人”「好きな古美術-日本との橋渡し」ワーナー博士入洛」『京都新聞』一九四六年五月二六日付)」
文化財はたしかにあるけれど、そんなことを考えて戦争をする人たちはいないとまず思えます。
--長崎や広島には文化財はなかったとはいえません。
人の命よりも文化が重いなどという非人道的な価値観をまきちらす、非文化的なことをされたマスコミに怒りさえ感じます。
ボクは中学の修学旅行に行き、原爆をライフワークにしようと考えました。
その時の作文もアップしています。
「京都は文化があるから原爆投下されなかった」
これは京都の学校の先生も同じことを言いました。
広島に行き、京都生まれのボクは恥としか思えませんでした。
京都の文化がアホの文化としか思えませんでした。
京都の庶民の文化はアホちゃいますよ!
教師やマスコミの文化がアホなんです。
修学旅行での広島の人たちは素敵な人たちでした。
ボクはますます京都の先生は情ないと思いました。
ボクがライフワークにしようと思ったのは、このことも一つです。
もう一つの説は、もう戦争は勝つに決っているから、皇室関係の建物の多い京都などは戦後の交渉がしやすいように考えて攻撃しなかったという説ですね。
……これも大きなポイントではないでしょう。皇居も攻撃されていたし、京都にも一部攻撃はありました。
アメリカのドイツ空襲を読んでいて、なぜドイツを破壊しつくさねばならなかったという文章を読んでボクは、これが答えと思いました。
京都は「権力者の貸座敷」と司馬遼太郎はいいます。
--権力者に刃向わないない地方です。
広島、小倉、長崎など残っていたところは、気骨がある所ですね……。
つぶしておけば、もし、その気骨のある人たちでも、コントロールしやすいというわけですね。
--イタリアとちがって、文化のホロコーストをドイツでは狙ったようです。
しかし、気骨のあるドイツ人には、これも通じなかったようです。
……そして我が国でも、広島や長崎の方は、見事に原爆の非人道的なことを世界に知らせてくださっているとボクは思います。
イタリアには徹底した空爆をする必要もなかった……。
京都人と同様の気質ですから……。
もちろん、京都やイタリア人の気質が悪いとはいえないとも思います。
文化を育てるのが上手なのは、京都やイタリア人でしょう……。
そんな感想をボクは持ちました……。
間違っているかもしれませんが……。
権力者の貸座敷のままでは、民主主義から遠いようにも思いました。
ドイツはポーランドのワルシャワで、文化のホロコーストを狙いました。
しかし、そもそも文化の本質というのは物質ではない。
見事によみがえらされました。
よみがえる街 未来への懸け橋
これが、ほんまもんの文化や!
人の生命より重要な文化財なんて、偽せ文化や!
偽せ文化人や!
あー、すっきりした……。
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目 次
立命館大学産業社会部鈴木良ゼミナール編/
図書出版 文理閣1988年
京都は「文化と宗教の中心地」だったから、原爆投下されなかったという……。それは古い、このような本です。でも、これは間違いだとボクも思います。
京都に原爆を投下せよ ウォーナー伝説の真実
京都は「文化と宗教の中心地」だったという意見の人たちの本。
これは誰も一緒だけど、はじめは京都は有力な目標地(AA目標京都)だった。下「」引用。
「五月一○・一一日、目標地選定委員会会議要約
-略-
1. 京都 都市工業地域で、人口は百万人。日本の古都で、戦災を受けた他の地域から住民と工業が移転してきている。
心理的観点からは、京都が日本の知的中心地であり、住民はこうした兵器の意義を理解するという利点がある。」
盆地だし、人口も多いし、軍需工場もある。
あのノーベル賞をとられた方の工場も当時は軍需工場でした。
かなり原爆を投下して、効果があったと思えます。
その効果が何かということは、大量虐殺ができたということですね。
……そもそも、文化的な人たちがいうことではないでしょう……。
はじめは皇居も原爆の目標地としての可能性はあった。上の資料と同。下「」引用。
「6. 皇居爆撃の可能性も話し合われた。それは勧告しないことにしたが、この爆撃に関する決定は軍事政策当局から来るべきことで一致。またこの目標に対する原爆の有効性を判断するため情報を得るべきであると一致した。」
スチムソンの言葉が大きかったというのが、この説の人たちはとりますね。下「」引用。
「資料5-(2)
六月一二日、京都の目標をめぐるスチムソンとグローブスの意見
-略-京都は日本の古代の首都であり、歴史的な由緒のある都市であり、かつ日本人にとっては偉大な宗教的な重要性を持った故郷である、というのが陸軍長官の反対の理由だった。彼はかつてフィリピン総督時代に京都を訪れたことがあり、その古代文化にひどく打たれたことがあったのである。」
また、他の資料にも。
しかし、この説をこの本の著者たちも100%は認めていない。下「」引用。
「この説は説くにオーティース・ケーリ氏の著作にみられる考え方であるが、彼は著作のかなでスチムソンが戦前、日本に来て京都を訪れて感銘を受けたことや、従弟の影響などを京都案反対の要因としている。しかし、これらははっきりとした確証がなく、ケーリ氏の推論にすぎないと考えれる。」
京都新聞はこの説を裏付けるための記事を。下「」引用。
「入洛のデッカー少将(第六軍参謀長)
-略-爆撃しなかったのは、「京都は神社、仏閣を始め学校、図書館、美術館、博物館その他の名所史蹟が多く、この中に我々の文化的にも相当の参考資料になるものもある。つまり京都の施設は殆どが非戦闘的なもので取り立てて爆撃目標にするものはなかつたと自分は思ふ。」(『京都新聞』一九四五年九月二七日付)」
「ようこそ“我らの恩人”「好きな古美術-日本との橋渡し」ワーナー博士入洛」『京都新聞』一九四六年五月二六日付)」
文化財はたしかにあるけれど、そんなことを考えて戦争をする人たちはいないとまず思えます。
--長崎や広島には文化財はなかったとはいえません。
人の命よりも文化が重いなどという非人道的な価値観をまきちらす、非文化的なことをされたマスコミに怒りさえ感じます。
ボクは中学の修学旅行に行き、原爆をライフワークにしようと考えました。
その時の作文もアップしています。
「京都は文化があるから原爆投下されなかった」
これは京都の学校の先生も同じことを言いました。
広島に行き、京都生まれのボクは恥としか思えませんでした。
京都の文化がアホの文化としか思えませんでした。
京都の庶民の文化はアホちゃいますよ!
教師やマスコミの文化がアホなんです。
修学旅行での広島の人たちは素敵な人たちでした。
ボクはますます京都の先生は情ないと思いました。
ボクがライフワークにしようと思ったのは、このことも一つです。
もう一つの説は、もう戦争は勝つに決っているから、皇室関係の建物の多い京都などは戦後の交渉がしやすいように考えて攻撃しなかったという説ですね。
……これも大きなポイントではないでしょう。皇居も攻撃されていたし、京都にも一部攻撃はありました。
アメリカのドイツ空襲を読んでいて、なぜドイツを破壊しつくさねばならなかったという文章を読んでボクは、これが答えと思いました。
京都は「権力者の貸座敷」と司馬遼太郎はいいます。
--権力者に刃向わないない地方です。
広島、小倉、長崎など残っていたところは、気骨がある所ですね……。
つぶしておけば、もし、その気骨のある人たちでも、コントロールしやすいというわけですね。
--イタリアとちがって、文化のホロコーストをドイツでは狙ったようです。
しかし、気骨のあるドイツ人には、これも通じなかったようです。
……そして我が国でも、広島や長崎の方は、見事に原爆の非人道的なことを世界に知らせてくださっているとボクは思います。
イタリアには徹底した空爆をする必要もなかった……。
京都人と同様の気質ですから……。
もちろん、京都やイタリア人の気質が悪いとはいえないとも思います。
文化を育てるのが上手なのは、京都やイタリア人でしょう……。
そんな感想をボクは持ちました……。
間違っているかもしれませんが……。
権力者の貸座敷のままでは、民主主義から遠いようにも思いました。
ドイツはポーランドのワルシャワで、文化のホロコーストを狙いました。
しかし、そもそも文化の本質というのは物質ではない。
見事によみがえらされました。
よみがえる街 未来への懸け橋
これが、ほんまもんの文化や!
人の生命より重要な文化財なんて、偽せ文化や!
偽せ文化人や!
あー、すっきりした……。
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