磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原爆被爆体験記

2007年07月20日 | 読書日記など
『原爆被爆体験記』
    柴山宏(編集委員長)/京都府原爆被災者の会s54年、s55年再版

京都に住む被爆された方の会の、原爆体験記です。京都出身のボクには、言葉が同じなので、吸収しやすとい言おうか、いつもよりキツイ感じがました。ジョン・レノンは基本はとてもスイーツだから、きついことも表現しても受け入れてもらえるという評論をされている方がいました。京都弁も甘いせいか、内容はきついような気がしました。



風呂に入っている人が被爆されたシーン。

他の本にもありましたが、いつ爆弾が落とされるわからないから、いろいろな状況下で被爆されたわけですね。

原爆調査団の真下俊一教授のことが書かれてありました。
その文を書かれた方は、当時軍医で広島におられたようです。

軍医として、松村秀逸少将(参謀長)も診察し白血球が400。
大和魂で治して見せると頑張っておられという。

しかし、大野陸軍病院に入院し輸血を続けて元気に。
終戦後は参議院議員。
同じ病院に入院していた、真下俊一教授は台風で死亡。

雷がこわいというのは朝日新聞の投書欄にあったそうです。
子供に笑われたという。
しかし、あの原爆にあったら、笑い話にはならないでしょうね……。
--デリカシーのある方なら……。

三世の赤ちゃんのことも書かれてありました。下「」引用。

「祖父母が被爆者である、いわゆる被爆三世の赤ちゃんが昨年末、長崎大医学部附属病院でなくなったことが二十四日明らかになった。白血病による被爆二世の死亡例は、相当数報告されているが、三世では広島、長崎を含めて、はじめてのケース。」

自殺された武官もおられたようです。下「」引用。

「侍従武官の中佐は責任を感じてピストル自殺されたのです。今、思えば自殺しなくてもと思うのですが、当時はそんなわけには行かなかったのでしょう。」

長崎は三菱の街と思っていたのに、当時長崎には三菱銀行はなく、住友銀行を利用していたと書かれてありました。

長崎県庁のはりがみ。下「」引用。
 
「県庁の表には、「今夕、アメリカ兵が上陸する、女、子供は山へ至急逃げよ」と半紙大の張り紙があった。」

アメリカ兵もいつも法律を守っていたわけではないと思う。

ただ、彼らの心の糧である、キリスト教。
教会の建物があれば、彼らの心も異教の地という殺伐とした気持ちはなかったかもしれない……。
--長崎は信仰の街でもある……。









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